スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

明日、提唱ございます。

1月31日(金)


blog-DSC03205.jpg

 横田南嶺管長猊下揮毫。坂村真民先生の詩です。

円覚寺山内・黄梅院の掲示板に掲げられています。

(後記)

 明日、居士林での土曜坐禅会2部(14:40~)では、

管長猊下に「臨済録」を提唱していただく予定となっております。

皆様のご参加をお待ちしております。
スポンサーサイト

京都マラソン 駅伝

1月30日(木)


blog-image(4).jpg

昨日は東京・渋谷にて京都マラソンのプレス発表が行われました。

京都マラソンの併設大会として「interFaith駅伝~平和を願い祈るの駅伝~」が

開催されます。

 interFaith(諸宗教間交流)駅伝とは、異なる宗教者(仏教・神道・キリスト教等)で

4人1チームをつくり、世界平和を願うタスキをつなぎながらゴールを目指す駅伝です。

マラソンをきっかけに宗教の枠を越えて、世界平和を願うことを目的としています。

blog-image(5).jpg

 全日本仏教会の副会長でもあられる横田南嶺管長猊下も、なんと、タスキをつなぐ

駅伝ランナーとして参加をされます。その記者会見での

管長猊下のあいさつされた内容です。

「宗教というものは、それぞれ世界の平和人類の安寧を祈りながらも、ともすれば

お互いに争いを引き起こしたりしかねません。人類の歴史を見てもその通りです。

 私は鎌倉にあって先年の東日本大震災以来、鶴岡八幡宮様を中心に鎌倉中の神社の

神官や仏教の各宗派の寺院僧侶、それにキリスト教の神父さん牧師さん達が、皆一つに

なって、震災で亡くなった方の追悼と被災地の復興を祈る行事を始めました。そんな体験から

宗派や教義の違い、或いは国境を越えて真実の祈りは共鳴し合い一つになることを学びました。

 そんな折に、このインターフェイス駅伝の話をいただいて、それならば是非とも全日本仏教会を

代表して走ろうと決意致しました。本来ならば会長が出るところですが、会長は九十六歳と

高齢ですので、会長の心を受けて走ろうと思いました。私は禅宗ですから坐ることは得意でも

走るのには慣れていません。また今年五十になりますので、十キロを走るのは容易ではありません。

 しかしながら、全身全霊、渾身の力を振り絞って、世界の平和、人類の安寧、震災で亡くなった方の

ご冥福と被災地の復興とを祈って、お互いの宗派の違いを超えて一つになって祈り走りたいと

思っております。」  

日時は

2月16日(日)9:00 スタート

コースは

京都マラソンのコースと同コース

となっております。

 皆様、応援をくださいますように。

ラジオ収録

1月29日(水)


blog-image (4)

 本日、横田南嶺管長猊下は、渋谷にあるNHKのスタジオにてラジオの収録

に臨まれました。NHKラジオ第2「宗教の時間」という番組です。

 猊下は「初心を忘れず」という題名のもと30分ほどのお話をされました。


 放送日は

平成26年2月16日(日)NHKラジオ第2放送 午前8:30~9:00

 再放送は

2月23日(日)午後6:30~7:00 

となっております。

 皆様、ぜひ、拝聴下さいますように。





 


円覚寺の泣き開山

1月28日(火)


