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国宝・舎利殿 特別公開

10月31日(木) その2


 11月2、3,4日と宝物風入と同時に円覚寺・国宝 舎利殿が特別公開されます。

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 普段は、舎利殿周辺が禅の修行道場の為、↑の写真のように、この位置までで、

遠くに舎利殿の屋根を眺めながら、お詣りをするのですが、この期間だけは

特別に↓の映像くらい、間近で舎利殿を拝観することができます。
     
https://www.youtube.com/watch?v=iGDNpoqrBb8

 「扇垂木」と呼ばれるちょうど扇を開いたような形の垂木など、

繊細な美しさに誰もが感動するような建物です。

  
 また、建物はものちろん、この舎利殿を取り巻く空間も堪能してみてください。

ここを見学したある国の外交官が、世界で一番美しい場所だと絶賛されたそうです。

 
 その他、今、若い人や外国の方々にまでご朱印ブームが起きているそうですが
 
円覚寺でも、この3日間だけ、いつものご朱印(総門前)に加えて、宝物風入会場入り口と

 舎利殿入り口でも特別ご朱印を書かせていただきます。

 さらに売店では、来年の横田南嶺管長揮毫・卓上カレンダーも販売されます。

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貴重な機会です。皆様、ぜひ、お誘い合わせの上、ご来山下さいますように。

(後記)

 明日の「居士林だより」では、宝物風入会場の中の映像を紹介する予定です。

皆様、お楽しみに。








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11月の詩と宝物風入

10月31日(木)


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坂村真民さんの詩。横田南嶺管長揮毫。

黄梅院の掲示板にはってあります。

(後記)

 11月2,3,4日と円覚寺では、円覚寺所蔵の「お宝」の

一般公開を行います。同時に、普段は公開されていない国宝・舎利殿が

特別に公開されます。皆様のご来場をお待ちしております。

 詳しくは円覚寺公式ホームページをご覧ください。

          ↓
http://www.engakuji.or.jp/event/houmotsu.php




生きていることへの感謝の祈り

10月28日(月) その2


 横田南嶺管長は、提唱や法話など大勢の方々を前にしたお話の時に

会場の皆様といっしょに手を合わせます。そして、私たちが、今、こうしてここに

生きていることに感謝する祈りを捧げます。その映像を掲載しました。

https://www.youtube.com/watch?v=OPFYfs-5x-o

 皆様もパソコンの画面の前で手を合わせて、今ここにこうして生きていることに

感謝する祈りを捧げてみてくださいますように。

(後記)

 今までの映像を「カテゴリー」の中の「ビデオだより」にまとめました。

皆様、ご高覧ください。

読書会の方々

10月28日(月)


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 今日は穏やかな秋日和となりました。

 僧堂前のモミジが夕日を受けて、紅葉に移り変わる前の最後の緑を

輝かせておりました。

 円覚寺では、11月後半から12月初頭にかけて紅葉が見頃となります。

 今年は何年かぶりに塩害に被害も少なく綺麗に色づくのではないかと思います。

その時はyou tubeで映像を掲載したいと考えています。皆様、お楽しみに。

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 昨日は、岐阜の美濃加茂市と伊東市から読書会の方々が

横田南嶺管長をお訪ねになり、本山にて法要、法話、座談会、そして、

舎利殿拝観を行いました。

 座談会では、打ち解けた雰囲気の中、仕事のことや家庭のことなど参加された

方々が熱心に管長さんに質問をし、それに対して管長さんは、一つ一つ真摯に

お答えになっておられました。

 終わってすぐに、管長さんは、明日、伊勢崎で行われる泉龍寺晋山式に出席される為、

電車で出発されました。

blog-泉龍寺 晋山式

本日は、群馬県伊勢崎市の臨済宗円覚寺派泉龍寺にて晋山式が厳修されました。

晋山式とは新任の和尚さんが正式に住職として入山(入寺)する儀式で、

その山に晋(すす)むという意味があります。

 管長猊下をはじめ、近隣の和尚さん、お手伝いの和尚さん、

檀家の皆さんが就任の御祝いに大勢お越しになりました。

 新しいご住職は南嶺老師の下で長く修行された方で、

管長さんから心あたたまる祝福のお言葉を頂戴し、

爽やかな秋晴れの下、とても盛大で華やかなお披露目となりました。


坐禅=大慈悲

10月24日(木) 入制大攝心 5日目


 横田南嶺管長が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 江戸時代後期の禪僧で白隠禅師の師匠でもある道教慧端禅師(通称 正受老人)は

