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相田みつを美術館

9月30日(月)   


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 今朝方、隠寮にお伺いしましたら、管長さんからこの焼き菓子をいただきました。

 先日、管長さんが相田みつを美術館を訪れた際に購入されたもので

相田一人館長が考案されたお菓子とのことでした。

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 なんと!真ん中が空洞になっているお菓子の中に、相田みつをさんの詩が

書かれた紙が入っているではありませんか!なんでも、お菓子を焼く前に

この紙を入れて、そして一緒に焼くそうです。どうして紙が燃えないの?

と疑問に思いますが、相田館長がご苦労をなさって、燃えない紙をさがした

とのことでした。

 このお札のような紙にも焼き菓子の香ばしいにおいがしみこんでいます。

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こちらの御本は、管長さんが相田みつを美術館の方からいただいたものです。

 武井哲應老師という方は、相田みつをさんが生涯の師とされた曹洞宗高福寺の禅僧です。

相田さんは、この老師との出会いから、それ以後、四十年、坐禅を続けました。

 相田さんの詩に

「そのときの出逢いが
     
人生を根底から変えることがある
                   
よき出逢いを」

とありますが、まさにこの「出逢い」であります。

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 こちらは普段、管長さんが愛用してる「つまづいたっていいじゃないか

にんげんだものマグカップ」です。

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はがきマット。

 来年の3月4日から東京国際フォーラムにある相田みつを美術館にて

坂村真民さんと相田みつをさんの共同作品展が開催されます。

 横田南嶺管長も開式にあたってのテープカットに出席される予定です。

皆様、ぜひ、ご覧になってくださいますように。


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学生大攝心 提唱の風景

9月21日(土) 夏季学生大攝心・2日目


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 学生大攝心では、横田南嶺管長による提唱は、居士林ではなく

僧堂(専門修行道場)の宿龍殿にてしていただいています。

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 雲水さんの太鼓の音色の中で管長さんが宿龍殿に入場して参ります。

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 今日の提唱は、朝比奈宗源老師の「直説坐法」をしていただきました。

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 真ん中に管長さんの下駄。左に女性の草履、右に男性の下駄。

学生大攝心始まりました。

9月20日(金) 夏季学生大攝心・初日


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<居士林 山門>

 今日の夕方5時から、平成25年度 夏季学生大攝心(学生を主体とした

2泊3日の坐禅会)が始まりました。

今回は、男性24名、女性14名の方々が参加をされています。

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<坐相説明の様子>

 参加者は、雲水さんや有志の学生居士の指導のもと、2泊3日の間、

修行僧の1日の生活とほほ同じような体験してもらいます。


 開始にあたって、鈴虫の音色に包まれた禅堂内で

横田南嶺管長より以下のようなご垂示をいただきました。


 「私たち仏教を学ぶものはこの世にいのちを受けたものはみんな平等の

いのちを生きているということを教わっています。


 八木重吉さんの詩に

「虫が鳴いている

いま ないておかなければ
 
もう駄目だというふうに鳴いている

しぜんと

涙がさそわれる」

というものがあります。


 虫の一生は、生まれて自分の与えられたいのちをその生ある限り

ただ鳴いて鳴いて鳴き尽くして、そして死を迎える。その虫の生き方と

私たち人間の生き方とはたしてどうでありましょうか?あの虫のように

自分はただひたむきにいきているだろうか?


 この居士林での大攝心には、皆さんそれぞれ、いろんなことを考えて

お越しになったと思いますが、一つの手がかりとして、あらゆるいのちは

平等であると覚えておいていただきたい。


 あまり考え過ぎないことです。あの精一杯鳴いてる虫たちのように

私たちも精一杯生きることはできないだろうか。


 大攝心中のほんの数日間は皆さんが普段振り回されているであろう

携帯電話やパソコンなど様々な機械から離れることができます。


 学べるものはこの自然から学んでもらいたい。お月様の光、秋のそよ風

その鳴いている虫の声、秋の草花・・・。学ぶべきものはこのまわりに

山ほどありますから、どうか心を開いて学んでいただきたいとお願いを

しておきます。


 






 

随所作主

9月18日(水)