blog-DSC03199.jpg

 今日、円覚寺・横田南嶺管長猊下は建長寺で開催された「新春法話の集い」で

「仏光国師(円覚寺開山)の言葉に学ぶ」という演題のもと提唱をされました。

終盤部分をまとめてみました。


 私が仏光国師の言葉の中で一つこれはというものを選ぶとすれば

「若(も)し頻(しき)りに涙を下らしめば、滄海も也た須く枯(か)るべし」

という言葉です。この言葉は「海の水がたとえ枯れてしまったとしても、私の

涙が枯れることはない」という意味です。


 ではこの涙とは、いったい、何の涙なのでしょうか?それは人々が悩み苦しんでいる。

その悩み苦しんでいる人のことを思うと人ごととは思えない、放っておくことができない、

それで私は涙を流すということなのです。


 毎年、10月3日に行われている円覚寺の開山忌では必ずと言っていいほど雨が降ります。

ここ建長寺の開山忌は石も割るような夏の暑いときに行われるのと、開山・蘭渓道隆禅師が

峻厳で厳しい家風であったことから「建長寺の石割開山」と呼ばれ、対照的に円覚寺開山・

無学祖元禅師は上記のようなご性格であられたこともあって「円覚寺の泣き開山」と

呼ばれています。


 私はいつも開山忌に降る雨を見ながら、この雨は開山さんが流している涙かなと思うのです。

涙は尽きることがない。悩み苦しんでいる人のことを思って涙を流したからといって

何になるのだと思うかもしれません。


 しかし、自分自身が本当に悩み苦しんで困っているときに自分の為に涙を流して

くれる人がもし一人でもいたら、その人は救われる気持ちになるのだろうと思います。

たとえ、その本人の気がつかないところであっても、自分の為に涙を流してくれた人が

いるという事実は大きな救いになるのだと思います。


 円覚寺の創建より700年、開山さんの涙は尽きることがありません。開山さんは

幼少時分、生き物が殺されるのを見るとまるで自分が切られるように痛い気持ちに

なったという逸話があります。


 ですから開山さんは現代の私たちの苦しみをみて、他人事ではなく自分のこと

のように涙を流しながら見てくださっていると思うのです。そう思うともう少し

頑張ろうという気持ちが湧いてくるのです。

blog-DSC03201.jpg

 会場の建長寺には400人以上の方々が拝聴にお見えになっていました。

blog-DSC03204.jpg

戒をより所として生きる

1月27日(月)


