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除夜念誦

12月31日(火)

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 今日は14時から仏殿に於きまして除夜念誦を行いました。

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 仏殿の一角にある土地堂(北条時宗公のお位牌を中心に左右に伽藍神が

安置されています)の前に、横田南嶺管長をはじめ山内の和尚さん、

雲水さんが出席してお経を唱えました。

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 終わって舎利殿に移動し、誦経。

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最後に「庭間触礼」(ていかんそくれい)という儀式でした。

円覚寺では5月15日の早朝と12月31日の夕方にこの儀式を行います。

(後記)

 今後の円覚寺の予定ですが、16時にいったん閉門となります。

そして、23時に再び開門し、23時半過ぎ頃から僧堂と国宝・洪鐘の

2カ所で除夜の鐘となります。僧堂の方は一般の人でも鐘をつくことが

できます。

 元日は、午前5時 祝聖(佛殿)→大般若転読(舎利殿)

→大般若転読(方丈)です。

 大般若転読というのは病気平癒、五穀豊穣、火防等の祈祷の儀式です。

古来から東大寺、薬師寺などで行われてきた儀式です。

 ちなみに、方丈の大般若が6時前くらいに始まりますので、

例年、一般の方は最初から方丈でで待っている方が多いようです。

どなたでも見学することができますので、皆様、ぜひ、ご来山ください。



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年末年始の行事のお知らせ

12月28日(土)

年末・年始の円覚寺・本山の行事ですが、

31日 14時  除夜念誦「佛殿」→「舎利殿」

     23時40分頃 国宝大鐘で除夜の鐘→弁天諷経
              
     (ただし、大鐘は一般の方はつけませんが間近で
        
      聞くことができます。数百年を経た大鐘の響きは

      歴史を感じさせてくれます!)

     同時刻に 「舎利殿のある僧堂」にて除夜の鐘

     (こちらは誰でもつけますが毎年混み合いますので

      108枚の整理券を事前に配っています。

       雲水さんが鐘の四方に立ちお経を読んでいる中で

       だいたい4人一組になってつきます。)


 1月1日 午前2時半  僧堂では新年の儀式、終わって朝課

      (今年始めのお経を読みます。普段は入れない僧堂に

       年末・年始は入れますので、建物の外からですが

       雲水さんがお経を読んでいる姿を拝見することができます。)

        5時   祝聖「佛殿」→大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」

        (方丈の大般若が6時前くらいに始まりますので、

         例年、一般の方はそこで待っている方が多いようです。)

   2日   6時   大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」

   3日   5時   大般若転読「舎利殿」→開基廟回向「仏日庵」

              →大般若転読「方丈」

           
   年末・年始は普段は一般公開されていない舎利殿に近くまでいく
 
  ことができ、夜はライトアップされています。方丈での大般若転読は

  誰でも建物にあがって拝見することができます。皆様のご来山をお待ち

  しております。

餅つきとささびこんにゃく

12月27日(金

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 今日、円覚寺僧堂では、午後6時から餅つきでした。横田南嶺管長をはじめ

雲水さん、山内和尚さんや縁ある方々が集まり、大きなかけ声のもとせいろで

蒸し上がった餅米をついていきました。 

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 お正月用の鏡餅やのし餅を作りました。

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 こちらの写真は和歌山県熊野川町の方々が作ったささびこんにゃくです。

ささびというのは、篠尾と漢字で書き、1000メートルの山々にいだかれた

熊野地方の山里で、平均年齢80才で30人の人口の村です。

 2年前の紀伊半島大水害の慰問に横田管長が訪れたときに、管長が

「大変でしたね」と声をかけた方がこの村の方でした。
 
  その方は管長さんのこの時の言葉に感銘を受け、それから毎日のように

「延命十句観音経」を唱えるなどして親しい人を亡くした悲しみを乗り越えました。

 そのお礼にと今回、このささびこんにゃくを1箱も送ってきてくださったのです。

12月25日(水) 冬季学生大攝心 最終日


横田南嶺管長が冬季学生大攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 みんな仏様、観音様と寸分違わぬ心を持って生まれてきている。

