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判断をする時

7月23日(月)


 管長様が夏期講座で提唱されたことをまとめてみました。


 何が正しいことか?今本当にどうすることがふさわしいか?

を判断するには一つ自分を抜きにして見なければなりません。

例えば正しい判断をする時、お母さんのことを思う。自分の

お母さんであればどう思うだろうか?と。


 もう、お母さんが亡くなっていても、今自分がどうしたら

亡くなったお母さんが喜んでくれるだろうか?と自分に問い

かけてみることであります。


 私はよく葬式の時、亡くなった人のお孫さんに申し上げる

ことがあります。「これから大きくなると、きっと迷い困る

時があります。どうしたらよいか?どっちに進んだらよいか?

と迷う時がくるでしょう。


 そんな時、(亡くなった)おばあさんのお墓にお参りして

手を合わせて下さい。そして「おばあさんならどうしたら喜んで

くれるだろうか?」と自分に問いかけてみてください。そうして

判断すればきって間違いはないでしょう。


 亡くなった人であるならば、どう思うか?こういう見方をすれば

そんな難しくなく、自分を抜きにして冷静に判断することができます。

お墓参りをするのは亡くなった人の為ばかりでなく、私達生きている

ものにとって、大きい力となってくるのであります。


 それから、仏様にお参りするのも一瞬にして私達を無心にして

くれます。私はいつも佛殿にお参りすると仏様と目を合わせます。

必ず仏様と目と目が合う場所あります。


 そうすると仏様が自分を見てくださっていると感じるので

あります。そして「自分にやましことはないか?今やっている

ことはこれでいいのか?」と内省してみる。そうすればおおよそ

間違いのない判断ができるのであります。


 仏教は一瞬にして無心してくれる方法を、一瞬にして本心・仏心に

目覚めるすべを伝えています。円覚寺・仏殿の仏様のようなああいう

すばらしいものを拝む、目を合わせることで一瞬にして本心・仏心に

目覚めることができます。


 あるいは、お墓参りをして「亡くなった人なら、どうしたら喜ぶ

だろうか?」と思えば一瞬にして本心・仏心がはたらきます。

目覚めることができたならば、私達はどんな場面やどんな場所

どんな役割であろうが「主人公」となれるのであります。

(後記)

 おかげさまで、円覚寺・夏期講座は今日で無事に終了と

なりました。たくさんの方が来山くださいましたこと、誠に

感謝いたします。また、投宿坐禅会の方、本当にお疲れ様でした。

みなさんと、4泊5日いっしょに過ごせたこと、非常に貴重な経験と

なりました。重ね重ね、有り難うございました。

 

 






 

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