 横田南嶺管長が先日の僧堂攝心で「戒」について提唱されたことを

まとめてみました。


 今でも通夜・お葬式になると私たち、坊さんは「懺悔文」「三帰戒」を読みます。

それは、まさしく受戒をしていることに他ならないのです。戒を授けて戒名を与える。


 授戒会と何ですか?と質問をされますが、私たちお坊さんがお葬式のごとに

やっているのが受戒です。本当であれば、きちっと生きている間に戒を受ける

べきところを、残念ながら生前にその機会がなかったために止むを得なく

亡くなった後に戒を授けて仏弟子としてお見送りするというのが、私たちが

やっている葬式の形です。


 これから十重禁戒というものを説明していきますが、それらの戒は

決して無理難題を課している訳ではありません。あくまで、こういう

心がけで暮らしていきましょうということを説いています。心に良き

習慣を身につけて生きていくことは大変素晴らしいことなのです。


 只、残念なのは戒律を説くということを坊さんがしなくなってしまった

ことです。本来は堂々と「戒律が私たちが生きていく上でのより所である。

仏法を伝えることは戒を伝えること、仏法を説くことは戒を説くことである。」

と世間の人々にお話をすべきなのです。


 ですから、お通夜・お葬式の時、亡くなった方に戒を授けていますが、

「本来は生前、この戒を受けてこの戒をより所として暮らしていただきたかった

ところですが、そのご縁がなかったので、今こうして授けます」ということを

説明し戒の教えを説いてあげることが必要ではないかと思うのです。


 ところが現況は、「受戒・戒名をいただくのはとても先のこと。」であるとか

「そろそろお迎えが近くなりましたから戒名をお願いしたい」などまるであの世の

切符のように受け止められてしまっています。


 生きている人が戒を受けて、そしてその戒をより所として生活をしていく

というのが本来の姿なのです。

そのより所となる十重禁戒というのは

①快意殺生戒(けいせっしょうかい)・・・私たちは生きていく上では、

本当は殺すべきではないがやむを得ず、生き物を殺さざるを得ないこともあります。

そういうときに決して喜んでやってはいけない。

②劫盗人物戒(こうとうじんぶつかい)・・・人のものはとらない。

③無慈行欲戒(むじぎょうよくかい)・・・男女の関係など欲を行じる時は必ず

相手を思いやる慈悲の心がなくてはならない。慈悲の心なく、快楽やいやがるのを

無理矢理してはならない。

④故心妄語戒(こしんもうごかい)・・・ことさらにわざと相手をだましてはいけない。

やむを得ず、仕方がない時もあることを認めています。

⑤沽酒生罪戒(こしゅしょうざいかい)・・・やむを得ず、飲まなくてはならないときは

仕方がない。

⑥談他過失戒(だんたかしつかい)・・・他人の過失をことさらに説いてはいけない。

⑦自讃毀他戒(じさんきたかい)・・・自分をほめて他人をけなしてはいけない。

⑧慳生毀辱戒(けんしょうきにくかい)・・・人の為にものや教えを施すことを惜しんでは

いけない。

⑨瞋不受謝戒(しんふじゅしゃかい)・・・人間生きていく上で腹を立てることも

ありますが、相手が悔い改めて謝罪をしようとしているにもかかわらず、それでも

なお怒りをむけるのはいけない。

⑩毀謗三宝戒(きぼうさんぼうかい)・・・仏様、仏様の教え、その教えをともに学ぶ仲間を

けなしてはいけない。

 このように十重禁戒を学ぶと決して無理難題を押しつけているのではないことが

わかります。まさしく、こういった心がけを持って心に良い習慣が身について、お互い

安らかにいきていくことができる指針を示しています。

(平成26年1月23日 正受老人崇行録提唱より)

(後記)

 黄梅院では数年前に、居士林に縁のあった若いフランス人の方が

これからは仏教徒として生きていきていく証が欲しいとのことで

受戒を希望し、横田南嶺老師から戒を授けられ戒名を受けました。

 また、円覚寺では、平成31年の遠諱事業の中で授戒会を予定しています。







 



 



根本は

1月24日(金) 制末大攝心 5日目

blog-DSC03164.jpg


 横田南嶺管長が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 姿、形、威儀、作法を大事にすることはもちろん大切なことでありますが、

形だけを守るのではいけません。もっと根本の大事なことは何でありましょうか?


 それは見性成仏です。各々の本心・本性を見るということに他なりません。

今、こうして見たり聞いたりしている意識・分別のおおもとは何であるか?

このいのちのおおもとは何であるか?


 このことをずっと尋ねていくと誰しも「本心・本性はみな仏心であり、観音様の心で

あった!大慈悲心であった!なんと自分は素晴らしい心を持って生まれてきたんだ!」と

気づくはずです。


 こう気がついたならば一々、殺すなと嘘をつくなとかといった戒を意識しなくても

自然ともののいのちを粗末にはしなくなり、お互い尊重し合わざるを得なくなります。


 根本はやはり見性成仏、つまり、本心は仏心であったという体験です。このことを

伝えるのが禅であり、戒の根本であります。

三帰戒

1月23日(木) 制末大攝心 中日

blog-DSC03160.jpg

<円覚寺山内・黄梅院 マンサク咲き始めました。>

 横田南嶺管長が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


三帰戒というものがあります。

南無帰依仏 (仏様をよりどころとします)

南無帰依法 (仏様の説かれた教え・真理をよりどころとします)

南無帰依僧 (仏様の教えを学ぶ教団をよりどころとします)