山にこもること45年という専ら坐禅三昧の日々を送られました。それを(街に出て

人々のために教えを広めるのではなく)自分の為だけに修行をしていると言う人も

ありますが、正受老人は決してそうではありませんでした。


 ある時、正受老人が住んでいる村にオオカミの大群が毎日のように現れ、村人を

苦しめました。そのような時に正受老人は、オオカミが出没する場所に1週間、坐禅を

し続けたと言われます。そうすると自然とオオカミは村に現れなくなりました。


 正受老人はその行為を「正念工夫を試みる為に行った(オオカミの中でも修行で培った平常心を

保つことを試す為)」と言われたそうです。しかし、正受老人の本当の思いは、村の人々がオオカミに

襲われて困っている状況を何とか救いたいと思いそのように行動したのだと思います。


 『坐禅儀』に「坐禅をするには、まず、大慈悲心を起こして人々の苦しみを救おうという

心を起こしなさい」とあります。また、『論語』には「身を殺して仁を成す」という

言葉があります。



 正受老人が実践したオオカミの群れの中での坐禅というのは、まさに自分がオオカミに

かみ殺されても、村の人々の為に何とかしたいという大慈悲心の発露であると思われます。


 坐禅というのと大慈悲というのは別もののように思われがちですが、この正受老人の坐禅と

なるとまさに大慈悲の坐禅といくべきものでしょう。


 オオカミの群れの中で坐禅をするほど厳しいものはありません。ほんの一念でも「やだな」

と「恐ろしいな」という念が湧いてきたら命はありません。我が身を守る、我が身をかわいがる

思いをすべて捨て去り断ち切って、村の人々のことを思いやって坐禅を実践されたのが

正受老人だと思うのです。


 坐禅をするということと大慈悲を行うことは決して別ではありません、一つなのです。

自分の中のわがままな思いを捨て去って人の為に慈悲の実践をする、これが私たちの

目指すところの坐禅であります。

(後記)

 正受老人がオオカミの群れの中で坐禅をした話は、以前の居士林だよりで紹介しました。

ご覧になってください。

http://http://kojirindayori.blog108.fc2.com/blog-entry-242.html

四智円明(しちえんみょう)

10月23日(水) 入制大攝心・中日


 横田南嶺管長が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 坐禅をすれば無念・無心になると言いますが、それは、何も見えなくなる、

何も聞こえなくなる、何も感じなくなることでは決してありません。むしろ

ありありとはっきりと物事が見えてくる、そういう智慧が開けてくるのが

本当です。


 「正受(しょうじゅ)」という言葉がありますが、これは「正しく受ける」

つまり、ありのままに物事受け取るということに他なりません。しかし、

人間というものは、ありのままに見るということはきわめて困難なことです。

大概は自分の都合の良いようにか、自分の分(ぶ)が良いように見てしまって

います。


 ですから、坐禅をして正しい智慧の眼を開くことが大切なのです。

白隠禅師坐禅和讃に「四智円明」という句が出てきます。

この「四智円明」こそ坐禅をして我々が目指すべきところなのです。


 四智とは

一、大円鏡智・・・鏡のようにすべのものをありのままにうつしだす智慧。

二、平等性智・・・普段、私たちは自分の都合でものを差別して見ていますが

         それを離れて物事を平等に見る智慧。

三、妙観察智・・・対象について十分に観察をする智慧。

四、成所作智・・・以上のように状況が把握出来たうえでその場でどうすれば

         いいか、何を為すべきかがわかる智慧。


 私たちは生きているといろいろな物事が起こり、様々なことが降りかかって

きます。坐禅をするということはそういう物事に対して何も感じない何も気づかなく

なるということでは決してありません。



むしろ正しい坐禅をすることによって、心の散乱を防ぎ、ありのままに状況

を受け止め、自分の考えや思いこみを捨てて平等に物事を見ることができるように

なります。


 そして、よく観察することによって、どうしてこういう状況になったのか

こういった次第に相成ってしまったのかがわかり、この場をどのように対処

したらいいのかが自然とわかってきます。


 つまり、坐禅をしていけば、「四智円明」つまり、私たちが本来誰もが持っている

「四智」の働きが十分に発揮されるようになるのです。


 