 横田南嶺管長が今日の淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

  
 臨済録に「仏法は用功の処無し。秖(ただ)、是れ平常無事、 屙屎送尿

(あしそうにょう)、著衣喫飯(じゃくえきっぱん)、困じ来たれば即ち臥す」

という言葉があります。

 
 自分で自分の大小便を出すことができる、自分で自分の服を着ることができる、

自分で自分のご飯を食べることができる、そして夜、ぐっすりと寝ることが

できる。これらができれば、人間として本当に幸せなことではないかという意味で

あります。


 こういうところに「有り難い」「満足だ」と感じることが人間の根本であり、

何も特別なものを外に求めなくても幸せは身近にあるものです。


 「随所に主となれば、立処皆真なり」というのは、どんな場合、いかなる状況

であれ自分の尊さがはっきりとしていれば、どこに行ってもそこが真実であるという

言葉であります。


 この場合の「自分の尊さ」とは、何も別段特別な能力があるから尊いのでは

ありません。こうして毎日の暮らしの中で何気なく生きていることが尊いのです。


 何気なくご飯を食べて、何気なく大小便をして、何気なく服を着て・・・と

何気なしに生きている。そのことの尊さに気づけば、どこでどんな状況に

なろうともそこが真実であるということなのです。


 また「明眼の道流(どうる)の如きは、魔仏倶(とも)に打す」とあります。

これを私たち禅宗の伝統的な解釈では、「明眼の修行者は、何が仏で何が魔であるか

を見分けることができる」と訳しています。

 
 毎日、何気なくご飯を食べて、服を着て、大小便を出して、グッスリと眠る・・・

など、私たちのこのいのちを活き活きとさせるものが「仏」であります。

逆にそれらを妨げるものは「魔」であります。

 
 仏と魔、それをしっかりと見分けていく智慧を身につけることが大切なのです。





夏目漱石の手紙

9月17日(火)


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 今日は、円覚寺山内・臥龍庵(並びに帰源院)前住職様の小祥忌(1周忌)でした。

こちらは、導師である横田南嶺管長が法要中にお唱えになった漢詩です。

「秋爽やかなり 帰源の古法場

禅風 枯淡 尚(なお)忘れ難し

忌辰 雨霽(は)れて 祖庭寂(しづ)かなり

恭(うやうや)しく献(けん)ず 爛柴(らんさい)一弁の香(こう)」

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 本堂には、文豪・夏目漱石(金之助)が親交のあった先々代の住職様に

宛てた手紙が表装されて掲げられていました。

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 帰源院の境内には「瑞石庵」という「わび・さび」の象徴のような

茶室があります。(一般公開はしていません。)

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これがその室内です。

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 今日のお軸は、朝比奈宗源老師揮毫の「和敬清寂」でした。






枯木龍吟

9月13日(金)


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今、円覚寺境内では、コスモス咲いています。 <景福荘>

 さて、今日は夕方から東慶寺さんを会場として月に1回開催されている

鎌禅会(円覚寺開山・無学祖元禅師の語録「仏光録」を学ぶ会)でした。

 横田南嶺管長に講義をしていただいております。その中で、

仏光国師が雲水に修行をする上でに2つのことを守ってくれよと仰せになっている

箇所があります。

 その訓読は「第一、旧路再び行くべからず。第二、新路踏破すべからず。甚(なん)に

因ってか此(かく)の如くなる。枯木龍吟有り。」です。


 それを横田管長は次のように講義されました。


 「第一、旧路再び行くべからず。」とは、ただ伝統をそのまま踏襲するだけでは

だめだということ。「第二、新路踏破すべからず。」とは、かといって目新しいこと

ばかりをしていてもよくない。では、どうすればいいのか?それは「枯木」つまり

伝統を守りながらも、「龍吟」すなわち現代の人の心に響くような新しい風を

吹き起こしていくことだと解釈されました。

(後記)
 
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 円覚寺珍百景を見つけました!円覚寺前にある踏切の脇に

謎の看板がありました。

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 カエルがこの下にいますということらしいのですが・・・

一体、誰が、何の目的で建てたのやら。


達磨忌のお知らせ

9月12日(木)


