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気づくこと

4月11日(火)


 今朝、山内・如意庵さんで暁天坐禅会の方々との

粥坐会があり、管長様にご出席いただいて参加者との

質疑応答の時間がありました。それをまとめてみました。


 参加者の方から次のような質問がありました。
 
「感謝をしなければいけない、ありがたいと

思わなくてはいけないとわかっているにもかかわらず

なかなか、身近な人にそれができない。それどころか

悪い感情を抱いてしまいます。それが自分にとっても

良くないこととわかっているのですが・・・。」


 管長様がお答えになったことは

「心というものは、どうしようもない面もありますが、

流動的なものですので、(感謝や思いやりなどの)

良い心を伸ばしたいという気持ちを持っていれば

必ず変わるものであります。一変には無理ですが

徐々に少しずつ移り変わっていくものであります。


 坐禅をして、自分は今こういう状況にあると客観的に理解し

自覚し続けることを継続すれば、徐々にではありますが

感情の振幅の差が狭まってくるのではないでしょうか。


 生身の体である限り完全に感情がなくなるということ

はありません。また、感情があるということは元気のもと

にもなるうるわけです。雑草そのまま肥やしになるでは

ありませんが。ただし、度を超して人に迷惑をかけるのは

いけません。自分の感情を冷静に自覚して活力のもととして

生きられれば良いのではないでしょうか。


 「忍辱(にんにく)」という言葉は、「忍」は「認」で認めること・

気づくこと・そのことがよくわかることを意味しています。

只堪え忍ぶ、自分を抑えるというよりもそういう状態に

気づくことであります。


  「懺悔(さんげ)」も、自分がどれだけまわりのものに

迷惑をかけたことかが、よくわかるということであります。


 仏陀とは「気づいた人」という意味であります。ですから

仏教の一番の核心は気づくことにあるのです。


 そして、気づけば理性の反応が自然と

働いてくるということであります。

 
 耐えるというよりも自分の感情に気づけば

自然と自制することができるのです。」








 







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