 


 

続灯庵のご老僧

10月20日(日) 入制大攝心・初日

 
  円覚寺専門修行道場(僧堂)では、今日から雪安居(10月~1月の集中修行期間)の

始まりです。横田南嶺管長は、今日の開講(雪安居最初の提唱)で、一昨日に96才で

ご遷化された円覚寺山内・続灯庵のご老僧のお話をされました。

 
「 続灯庵のご老僧が一昨日御遷化なされました。今日は居士林の方も大勢見えていますが、

今日の居士林のもとを築かれたかたでした。また戦後の円覚寺を支えた方のお一人でも

ありましょう。飄々と境内を歩かれるお姿は、まさしく禅僧のお姿でありました。
 
 
 私の代になってもよく講座に見えてられておりました。忘れられないのは、ある日のこと、

講座が終わって隠寮に戻ると、老僧が当時八十を超えてらっしゃいましたが、隠寮に見えて、

さっきの講座の言葉を書いて欲しいと頼まれました。何だろうかと思うと、

「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」という論語の言葉を説明しようとして、

アントニー・デ・メロという方の詩を引用したのでした。

   
 それは「何もかもなげうって死さえいとわないほど価値ある宝が見つかったときにこそ、

人は本当の意味で生きる」という言葉でした。この言葉を書いて欲しいという事でした。
 

 八十歳を超えてなお、こういう言葉に感動して、若い私に書いて欲しいと頼まれる、

その志に深く打たれました。忘れ得ぬ思い出です。この道にいのちをかけるなどと言っても、

今日の恵まれた時代にはかえって難しいことかも知れません。


 
 老僧九十六歳病無くして寂然と遷化されました。恰も生けるが如きお姿で入定とは

こういう事を言うのかと思いました。一生涯をこの道にかけたればこそのお姿でも

ありましょう。
 
 
 奇しくも入制の摂心を迎えて、ご老僧がこの僧堂のすぐ上の続灯庵で、今なお生けるが如く、

私の拙い講座を聞いて下さっていると思って勤めて参ります。」



羅漢講式の映像

10月18日(金)


 先日、行われた羅漢講式の映像をyou tubeにて見ることができます。

以下をクリックしてご覧になってくださいますように。

(居士林だよりからのみリンクできる限定公開をしています。)

http://http://www.youtube.com/watch?v=ZRIKtvy3sXU

 
http://https://www.youtube.com/watch?v=TPaOQ0CFLQw

全日仏会議 於 高野山

10月17日(木) その2


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横田南嶺管長は、高野山で開催された全日本仏教徒会議に出席されました。

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 ホームページによりますと、「公益財団法人 全日本仏教会」とは

『 現在、日本には約75,000の伝統仏教の寺院、教会、布教所等があり、それらの多くはいずれかの宗派や教団に

所属しています。全日本仏教会は、その中の主要な59の宗派、36の都道府県仏教会、10の仏教団体、合計105団体

(平成24年12月10日現在)が加盟している、日本の伝統仏教界における唯一の連合組織です。広く社会に向けて、

仏陀の「和」の精神を基調に、仏教文化の宣揚と世界平和に寄与することを目的として今日に至っております。』

とあります。詳しくはhttp://www.jbf.ne.jp/about/about_JBF/boardmember.htmlまで

 この全日仏ですが、現在は、会長は天台座主で副会長を横田管長さんが務めています。





観音様のこころ

10月17日(木)その1


 横田南嶺管長が先日の舍利講式で法話されたことをまとめてみました。

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「衆生を慈念すること猶(なお)赤子(しゃくし)の如(ごと)し」という

