スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

無心のはたらき

11月23日(金) 月並大攝心 中日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 三島・龍澤寺の中川宋淵老師がこういう句を残して

くださっています。


 秋ふかく 石がささやく 石の声


 我々は、坐禅をして無心になるというけれど、何も周りのことが

わからなくなる、聞こえなくなるようなことでは決してありません。

むしろ、「石がささやく 石の声」も聞こえてくようにならないと

いけません。


 庭に咲いている一輪の花が語りかけてくる、それに耳を傾ける

ことができる、これが無心の消息でありましょう。


 「語らざるは愁(うれい)無きに似たり」という言葉があります。

お寺には、いろいろな人が来ますが、黙っていて何もしゃべらない方も

います。けれども、そういう方の心の内にある愁や悲しみを察して

あげる、細やかな心配りこそ本当の無心のはたらきであります。


 何にもわからない、気づかない、人が苦労をしていても平気な気持ち

でいるのが無心なのではありません。


 (正しく)坐禅をすればするほど、細やかな心配りができるように

なります。五感、感覚が鋭敏になってくるのが本当であります。


 無心の修行とは、そういう微妙な細かい心配りができるようになる

ことであります。

blog-DSC00229.jpg

こちらの石、開板という木の板を打つ時に足下に

位置して、足を踏ん張る「踏み石」として人様の

お役に立っています。

<居士林>


コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。