仏様、観音様の心が私たちめいめいの本心なのです。本心を見失うのが

迷いであり、それに気づくのが悟りであります。


 修行の本質というのはその本心に目覚めることに他なりません。

その為に腰骨を立ておなかにグッと力を入れて長い呼吸をする。そ

そうすると心の様々なみだれ、心の表面のざわつきもおさまってくる。


 水の表面が波立っていると底が見えない。しかし、表面がおさまると

底まで透き通って見える。そのように心の表面のざわつきがおさまると

見えてくるのは、私たちの本心というのは仏様、観音様の心である

ということなのです。


 あらゆるお経というのは、私たちの本心とはいかなるものかを説いています。

あらゆる仏像などもその姿を見れば私たちの本心が何なのかわかるように

できています。

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 最近、あるお寺からこの観音様のお軸をいただきました。

明治時代にご自身坐禅を経験された方が描かれたもので

高い精神性がうかがわれます。


 これも、私たちめいめいが持っている本心を姿・形に表したものなのです。

(後記)

 おかげさまで、平成25年冬季学生大攝心も無事に終了しました。

一番寒さの厳しい時期に最後までご参加いただき、誠に有り難う

ございました。

便利・楽を求めた先は

12月24日(火) 冬季学生大攝心 中日


 横田南嶺管長が昨日の冬季学生大攝心でご垂示されたことをまとめてみました。

(今回の学生大攝心は、この一番厳しい季節にもかかわらず、大学生を中心に25名の方々が

 参加をされました。)


 リニアモーターカーに関して批判的な記事が載っていました。

その記事には、新幹線が出来たとき、谷川俊太郎さんが作った詩が引用されて

いました。そんなに急いでどこに行くのか。田植えで働いている人の手が見えない。

人間が小包のように運ばれていくという内容の詩です。


 現代は世の中の進歩が過去の歴史から見てもたいへんなものとなって

「便利」「楽」になったと思われている。しかし、よくよく考えてみると

いったい、そこに幸せはあったんでしょうか?


 このまま走り続けて行き先はどこに向かっているのか?幸せの道か?

不幸の道か?はたまた、滅亡の道でしょうか?少し考えてみる必要が

あろうかと思います。


 便利になったからといって必ずしも幸せに結びつくものではないと

思います。「便利」「楽」だけをを求めていく先にあるのは幸せではなくて

不幸なのではないでしょうか。


 私たちはどこかで何か大切なものを見失って荷物の小包のように

運ばれてはいないでしょうか。そうならないようの私たちはもっと

人間の根本、おおもとに立ち返らなくてはなりません。


 生きるということ何であるか?生きているということはどんなこと

であるか?この体で体験、実感をして、そこから何を成すべきか

どういう方向に向かっていくべきかを見極め、確かな一歩を進んでいく。


 それが私たちの坐禅の修行の目的です。外に向かって働く心をいったん止めて

自分の心をおさめて、内面を見つめる。そして各々の心の内にある確かな

より所を見つける。

 
 そこに根をおろして確かな歩みを一歩一歩進めていくきっかけに

この坐禅会がなったら何よりの幸いです。

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 <円覚寺山内・妙香池から> 16時20分頃、夕日に照らされて山全体が

燃えるように赤く染まっていました。ここ数年で一番の染まり具合です。






 

無事

12月22日(日)