言葉があります。人々をいくつしみ、思いやることは赤ん坊を思うようにという

ことです。


 お釈迦様というのは、この世界をみんな自分の子どものように思っている。

生きとし生けるものはみな自分のかわいい子どもであると。自分のこどもを

いくつしむようにあらゆるいのちをいくつしんだのが、お釈迦様の心であります。


 お経というのはたくさんありますが、みんな私たちの心がどういうものかを

説いています。私たちの心とは、実は、お釈迦様や観音様の心と寸分も

変わらないのです。みんな誰もが観音様の心を持っていると気づくのが

仏の教えです。


 相田みつをさんが詩で観音様の心をわかりやすく表現しているので

一部を引用させていただきます。

『観音さまの心を』                   

赤ん坊の泣き声を聞いただけで 母親には赤ん坊の気持がわかる

そのときの母親は 子供にとっては観音さまだから

母親は子供の気持になりきるから 子供の訴えがよくわかる

母親は子供の声を ただ耳で聞いているのではない

子供の声を 全身で観ているのだ

母親は子供の声を観るから 子供の観音さまだ

子供の気持がよくわかり 観音さまだった母親が

子供が大きくなるにつれて 子供の気持がわからなくなる

観音さまでは なくなってしまうからだ

なぜ・・・・・・?

他人の子との比べっこ

そんとく、勝ち負け、競争心

教育投資なんていう そろばん勘定が

母親の心を汚染してしまうからだ

世のお母さん方よ

そんとく離れた観音さまの心を 再び取り戻して欲しい

人間の作ったいまの価値観を 根底から

変えることのできるのは いままで観音さまだったお母さん

あなた自身です・・・続く


 こういう詩を読むと観音様の心というものがどういうものか本当に

よくわかる。私たちは、そういう観音様の心を持っているはずなのに

自分の都合やいろいろなことに遭遇してそれを見失いがちです。


 私たちが本来持って生まれてきた心というものは、人のことを

自分のわが子に対するようにいくつしみ、思いやる心、つまり、

観音様の心なのです。お釈迦様とも同じ心をいただいて生きている

のです。

(後記)

横田南嶺管長の法話(平成25年10月13日・日曜説教会)をyoutubeで

拝聴することができます。以下をクリックしてください。

(後半部分の法話となっています。)

http://www.youtube.com/watch?v=A3U0ImyVVZY


舍利講式

10月16日(水)


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 昨日は舍利講式の儀式が大方丈にて厳かに行われました。

開帳されている厨子に安置されているお舍利の前で、

横田南嶺管長をはじめ和尚さん方が参列の中、担当の和尚さんが

お舍利の由来の書かれた文章を独特の節回しをつけて読んでいきました。

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 午前10時からは管長さんによる法話でした。手前には十六羅漢の掛け軸が

かかっています。

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 百味供養。北鎌倉幼稚園生とその父兄さんなどが百味(お花とお菓子、果実)

を手から手へ受け渡して、祭壇(須弥壇)にお供えしていきます。

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 北鎌倉幼稚園児による散華の舞。

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 午前11時から大施餓鬼でした。縁側に設けられた祭壇にお水を手向ける「水向け」

という儀式の様子です。

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回向。

(後記)

 今、「円覚寺ビデオだより」を立ち上げようと企画しています。円覚寺にお越しになれない

方々にも、管長さんの法話や様々な儀式の映像を通して、皆様が円覚寺により接する機会が

増えるように実現して参りたいと思います。

 今回、実験的に大施餓鬼の映像を撮影しました。以下をクリックしてご覧になってください。

http://www.youtube.com/watch?v=3uGKsAhdUYU

 

 

母は観音様

10月14日(月) その2



 横田南嶺管長が昨日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 お釈迦様は、「あたかも母親が自分の子どもをいのちをかけて守るような

