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わからないままでいい。

7月17日(日)


 管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 ある僧が尋ねました。「頭の長さが三尺、首の長さが二尺、相対して

何にも言わずに立っている。これはなにものか?」と。別の僧が曰く

「(そんなもの)私はわからない!私は知らない!」と。

 これでいいんです。これを知ろうとして、これは何であるかかんであるかと

注釈して、追求し迷いに迷いを重ねてどうしようもなくなって

とうとう三尺のばけものに食われてしまう。幽霊の正体はそういうもので

あります。「私は、わからない!私は、知らない!」の一言でばけものは

終わりであります。それで、すませばそれで良いのであります。

 ひっかかったらいかん!

 理屈をつけて理解して解釈をつけようとしたらきりがありません。
 
理屈をつけてどうこう考えたりせずに、

ただ私はこのままで満ち足りている、本当に有り難いとしみじみと

感じることが大切であります。

 わからなければ何でもいかんと思いがちだが、いくら

わかろうとしても三尺のばけものは、わからないように

なっている、わかりやしないのであります。

 そうであるから、ああ、このままでいいんだと受け止めることが

できたらばけものは、自然と消えてなくなるのであります。

blog-P5270043_20110717172812.jpg

「う~ん、わからない!」










コメント

No title

三尺のばけもの、面白いお話ですね。
これまで、特に若い頃、どれだけ食われそうになってきたことか...
ばけもの、だったんですね
昨日土曜座禅会に伺ったときに伺った「公案は消しゴム」というお話にしても、とても印象深くて、心に残ります。
足を運べない機会の老師のお話までこちらで読ませて頂けることを、とても感謝しております。

それにしても居士は何を悩まれているのでしょう...

亀に角、うさぎに羽…頭の中ではいろんなものを創りだすことができますが、言ってしまえば皆「三尺のばけもの」。あの人は私を〇〇だと思ってるに違いない」「亡くなったあの人はどこへ行ってしまったのか…」等という考え・思いも、突き詰めてみれば「三尺のばけもの」、妄想でしかないのでしょう。

「三尺のばけもの」に囚われてしまっては、足元の危険も目に入らず、自分で自分の人生、道を見失ってしまいかねませんね。分からないものはそれ以上突き詰めることなく、考えることなく置いておく。大切なことですね。

昨日は久々に居士林で坐らせていただきました。足の痛みの様相と蝉の鳴き声が見事に一致し、夏を実に深く感じました(笑)。ありがとうございました。

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