 戒というものは殺そうとしてはいけないとか嘘をついてはいけないといった

禁止、規則のように思っているとこの三帰戒はわかりにくいかもしれません。


 本来、戒というものはインドの言葉で「シーラ」と言いまして、日本語に訳すと

「習慣」「躾(しつけ)」に意味が近い。心に良い習慣をつけ、心に良い躾をつける。

この世の中を生きていく上で心に良い習慣をつけていくというのが戒の本来の意味

なのです。


 私たちは、毎日朝起きたら顔を洗ったり、口をそそいだりといった習慣を行って

います。そういう習慣が身についていればきちっとした生活を送ることができます。

心にも良い習慣を身につけておけば、この人生を豊かに生きること出来るのです。


 戒というのはこのように良い習慣を身につけるというのがもともとの意味であり

ます。むしろ、戒律の律という言葉に「あれをしてはいけない、これをしてはいけない

こういうことをしたら、こういった罰則を与える」といった規則、禁止事項の意味が

含まれています。


 三帰戒というのは、3つのことをよりどころとして生きていきましょう、良い習慣を

身につけていきましょうということなのです。





戒と本心・本性

1月22日(水) 制末大攝心 3日目

blog-DSC03156.jpg


 横田南嶺管長が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 達磨大師は「仏を見たいと思えば、自分の本心・本性を見よ。

自分の本心・本性こそが仏である」と仰せになっています。


 仏教には、不殺生戒、不偸盗戒などたくさんの戒があります。

しかし、仏様そのものはこの戒を守ろうという気持ちもなければ

戒を他人に課そうという思いもありません。


 本心・本性そのものは、戒だなんだと意識をしているわけでは

ありませんが、それでいて戒を破ることは決してない。


 それは、私たちの本心・本性が慈悲の心に他ならないからです。理想を言えば、

この本心・本性さえはっきりしていれば、一々、あれをしてはいけない

これをしてはいけないといったような細かい規則を学ばなくとも、また

常に戒を意識していなくても自然と戒律を保つ、守ることができる

のです。


 自分の本心・本性の尊さに気づけば、そこは生まれたの、死んだのという

ことがない仏心、生き通しのいのちであります。それが本当の不殺生戒で

あります。


 お釈迦様はお亡くなりになるときに、自分の死後は戒をたよりとしなさいと

言われました。戒を守れば安らかに暮らしていくことができると。


 仏法を伝えていくということは何であるか?それは具体的には戒を

伝えていくことです。仏法を修行するということは戒を守って伝えていくこと。

戒とは心の良き習慣、生き方です。


 何事もお互いいくつしみの心をもって相手に接することで戒を具体的に表していく。

そして、合わせて、私たちは今の時代に合った戒を伝えていく努力も怠ってはいけません。




心の持ちようによって

1月20日(月) 制末大攝心 初日

blog-DSC03151.jpg

<円覚寺山内・黄梅院 殿鐘>

 横田南嶺管長が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 人間の持って生まれた心というのはみんな平等です。

聖人と言われている人でも心の持ちようによっては愚かとなり狂ったもの

となります。反対にどんな狂った人でも克(よ)く念(おも)えば聖人と

なります。


 皆、持って生まれた心は同じでです。これを誤って、間違って使ってしまえば

悪人にもなり、犯罪を犯し、狂人になってしまう。克く念えば、立派な人に

なっていく。


 心を持って生まれてきたこと、これほど、尊いものはない。私たちは

お釈迦様や達磨様と寸分違わぬ心を持って皆、生まれて来ているのです。

それなのにその心を様々な欲望や目の前のものによってくらまさせてしまって

いる。


 本来持って生まれたこの素晴らしい心の光明を輝かしていく。これが私たちの

修行です。自分には特別な才能や能力がないと思うことはないのです。

心は誰もが平等ですから、心の持ちようによってやることができると思って

精進していただきたい。

blog-DSC03155.jpg

<黄梅院 縁側>



 

春季学生大攝心 応募開始

1月19日(日)

blog-DSC03149.jpg

<居士林・水仙>

 円覚寺・居士林で開催される平成26年春季学生大攝心(3月22日~24日)

の応募を開始しました。詳しくは本山ホームページをご覧ください。↓

http://engakuji.or.jp/zazen/#3

blog-DSC03144.jpg

<僧堂・粥坐>

 さて、明朝から26日まで、円覚寺専門修行道場(僧堂)では、

制末大攝心(1週間の集中修行期間)に入ります。

 吐く息も白くなるような、凍てつく寒さの中での坐禅修行です。




成人式の法話

1月14日(火)