そんな気持ちで、あらゆるいのちあるものに接しなさい。あらゆるいのちに

対していくつしみの心を起こす。立っていても、坐っていても何していても

この慈悲の心を失ってはならない」とお説きになっています。


 坂村真民さんにしても相田みつをさんにしても、お二人の根本には

そのお母さんからいただいた愛情があるのだと思います。そのお母さんの

思い・念を伝えたくてたくさんの詩を書いたのだと思うのです。


 相田みつをさんに母のような観音様の心をわかりやすく表現した詩があります。

長い詩ですのでその一部を紹介します。


『二人の門出のために』

どんな話でも どんな悩みでも

だれかれの差別なく
    
「ふうん、そうか、それは大変だろうな……」
    
「さぞ苦しかったろうなあ……」
    
「痛かったろう……こんなになって……」
   
 と、相手の立場になりきって
    
親身に聞いてくれる人
    
それが観音さまです

    
自分のことはいつもあとまわし
    
常に他人(ひと)の幸せを願って生きている人
    
人のために人のためにと
    
ただ黙って動いている人
    
それが観音さまです
    
だから観音さまのまわりには
    
人がいっぱい集まるんです
    
浅草の観音さまのように・・・


 こういう観音様のような素晴らしい心を私たちは生まれながらに

いただいているのです。いのちのバトンという言葉がありますが、

私たちが次の世代に伝えていかなくてはならないものはとは

この観音様の心なのではないでしょうか。


 自分の生きている間にこの観音様の心をしっかりと受け止めて

次の世代に手渡していく。母が自分の子どもを守るようないくつしみ、

まごころというバトンを次世代に伝えていく、その為に我々の一生涯は

意味があるのではないでしょうか。

(後記)

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妙香池に降り立ったサギ 


明朝は舍利講式です。

10月14日(月)


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 円覚寺では、今日、明日と羅漢講式・舍利講式という行事が行われています。

舍利というのは、お釈迦様のお骨のことで、円覚寺には、お釈迦様の右奥歯と言われる

ものが伝わっています。それが、厨子におさめられて大切に保存されています。

 その舎利の、一年に一度だけのご開帳の儀式がこの羅漢・舎利講式です。

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 今日は午後2時から羅漢講式でした。

羅漢像の描かれた掛け軸で室内を飾って儀式を行いました。

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導師の引磬(いんきん)の合図で、

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羅漢さんのお名前を唱える度に何度も何度も拝を繰り返していきます。

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大導師である横田南嶺管長による願文拝読。

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 そして羅漢さんを讃える文を、役にある3人の和尚さんが、それぞれ独特の節回しで

読み上げていきます。

 明日は、午前6時頃から大方丈に於きまして舎利講式となります。

どなたでも参列することができます。見学を希望される方は5時40分に

方丈の玄関前にお集まり下さい。



全力疾走

10月12日(土)


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 幼稚園の運動会でリレーのアンカーとして疾走する管長さんです。

このあと、程なくして、居士林で提唱をしていただきました。

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本日、仏殿前で北鎌倉幼稚園運動会の運動会が行われました。

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明日、提唱ございます。

10月11日(金)


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 管長さんになでられて。

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 禅の言葉に「飢え来たれば飯を喫し、困じ来たれば眠る」とありますが、

かなちゃんの日常は、大方丈の縁側でゴロリと寝ていて、おなかがすいたら

宗務本所に餌をもらいに行きます。そして、また、縁側に戻ってグッスリと

寝るのを繰り返しています。  

 実はこれが、生きものとして、一番、自然な姿、自然な生き方なのかもしれません。

かなちゃんのまわりには、常にその姿に惹かれて観光客などが集まっています。

 無心にして多くの人を癒していく偉大な存在です。

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 明日の土曜坐禅会2部(14:40~ 於 居士林)では、

横田南嶺管長に「臨済録提唱」をしていただく予定となっています。

 皆様のご参加をお待ちしております。

無分別・無差別のこころ

10月10日(木)


 横田南嶺管長が先日の土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 地獄、餓鬼、畜生というのは決して死んでからどこかに生まれ変わるという