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 来月10月5日は、達磨大師がご遷化された日(達摩忌)です。

 今年から、一般の皆様にもこの法要に参加していただきたく

開始時間を早朝から午前10時に変更致しました。

 仏殿に於きまして、横田南嶺管長をはじめ山内お和尚さん方、

雲水さんの参列のもと伝統的な行事が行われます。

 皆様のご来山をお待ちしております。

(後記)
 
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 只今、居士林前の石畳は、拡張工事中です。

これで人がすれ違い、車も通れる幅になります。

墨跡

9月11日(水)


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 横田南嶺管長揮毫。「葉葉(ようよう)清風を起こす」

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「主人公」

● 無門関12則より

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 「此の深心(じんしん)を将って塵刹(じんせつ)に奉(ぶ)す、

 是れ則ち名づけて仏恩(ぶっとん)に報ずと為す。」

●深心・・・ひたすら仏道を求めようとする心。深く仏に帰依(きえ)する心。

●塵刹・・・塵のように無数にある世界。煩悩に苦しむ人々が住む世界。

●奉す・・・奉仕する、つつしんでお仕えする。

●仏恩・・・仏の恵み。仏の慈悲の恩。

<意訳してみました。>

 どこまでも人の為に尽くしていこうという願いを持って

それぞれがそれぞれの暮らしの中で精一杯生きること。

 それこそ、こうしていのちをいただいて、今まで様々な

ものに助けられて生かされてきたことに対する、

何よりの恩返しである。


9月10日(火)


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 午後、東京のお寺から円覚寺に帰ってきたら、

高い木の上に人影が・・・

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 槙の木を剪定する管長さんでした。

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正伝庵の階段下の槙がきれいに刈り込まれていました。

生きねばならぬ

9月9日(月)


 横田南嶺管長が昨日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 「祈り」という言葉があります。いろいろな説がありますが「祈り」という

言葉のもとはといいますと、「祈り」の「い」は、いのち、生きる、生命力を表し

「のり」というのは、「祝詞」(のりと)という言葉があるように、宣言をするという

意味だそうです。


 ですから「祈り」とは、いのちの宣言をするということなのです。

「いろいろな苦しいこと辛いことがあっても自分はそれにめげずに生きるんだ!

強く生きていくんだ!」と宣言をすることが「祈り」ということの原点なのです。

そして生きていくんだと自分に言い聞かせることによって自然と祈る人の心が

活性化していきます。


 坂村真民先生に次の詩があります。

  
{ 鳥は、飛ばねばならぬ  人は、生きねばならぬ

怒涛(どとう)の海を  飛び行く鳥のように

混沌の世を  生きねばならぬ

鳥は、本能的に  暗黒を突破すれば

光明の島に着くことを知っている

そのように人も  一寸先は闇ではなく

光であることを知らねばならぬ

新しい年を迎えた日の朝  私に与えられた命題

鳥は飛ばねばならぬ  人は生きねばならぬ }


 一寸先は決して闇ではありません。闇だ!闇だ!といつも言っている人には

闇が続いてしまうかもしれませんが、光だ!光だ!と信じている人には必ず

光が差してくるものです。「生きねばならぬ」です。


 私はこの「生きねばならぬ」という心を以下のような言葉でまとめてみました。


「明日、どうなるかはわからないけれど、今日一日は笑顔でいよう。

つらいことは多いけれど、今日一日は明るい心でいよう。

いやなこともあるけれど、今日一日はやさしい言葉をかけていこう。」


 これが「生きねばならぬ」の精神です。無常の中で明日を信じて生きていく

ことの精神であります。明日はどうなるかわからないけれど、今日一日、笑顔で

暮らすことは私たちが努力をすればできることではないでしょうか。


 

トップニュース

9月7日(土)


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 先日の9月4日、横田南嶺管長が故郷の新宮市市民会館でお話をされた

「紀伊半島大水害追悼講演会」の様子が熊野新聞(9月6日付け)と

紀南新聞(同)の両新聞の第一面を飾りました。

 写真には1000人の人々が集まった満席の会場の様子が写されています。

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 こういった行事が新聞の第一面を飾るのは、さすがは信仰の深い土地柄です。