 昨日、文京区白山道場にて今年最後の"坐禅の集い"が行われました。

碧巖録第三十三則「陳操隻眼を具す」を南嶺老師に提唱して頂きました。


〜無事とは何か〜

 無事とは、臨済禅師の教えの中核であり

心が外に向かって求めることを止めた状態です。

 
 我々は普通に生活してますと

取るに足りない様な情報に捕らわれ振り回されて

常に心があちらこちらに走り回っております。


 その為、自分の心がどんどん疲弊してしまい

気持ちが安らぎません。


坐禅は外に向かって求める事を止める修行です。


 手のひらを上に向けて法界定印を組み

なんにも持とうとしない

手放す事によって本当に必要な物が見えてきます。


 普段掴んでいる物を離してゆったりと坐り

仏の御心の中で生かされている事を身体で感じ取り

無事に生きてゆきたいと思います。

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(後記)

 明日、午後5時から居士林では、冬季学生大攝心が始まります。

応募された方のご来山をお待ちしております。

 なお、居士林では暖房器具等はございませんので、参加者の方は

ご自分の体調を考慮して防寒対策をしてください。ダウンやコート等は

着用できませんので、必要な方は中に着込むようにしてください。

赤く染まる山

12月20日(金)


 今日の夕方4時頃の、夕日に赤く染まる黄梅院の山の映像です。こちら↓

http://youtu.be/78k6fZ1Ta5Y

年に数日だけ、様々な気象条件が重なることによって、山が赤く染め上がります。

不思議で神秘的な光景です。

(後記)

 冬季学生大攝心の応募を先日締め切らせていただきました。

締め切り後から応募された方でも若干のキャンセルが出ましたので

参加することができますので、当日、ご来山ください。

幼稚園 餅つき

12月17日(火)


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 今日は、円覚寺専門修行道場(僧堂)に於きまして円覚寺山内にある

北鎌倉幼稚園の餅つき大会が行われました。

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 雲水さんがつき手、横田南嶺管長がかえし手をされています。

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 園児や雲水さんの「よいしょ!よいしょ!」のかけ声のもと、

お餅をついていきました。

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先生といっしょに。

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園長先生も登場です。


学習院出向坐禅

12月15日(日)

横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。

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昨日、学習院大学坐禅部のたっての招き応じて、目白にある学習院大まで行って

来ました。案内されて、学内にある雑木林の道なき道を通っていくといかにもひなびた

掘っ立て小屋に行き着きました。これが学習院大坐禅部の禅堂です。

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 中はしっかりとしていて、中央に敷瓦があり単(坐る場所)もありました。

窓などはまるで時代劇に出てくるようで、木のつっかえ棒で開いています。

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 けやき、かし、しいなどまわりは雑木林に囲まれ、まさに大自然に包まれて

坐禅をし時折聞こえる電車の音も気になりませんでした。

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 現役部員ら10人といっしょに坐禅をし、いっしょに「延命十句観音和讃」などの

お経を読み、そして最後に一方的に話すのではなく、訊かれて答える質疑応答を

しました。「なぜ、観音和讃を作ったのですか?」や「坐禅中、寒くて仕方がないのですが

暖かなる方法は?」などの質問をいただきました。最初の質問には「本当に悲しんでいる人に

空や無を説いても意味がない。本当に悲しんでいる人にはともに悲しみともに祈るのが

宗教の根本。」と答えました。次の質問には「ない。シベリアやアラスカなら何か対策を

しなければならないが、これぐらいの気温なら凍え死ぬことはない。肚に力を入れて

長年やっていれば暖かくなる。」と言いました。

 こうして自然の中で寒い中をいっしょに坐禅をすることは本物であります。

年末年始 休会のお知らせ

12月13日(金)

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<円覚寺山内・寿徳庵階段から宗務本所を望む>


 年末年始の土曜坐禅会・土日坐禅会(於 居士林)ですが、

12月21日が年内最後となります。

 年末年始と1週ずつお休みとなり再開は、来年1月11日からと

なります。皆様、宜しくお願い致します。

居士林主事 合掌


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<居士林と仏殿の屋根とイチョウ>


晩秋の円覚寺

12月11日(水)