ものではありません。毎日毎日の私たちのこの一念のこころが様々に変化する

様子を言います。


 私たちは、せっかく無分別・無差別にものを見るという仏様のこころを持って

生まれながら、現実には、様々な妄想妄念にとらわれ、考え込み、また、

色分けをしてものをみてしまっています。そして自分で地獄の世界を作り出して

その中で苦しみ続けているのです。


 <横田管長が扇子で「パチン!」と講本台をたたく>


 この「パチン!」という音、皆さんは、なんのとらわれもなく、しばりもなく

聞こえたはずです。誰もこの音を聞くことを妨げることはできない。「パチン!」

という音を無分別・無差別に聞く、それが一念の清浄な光なのです。


 とは言いましても、普段はいろいろなことを考えなければ、この世は

生きてはいけません。分別をしなければ、生きてはいけないように

なっています。


 しかし、分別に振り回されて、分別の世界しか本物でないと思いこんで

しまっては、苦しみが尽きることがありません。


 そういう状況の中で私たちのこころの本体は無分別で何のけがれもなく

清浄のこころを持ち、何ら差別することなくものを見、ものを聞いている

という世界、一念、無心の働きを取り戻そう、体験しようというのが坐禅

であります。

{平成25年9月28日 土曜坐禅会 臨済録提唱 より}


 






 

白熱教室 in 建長寺

10月9日(水)

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 今日は、建長寺で行われた「白熱教室」に出席して参りました。

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あのNHK教育テレビで放映されたマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」は

有名ですが、 そのサンデル教授と交流をもち、2010年4月~7月に放映された

「ハーバード白熱教室」で解説者を務めた小林正弥千葉大学教授をお招きし、

まさに白熱した意見が交換されました。


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 参加者は、一般の人と僧侶(仏教、キリスト教、神道など)割合が2対1ぐらいの

でした。「戒名、お墓ははなぜ必要か?」「葬式はどうあるべきか?」「一般の方々は

僧侶に何を期待しているのか?」などについて活発な意見が行き交いました。

(後記)

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 夕方、円覚寺に戻ってくるといつもの方丈縁側でかなちゃんがぐっすり

睡眠中。かなちゃんは、難しいことも考えません。ましてや議論をして白熱する

こともできませんが、その姿を見ているだけでいろいろなことを教えてくれるような

気がします。





ぬるま湯の修行

10月8日(火)


 横田南嶺管長が先日の学生大攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 修行というのは厳しくしようと思えばいくらでも厳しくできるのですが

はたして、それで良いのかというとそうではありません。


 江戸の銭湯というのは昔から熱いと言われています。熱い風呂に「はっ!」と

気張って入るのが江戸っ子の一つの粋な文化でした。確かに、熱い風呂に

辛抱して入ると、「オレは、風呂に入ったぞ!」という気になる。


 しかし、それでは、かえって湯冷めして風邪をひいてしまう場合も少なく

ありません。それで本当に体が暖まったかというと、これまた別なんです。


 むしろ、我々の修行は「ぬるま湯につかるようにやれ」と 昔からよく

言われています。ぬるま湯なんかじゃ駄目だと思われるかもしれませんが、

本当のところは、ぬるま湯に長くつかっている方が本当に体が芯から

暖まるのです。

 
 その時その時に適したものとなるように湯加減を調節していきたいと

思います。

<平成25年9月22日 夏季学生大攝心 総茶礼 より>

 
(後記)

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 今朝は、円覚寺山内・如意庵におきまして、暁天坐禅会の方々との

粥坐会が行われました。

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 参加者は、如意庵の和尚さんが作られたお粥を召し上がったあとに

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 横田南嶺管長にお出でいただき、質疑応答の時間となりました。

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 管長さんはお一人お一人の質問に懇切丁寧にお答えになっておりました。


そして午後からは、建長寺におきまして、

四派(建長寺派、方広寺派、向嶽寺派、円覚寺派)合同住職研修会でした。

講師に島田裕巳先生(宗教学者)をお招きして「変わる葬儀と寺院の役割」の

題のもとお話をしていただきました。




まごころ

10月7日(月)


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瑠璃茉莉(ルリマツリ) <黄梅院>

 横田南嶺管長が先日の学生大攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 仏教詩人である坂村真民さんに「まごころ」という素晴らしい詩があります。


{天地を貫くのはまごころ

地球を包むのもまごころ

世界を平和にするのもまごころ

ああ

宇宙を美しくするのはまごころ

まことのこころ}


 このまごころをいかにして目覚めさせていくことができるか?