(後記)

 明日は午前9時から大方丈にて、横田南嶺管長による日曜説教会(法話)です。

引き続き日曜坐禅会(10:00~11:00)と写経会(10:00~12:00)

となります。ちなみに、明日は参加者全員に冊子「円覚 秋彼岸号」を配布する予定です。

 どなたでも参加できますので、皆様、お誘い合わせの上、ご来山ください。



土曜坐禅会 再開です。

9月6日(金)


 明日から、8月中の休会を終えて、土曜坐禅会が再開します。

初心者の部(13:20~14:20)、経験者の部(14:40~15:40)

です。皆様のご参加をお待ちしております。

 なお、9月21日(土)は、夏季学生大攝心の為、土曜坐禅会は

休会となります。

 居士林主事 合掌

(後記)

 今年の春、愛媛県にある坂村真民記念館では特別企画展「相田みつをと坂村真民の世界」が

開催されました。 命の大切さを伝える詩人の相田みつをさん(1924~91年)と

坂村真民さん(1909~2006年)の詩や書が展示されました。

 坂村真民さんといえば、横田南嶺管長がこよなく尊敬をし、毎月その詩を揮毫して

黄梅院の掲示板に貼っています。

 なんと、相田さんと坂村さん、このお二人の初めての出会いの場というのは、

この円覚寺なのです!お二人が円覚寺の方丈前庭で写っている写真があります。

 それは、昭和45年8月に紀野一義先生主催の会が円覚寺で開催されたときに

坂村真民先生が講師として招かれ、その会に参加していたのが相田みつをさんで

あったからです。

 その後も何度か会い、相田さんは坂村さんが発行していた雑誌「詩国(しこく)」を愛読。

坂村さんは著書で同じ生き方を送る相田さんに共感したことを記すなど、お互いに認め合っていた

といいます。

 坂村真民さんと相田みつをさんと円覚寺、このようなご縁があるのですね。

 (今度は、東京国際フォーラムにある相田みつを美術館でも同特別展が開催される

予定とのことです。)

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 先日、栃木県の龍王峡という所に行ってきたのですが、

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 なんと、ここにも坂村先生の「念ずれば 花ひらく」の碑が

険しい山道の傍らに立っていました。 


 

熊野霊験記

9月5日(木)

blog-追悼講演会


 こちらは昨日、横田南嶺管長の故郷、和歌山県新宮市の市民ホールで

行われた「紀伊半島大水害追悼講演会」の様子です。

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立ち見が出るなど、1000人を超える方々を前に

管長さんは「明日を信じ生きることの大切さ」を語られた

とのことでした。

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昨日は、日本各地、大荒れの天気で、熊野地方でも警戒警報が出るなど

軒並み、慰霊祭などの公式行事が中止を余儀なくされたそうです。

 そのような状況の中で夕方6時30分からの管長さんの講演開催も

一時は危ぶまれたそうですが、不思議なことがあるものです。開演直前、

5時頃にそれまでの土砂降りの雨が止み、なんと虹まで出たという、

奇跡のようなことが起こったそうです。

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 こちらは、うすかわ饅頭 儀平 橋杭岩店にて揮毫をされている管長さんです。

和歌山の方でも、この「居士林だより」を見てくださっている方がいて、

管長さん、ご本人にお目にかかれて、たいへん喜んでおられたそうです。

O先生

9月4日(水)