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<山門>

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<総門>

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<白鹿洞脇の参道>

日曜説教会 映像

12月8日(日)


 本日の円覚寺大方丈で行われた日曜説教会の映像です。

円覚寺派管長 横田南嶺老師が法話をされています。こちら↓

http://youtu.be/N-mQSmmOuqo

http://youtu.be/4KgOMb1UQiw

http://youtu.be/mHLc9HfxJ5c

たいへん寒い中にもかかわらず、今日も会場には500人近い方々が

拝聴にお見えになりました。

(後記)

 おかげさまで臘八大攝心、無事に終了いたしました。

皆様、有り難うございました。

臘八 最後の提唱

12月7日(土) 臘八大攝心 最終日

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 臘八大攝心の提唱も今日で最終日となりました。

横田南嶺管長が臘八を終えるにあたって詩を作られました。

{祈ると必ず雨が降るという名人がいた

どんな秘法なのか

それは簡単だ

雨が降るまで祈り続けるという

 ダライラマの祈りの言葉に

「世界が苦しみに耐え  

生類が苦しみ続けているかぎり

この世の苦痛を取り除くために

願わくはわたしもまたそれまで

共にとどまらんことを」とある

 多くのご供養をいただいて

暮らす私たちには

とてもその供養を

受けるに足りるような

修行ができるものでは無いが

せめて、

世の人々の悩み苦しみが除かれて

みな幸せになるよう

祈りつづけ

世の人々の苦しみが

無くならない限り

この修行をやめないという

願いだけはもちたい

 刻苦光明盛大なり

身を削って修行をした分だけ

ささやかな光となって

まわりを照らすことができると

そのことをただ信じて

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臘八6日目

12月6日(金) 臘八大攝心 6日目

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<円覚寺山内・龍隠庵から山門を望む>


 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。

(攝心も終盤になり、疲れの見える雲水さんらに地鳴りのするような

気迫こもった声で叱咤激励されました。)


 参禅の修行というのは、畢竟、闘いである。自分の雑念・妄想と闘い

昏沈、睡魔と鬪かう。良いだ悪いだ、憎い愛しいだという是非憎愛など

様々な思い感情と闘い、最後は一切の自分の迷いと闘って勝ちを得る。


 その為には勇ましい、猛々しい、勇猛でなくてはならない。このまま

妄想や眠気や自分の弱さに負けてしまい無様に攝心を終えてしまうか、

それとも、勇猛果敢にこれに打ち克っていくか?


 もう一度腰骨をしっかりと立てて、ここまできたら、両目は半眼では

寝てしまうから、目の玉をひんむくように大きく開けて、奥歯をかみしめて

坐れ。


 仏道の修行は、一人が万人と鬪かうがごときである。万人と鬪かう気迫で

立ち向かっていけ。


 弓も折れ 矢も尽き果てたところに 

     さしも許さず 強く射てみよ


 弓も折れ矢も尽き果てようとそれでも全身でもって弓をひけ。

最後まで気力を振り絞ってやってもらいたい。


 