その一つの方法は、腰を立て、丹田、おなかに気力を込めて長い息を

して心を静かに穏やかにすることです。


 また日常生活の中では一つ一つのものごとを丁寧にまごころを込めて

いくことです。お茶一つをいただくにしても必ず両手でお茶碗を持つ。

お粥をいただく時も必ず両手でうつわを持つ。両手で握り、両手で支える。

こういうことがまごころを込めていく一つ方法です。


 ちゃんと両手で持って、ご飯やお茶をしっかりといただく。何も手になければ

両手を静かに合わせて「みんなが幸せでありますように」と一念を起こして祈る。

これだけでもまごころは自然と私たちの心に目覚めてくるものです。


 たとえば、お茶を入れる時、「これを召し上がる人の悩み苦しみが少しでも

なくなり、幸せになりますように」と願って、お茶を注ぐならば、その人は

観音様の心、観音様そのものであります。


 心一つの持ちようによって迷いにでもなれば、仏様、観音様にでもなる。

私たちのこの一念、思いの持ちようによっていかようにもなるのです。

<平成25年9月22日 夏季学生大攝心提唱から>





 


世の中を変えていくもの

10月6日(日)


 横田南嶺管長が本日の土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 各々のこのいのち、この一念、この心こそ何よりも尊いものなのであります。

あらゆるものを見たり聞いたりしているものはみなこの心です。

 
 この私たちの一念、心というものは素晴らしい働きをして、いろいろな人、

様々な時代に通じていく。。世の中を少しでも、良く変えていくことができる

のはお互いのこの一念しかない。


 「世の中をどうするか?」とよく議論されていますが、特別なことは

ありません。この自分の一念を転じて、変えて、そして通じていけばいいのです。

これ以外には何もありません。この私たちの一念こそが世の中を変えていく

一番の大きな力であります。


 華厳経に「あらゆる仏様を知りたいと思えば、私たちの心を知りなさい。

心が一切のものを作り出す」とあります。つまり、この心を変えていけば

世の中も変わっていく。それ以外に道理はないのです。


 この私たちが持って生まれた一念、心の尊さをわかっていれば、どんな境遇や

縁に遭おうとも、決してしおれる、くじけることはない。それどころか、

自分の心を主体的に相手の心を変えていくことができるのです。








 


 
 


 


 

今日はだるま忌です。

10月5日(土)


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 今日は、禅宗の初祖・達磨(だるま)大師のご命日の日です。

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 円覚寺では仏殿に於きまして、管長さんをはじめ山内の和尚さん、雲水さんなどが

集まり、達摩忌の法要を行いました。

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 達摩忌にあたって、管長さんがお唱えになった偈(漢詩)です。

<訓読>

 昔人(せきじん)雪に立って其の身を没し

 法の為、那(な)んぞ辞せん、辛苦を喫することを

 忍び難きを能く行ず、無上道

 今に到って、一句重きこと千鈞

<意訳>

 昔、達磨大師のお弟子慧可大師は、少林寺の庭で雪の中に体を

埋めるように立ちつくしておられたが、仏法を求めるためには、

どんな苦しみも厭われなかった。

 その慧可大師をご覧になった達磨大師は、この上ない仏道の修行は

忍び難きをよく忍んでこそできるものだと言われた。今もその達磨大師の

一句は、千鈞の重さをもって、私たちに迫ってくる。

四ッ頭の風景

10月4日(金)


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 昨日の開山忌で大方丈にて四ッ頭の儀式が厳かに行われました。

まずは、長方形の形に列座している和尚さん方に雲水さんが一つ一つ

作法にのっとってお膳を運んでいきます。

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 手から手へたくさんの和尚さんがお膳を中継して、雲水さんに手渡します。

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お膳がすべて配り終わったところで、開山像に向かって拝を捧げます。

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 食事が終わるとお膳を下げて、次は(抹茶)菓子を配ります。

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 大きな丸いお盆に、すでに抹茶の粉末が入った茶碗がいくつものっており、

それを配っていきます。そして、浄瓶(お湯を注ぐ器)と茶筅を持った雲水さんが

一人一人抹茶を点てていきます。

(後記)