 昨日、大本山・円覚寺で行われた成人式での

横田南嶺管長猊下の新成人へ向けての法話の映像です。

新成人はもちろん、これから我々が何をたよりにどう生きていくべきかを

力強く説いてくださっています。こちら↓

http://youtu.be/oyYTMP4g2W8

blog-DSC03126.jpg

円覚寺の成人式

1月13日(月)


blog-DSC03115.jpg

 本日は、円覚寺・大方丈に於きまして成人祝賀の会が行われました。

blog-DSC03121.jpg

 新成人21名とそのご関係の方合わせて、総勢50名の方々がご出席をされました。

blog-DSC03126.jpg

 管長猊下による新成人の方々への法話。

blog-DSC03128.jpg

「至誠」と書かれた色紙(記念品)の授与。

blog-DSC03137.jpg

記念撮影。

blog-DSC03138.jpg

 最後は、大書院にて、管長猊下ご同席のもと、出席していただいた方に

おしるこが振る舞われました。また、管長猊下の故郷、和歌山県串本の

「儀平」さんが「うすかわ饅頭」を成人式の祝いにと贈ってきてください

ましたので、皆様に召し上がっていただきました。

 円覚寺の成人式も今年で56回を数えます。第1回に出席された方も新成人になる

お孫さんの付き添いでいらしていました。

1月の日曜説教会 

1月12日(日)


 本日、円覚寺・大方丈で行われた横田南嶺管長猊下による日曜説教会の映像です。

3回に分けて放映します。

その第1回は、こちら↓

https://www.youtube.com/watch?v=vR0FHzloQuk

第2回は、こちら↓

http://youtu.be/bY7f2WXVee8

第3回は、こちら↓

http://youtu.be/JAABz8q_HgQ

blog-DSC03112.jpg

会場である円覚寺・大方丈には、この寒さにもかかわらず、今回も500人近い方々が拝聴に

お見えになりました。

成人式のお知らせ

1月10日(金)


blog-DSC03106.jpg

 大本山・円覚寺では今年も成人祝賀の会(成人式)を行います。

日時:1月13日(月) 午後2時受け付け

場所:円覚寺 大方丈

申し込み資格:平成26年4月1日現在満20歳の者で鎌倉市内在住・円覚寺有縁・

又は一般希望者

申し込み要領:1月12日までに円覚寺派宗務本所(tel 0467-22-0478)にご連絡ください。

式次第:①開会の辞 ②記念法話(円覚寺派管長 横田南嶺老師)③記念品贈呈「至誠」の色紙

④祝辞(円覚寺派宗務総長 齊藤宗徹師)⑤謝辞(成人者代表)⑥閉会の辞

⑦記念撮影(受け付け時に写真代として1000円をお預かりいたします。費用はこれのみです。)

その他:記念品の贈呈は当日出席した者に限ります。ただし、病気その他の理由で

出席できない者には代理人の出席を許可します。

(後記)
 
 たった1度の人生の節目に円覚寺の厳かな雰囲気の中で、

管長猊下のお話を聞き、色紙もいただけるという何とも貴重な機会です。

 皆様のまわりにも、今年、成人式を迎える方がいらっしゃるのではないかと

思います。ぜひ、お声掛けくださいますように。

 また、明日から土曜・土日坐禅会(於 居士林)は再開となります。皆様のご参加を

お待ちしております。

1月9日(木)


blog-DSC03092.jpg

 管長猊下揮毫。

(後記)

 明日は臨済忌(臨済禅師のご命日)です。午前6時から仏殿にて

管長猊下をはじめ山内の和尚様、雲水さんが出席して法要が営まれます。



1月8日(水)


blog-DSC03094.jpg

 管長猊下揮毫。

1月7日(火)


blog-DSC03099.jpg

 管長猊下揮毫。

 船底に水が溜まっている船は、櫓で漕いでも漕いでも、櫓は重く、船足は遅くなる。

その原因である、船底に溜まった水を汲み出せば、船足は軽くなり、快調に進むことが

できる。

 私たちめいめいにとってこの「船底に溜まった水」とは何でしょうか?