 先日の土日坐禅会には、寺田一清先生のご紹介で、兵庫県で高校の先生を

しておられるOさんが参加をされました。午前4時から10時まで、

居士林の日課である、朝課、坐禅、(祝聖法要)、粥座、日天掃除と

横田南嶺管長による碧巌録提唱などを体験していただきました。


 そのO先生から昨日、管長さんと私のところにお礼のお手紙と

冊子が届きました。O先生は提唱の感想として「今回特に心に響きました

のは提唱です。分け隔てないという言葉がその境地致るために坐を組む。

それが逆になっていないかと。学校で生徒達に対する時、また自分自身

思い上がっていないかとお話を伺っている間に涙と共に湧き上がって

参りました。」とありました。


 また、O先生に今回送っていただいた冊子を拝見しているとたいへんな

ことをされている方なのだと気づかされました。O先生は高校教師を

されながら、NPO法人 日本を美しくする会 大阪便教会の世話人を

なさっています。


 大阪便教会というのは、

{鍵山秀三郎様が提唱された「日本を美しくする会 掃除に学ぶ会」に学ばれ、愛知県の高野修滋先生が

2001年に便教会(教師の、教師による、教師のための、トイレ掃除に学ぶ会)を始められました。

「方法論や技術や手法だけではない、ただ身を低くして実践あるのみ」という理念に賛同された多くの先生方が、

トイレ掃除に取り組まれ、今では全国各地に広がりを見せています。

どんなに素晴らしい言葉を言っても、教師が使命感を持って実践しなければ意味がありません。

生徒に矢印を向けるのではなく、教師自ら主体変容し、自らの人格を高めていくことを目的として、

2006年12月、大阪でも便教会を立ち上げさせて頂くことになりました。

小さく初めて、長く続けて行ければ幸いです。}

という目的を持って活動している団体です。


 先の東日本大震災の時も劣悪な環境にあった避難所の仮設トイレを掃除して

支援をするなど現在にいたるまでたいへんな活動をされています。


 居士林での坐禅体験がこういった方々に少しでも何かの糧になることが

できたなら、何よりの幸いです。


 

みんな仏心の姿、みんな仏心のまま

9月2日(月)


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 横田南嶺管長が昨日の土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 「あいつは良い、あいつは悪い」と人を分け隔てる心こそ苦しみのもと

であります。この、人を分け隔てる心を離れる為にこうして坐禅をするのです。


 ところが坐禅をすればするほど、「自分は何年も坐禅をしているから、

していない人より偉いんだ」と人を分け隔ててしまっている人を

多く見かけます。


 「あいつは良い、こいつは駄目だ」と人間を区別する。そんな区別をつける世界から

離れて、「みんな仏心の姿、みんな仏心のままである」と平等に物事をみるのが真実で

あります。


 良い悪いにとらわれて見てばかりいては、真実には程遠い。しかし人間は

とにかく枠をはめて型にはめて区別をしたがる。


 どっちが良い、どっちが悪いかなんてことは、その人のその時その場での

有り様によって変わってくるもの。それをわかった上で良い、悪いを離れて

物事の本質を見なければならない。


 人間の本質は、そうした区別を超えた、みんな仏心の姿、みんな仏心のまま

であると見るところにあるのです。

(後記)

 9月20日から居士林で行われる夏季学生大攝心の参加者応募ですが

男女ともに定員に達しましたので本日をもちまして締め切らせていただきました。

男性30名、女性16名、計46名の方々が参加をします。たくさんのご応募

誠に有り難うございました。




今月の言葉

9月1日(日)


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「さあ 皆さん み佛の車にお乗りなさい

そして すべてを托して お行きなさい

こんな楽しい旅が ほかに ありましょうか

坂村真民全詩集第五巻より」

 横田南嶺管長揮毫。

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 午前10時頃撮影の醉芙蓉(スイフヨウ)です。

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 午後4時には、同じ花がこのように赤く変わっています。

花の色が白から赤に変わる様子がお酒を飲むと顔色が赤くなることに

たとえられて「醉」と名付けられています。

 赤い花が暑い地域に多いのは、それが紫外線から生体を守る働きを

するアントシアニンという色素を含んでいるからだそうです。

 なら、醉芙蓉もずっと赤ければ良いじゃないかと思われがちですが

日中くらいまで白いのは、花粉を運んでくれる虫をひきよせるためだとも

言われています。白というのは蜜のありかをしめすような、虫にとって

魅力的な色という説もあるそうです。

しかも醉芙蓉は一日花、一日一生の短い命の花です。その短い時間に

虫たちに花粉を運んでもらわなくてはならない。しかし、一日中、赤であれば

虫が寄ってくる機会が減ってしまう。反対に一日中、白であれば紫外線に

やられてしまう。ちょうど、そのぎりぎりのバランスをとったのがこの

醉芙蓉なのでしょうか。

 醉芙蓉が代々培ってきた生き残るための智慧なんですね。



 
 

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