 明日は午前10時から仏殿におきまして達摩忌(達磨大師のご命日の法要)を

行います。事前に儀式の流れや管長さんがお唱えになる偈(漢詩)の解説などが書かれた

パンフレットを配布する予定です。

 どなたでもでも参列することができます。

 皆様のご来山をお待ちしております。

 

開山忌の風景

10月3日(木)


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隠寮にて儀式直前、出番を待たれる管長さんです。

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隠寮・一撃亭の門から。

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 大勢のギャラリーに見守られて行列は、舎利殿に向かう。

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舎利殿・開山堂での儀式が終わり、仏殿に向かう行列。

円覚寺派の大勢の和尚さん方が列をなしている姿が伺えます。

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 管長さんのすぐ後ろには、五侍者が控えています。

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 方丈にて仏殿での儀式の出番を待たれる光景。

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 仏殿に於いての「散華の舞」の様子です。円覚寺山内・北鎌倉幼稚園の

園児が舞を舞っています。

この後、方丈に移動して「四ッ頭」の儀式を行いました。四ッ頭の様子の

写真は明日のブログで掲載させていただきます。


明日の開山忌の予定

10月2日(水) その2


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<本日、仏殿で行われた宿忌の様子>

 明日の円覚寺・開山毎歳忌の主な予定です。

 午前10時から舎利殿(開山堂)にて大勢の和尚さんが行列をなしながら

お経を読みます。


 終わって、仏殿に移動して(11時前頃から)須弥壇に安置された

開山・仏光国師像の前で読経(この儀式中にに管長猊下が偈{漢詩}

をお唱えになります)。引き続き、北鎌倉幼稚園生による「散華の舞」

(オルガンの演奏にあわせて幼稚園生が舞を舞います。)


 最後に方丈に移動して「四ッ頭」となります。開山様の描かれた掛け軸を掲げて、

それにお膳を捧げ、その前で大勢の和尚さん方が、開山様とご一緒に食事するという

儀式です。特に、きれいな幾何学模様を描くように、左右対照的な動きをしながら、

配膳をしていく4人の雲水さんの動作は、注目の一つです。

 
 円覚寺派をあげての1年で1番盛大な行事です。貴重な機会です。

皆様、ぜひ、ご来山いただきご覧になってくださいますように。










今月の言葉

10月2日(水)


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「心が小さくなった時は

天を仰いで大きく 息をしよう

大宇宙の無限の力を 吸引摂取しよう

坂村真民全詩集第七巻より」

横田南嶺管長揮毫。

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 今日は午前中、開山忌の準備でした。円覚寺派のたくさんの和尚さんが

集まり仏殿、舎利殿、方丈などの莊嚴(しょうごん・・・飾り付け)を

行いました。「四ッ頭」の会場である方丈に開山様の頂相が掲げられました。

 午前中の内に作業は終わり、午後3時からの仏殿などでの法要備えます。
 
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明日から開山忌です。 

10月1日(火)


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 円覚寺では、明日、明後日と開山忌となります。

円覚寺開山・仏光国師・無学祖元禅師の毎歳忌です。

円覚寺派をあげての1年で一番大きな行事であります。

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開山忌の齊座では、「四ッ頭(よつがしら)」という行事を

行います。それは、方丈中央に開山仏光国師の画像を掲げ、霊前を

お供えして、この場に開山様が居られるが如く厳粛に会食をする

行事です。
 
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 かつてこの行事を一見された考古学者、三上次男博士は「宋代の古式礼法が

化石の如く残っていると思う」と言われました。「四ッ頭」は中国より来朝し

円覚寺開山以来数百年、年々の開山忌で行われてきた古式の食事作法であります。

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 一昨日から今日まで、夕方から、管長さんをはじめ円覚寺山内の和尚さん方、

雲水さんが方丈に集まって、その習礼(予行練習)をして参りました。

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本番は3日の午前12時前頃、開始となります。事前予約制なので

中に上がって拝見することはできませんが、外から様子をうかがうことは

できます。

 ちなみに明日の予定は、午後3時、仏殿から始まり、引き続き

舎利殿にて読経を行います。
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