今日の言葉

1月6日(月)


blog-DSC03091.jpg

 横田南嶺管長猊下揮毫。

 性根玉は、私たち誰もが本来生まれながらに持っている仏様、観音様の心、

本心・本性です。

 山本玄峰老師の愛用句は、「性根玉を磨け、陰徳を積め」でした。

 これから、管長猊下の揮毫された色紙を「今日の言葉」として紹介して参ります。




明日が大般若転読・最終日です。

1月2日(木)

blog-DSC03007.jpg

 坂村真民さんの詩を管長猊下が揮毫されたものです。

円覚寺山内・黄梅院の掲示板に掲げられています。

blog-DSC03086.jpg

 さて、明朝で大般若転読の法要も終了です。最終日の予定は

午前5時 大般若転読「舎利殿」→開基廟回向「仏日庵」→大般若転読「方丈」

となっております。最終日は最後に参加者全員に「洗米」をお配りします。

 ちなみに「洗米」といういのは、洗った米をザルにあげ、乾燥させたものです。

 日本の信仰観では、「神人共食(しんじんきょうしょく)」といい、神仏の供えられた食べ物は、

その神仏の力が宿るとされ、それを多くに人とともに食べることによって、その神仏の力を

いただくことになるという考えがあります。ですから、配られた御洗米はお家でご飯に混ぜていただい

てください。

 また最終日も参加された方に甘酒をお配りします。

 どなたでもでもこの儀式を見学することができます。皆様のご来山をお待ちしております。

明けましておめでとうございます。

1月1日(水)

blog-DSC03009_20140101130418083.jpg

<管長猊下 揮毫布巾>

 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

さて、大晦日から元日にかけての円覚寺の行事をまとめてみました。

blog-DSC03035.jpg

 31日 午後11:50 管長猊下による除夜の鐘(国宝・洪鐘)のつき始め。

弁天堂にて諷経。

blog-DSC03043.jpg

 同時刻 僧堂(専門修行道場)にて除夜の鐘。こちらは雲水さんが鐘の四隅にいて

お経を唱えている中、4人一組でうっていきます。今年はマスコミで紹介されたせいか、

400人を優に越える数の人が鐘をつきに参られました。

blog-DSC03051.jpg

 元日 午前2:30 僧堂では新年の儀式の始まり。

blog-DSC03052.jpg

 まず、僧堂師家(指導者)でもある管長猊下が拄杖(つえ)を持ちながら

歳旦(新年)の偈(漢詩)を唱えました。

blog-DSC03046.jpg

blog-DSC03056.jpg

賀扇参拝(がせんさんぱい)。床の間には達磨大師の祖像をかかげその前に鏡餅

などを備え、賀扇(赤い扇)を献じて参拝をします。

blog-DSC03058.jpg

 そして茶礼。梅湯と蓬莱(みかん、干菓子、栗、昆布、・・・などが盛られている)

をいただきます。

blog-DSC03059.jpg

 午前3:00 朝課(朝の誦経)。今年は初めて管長猊下の取り計らいで

建物の外で見学をしていた一般の方々にもあがってもらって朝課に参加して

いただきました。

blog-DSC03067.jpg

 午前5:00 仏殿にて本山行事の祝聖。太鼓と鈸の音の中で無言行導(普通は

お経を唱えながら歩きますが、この時は無言で行導をします。)

blog-DSC03064.jpg

管長猊下による歳旦の偈。

blog-DSC03074.jpg

 午前5:20 舎利殿の移動して諷経。

blog-DSC03078.jpg

 舎利殿の後ろに位置する開山堂にて大般若転読。

blog-DSC03089.jpg

 午前6:00 大方丈に移動して。大般若転読。

(後記)

明日、2日は午前6時 大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」

明後日、3日は午前5時 大般若転読「舎利殿」→開基廟回向「仏日庵」

    →大般若転読「方丈」

の予定となっております。どなたでも儀式を見学することができますので

ぜひ、ご来山くださいますように。







上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。