臘八5日目

12月5日(木) 臘八大攝心 5日目


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<円覚寺山内・居士林 山門>


 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。

 坂村真民さんに「鈍刀を磨く」という次のような詩があります。


{鈍刀(どんとう)をいくら磨いても
  
無駄なことだというが
  
何もそんなことばに
  
耳を貸す必要はない
  
せっせと磨くのだ
  
刀は光らないかも知れないが
  
磨く本人は変わってくる
  
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
  
磨く本人を
  
光るものにしてくれるのだ
  
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
  
だからせっせと磨くのだ}


いい加減に磨いている人は、いくらやったって何にもなりません。

坐禅の修行で一番慎むべきこと、おそるべきことは、何と言っても

惰性で修行をすることです。


 惰性でやっていたのでは、いくらやっても何にもなりません。

必死になって修行に打ち込むのです。全身から玉の汗が出るくらい

一生懸命にやる。


 そうすれば、刀は錆びついてどうしようないかもしれないが磨いている

本人が光ってくる。一生懸命に修行に打ち込んでいる本人が光ってくるのです。

臘八中日

12月4日(水) 臘八大攝心 中日


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<円覚寺山内・居士林 山門>

 
 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。


 惰性で坐禅をしていたのではだめです。力を込めて一呼吸一呼吸

おへその下、おなかの下を張り詰めていく。


 昔から仁王様の気迫を持って坐れと言います。そうすれば、体がそびえ立ってくる

気持ちになる。全身が燃えてくる感じ出てきて頭から湯気が出てくるののでは

ないかと思う位の気持ちになる。


 坐禅をしていて縮こまるようでは駄目です。大きく坐らなくてはいけない。

そしておなかに力を込めてやっているとお経の声も通るようになってくる。


 下腹部を風船をふくらましたかのように張り詰めていく。しぼんでいるようで

まだまだです。そうして、どんどんと張り詰めていくと最後はパンと破裂する

感覚がある。


 それは決して風船がなくなったわけではありません。自我が破裂して天地と

1枚になったところです。


 我という 小さき心を捨ててみよ 

       三千世界に 充ちるいのちぞ


 それは、もう自分と他人との隔てのない、生き通しのいのちです。

「生きているものを確かにつかみより」と古人が言った世界です。

この生き通しのいのちを体験する修行であります。


 

臘八3日目

12月3日(火) 臘八大攝心 3日目


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<円覚寺山内・黄梅院>

 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。


 公案(禅の問題)というのは、断命根(だんみょうこん)という、

考えを断ち切る為の刀のようなものです。それを公案を解こうとして

あれこれと考えてしまっては、考えれば考えるほど答えからは

遠ざかってしまう。


 公案は、意識・妄念を全部斬る捨てて片付けていく一振り刀なのです。

あらゆる公案がそうなのです。


 何年坐っても坐禅布団の上で足を組み腰を立てて、鼻から天地一杯の空気を

吸い込んで、無字の一呼吸でもって意識分別を断ち切る修行です。何年修行を

やろうとこの繰り返しであります。

臘八2日目

12月2日(月) 臘八大攝心 2日目

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<円覚寺山内・龍隠庵から>

 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。


 仏祖三経という書物の中に次のような言葉があります。

「仏道を修業するということは、木が川の流れの中で流れていくようなもの。

両方の岸で途中ひっかかったり、人の為に取り除かれたりせずに

ただ、その流れに随っていけば、その木ぎれは必ず大海にたどり着くことが

できる。」


 この言葉を見て若き時の白隠禅師は大いに力をえて、「自分のようなものでも

はたして修業を成し遂げることができるのか」という疑いを払拭することが

できたと言います。


 こうしてみんなでいっしょにやっていれば必ず大きな悟りに到ることができるのです。

流れに随ってやっていけば必ずできるのだと自ら自信を持ってやっていただきたいと

思います。

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<居士林 中庭>



臘八大攝心開始

12月1日(日) 臘八大攝心 初日


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 今月の黄梅院掲示板の詩です。

横田南嶺管長揮毫。坂村真民さんの詩です。

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 円覚寺専門修行道場では、今朝から臘八大攝心が始まりました。

修行僧(雲水さん)は1週間、横にならずにひたすら坐禅に打ち込む

修行期間が始まりました。

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 今日の提唱の中で、横田南嶺管長は、次の言葉を引用され叱咤激励されました。

 「すべてその道に身を入れるものは、その道にひたりきらなくてはならない。

体のあらゆる細胞がみんな一つになって打ち込んでいかなくてはならない。」


 これは森信三先生のお言葉です。自分の体の全細胞が坐禅に向かって取り組んでいく。

全細胞を目覚めさせて、禅の問題に取り組んでいくことを心がけてもらいたいと

仰せになりました。
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