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北鎌倉幼稚園花まつり

4月30日(火)


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 今日は午前中、円覚寺山内にある北鎌倉幼稚園に花まつりの撮影に

行って参りました。

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 ホールには花御堂が美しく飾られ、朝比奈宗源老師の揮毫

「おしえ ただしく つよく しんせつに」の額と観音様と非常に

マッチしていました。

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気球に乗った少年?の飾りとお地蔵さま。

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管長様の入場。

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みんな合掌です。

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「延命十句観音経」などを唱和。

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園長先生あいさつ。

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管長様がお釈迦様の誕生像に甘茶をそそいでいます。

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管長様あいさつ。

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園長先生と主事和尚さん、甘茶をそそぐ。

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先生といっしょに甘茶をそそぐ。

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花まつりの歌を振り付けつきで歌っていますね。

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管長様退場。

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 北鎌倉幼稚園は、円覚寺山内の伝宗庵というお寺の敷地内にあります。

 仏殿の前の広場で、ベンチに腰をかけて子どもたちが遊んでいるのを

見守りながらお母さん同士がお話をしている風景をときたま見かけます。

 こういう円覚寺のような自然豊かな環境の中で子どもたちが学びそして

遊べるというのは、本当に貴重なことであると思います。その子がその後の

人生をつよく正しく生きていく力を自然と身につけるような環境が整っている

ように思われます。

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 北鎌倉幼稚園では、随時、体験保育や説明会を行っているそうです。

皆様のお子さん、あるいはお孫さん、またはお知り合いの方でもし希望

されるの方がいらっしゃいましたら、お連絡くださいますように。

北鎌倉幼稚園 TeL 0467-22-3575


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なんじゃもんじゃの花

4月29日(月)


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 今、仏殿裏の法堂跡では、なんじゃもんじゃの木が美しい白い花を

いっぱいに咲かせています。

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何とも可憐でかわいらしい花ですね。

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 ナンジャモンジャとは、見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称

だそうです。すなわち、特定の植物の種名ではないとのこと。ヒトツバタゴを指すことが多いが

他の樹種の場合もあるそうです。不思議な木です。

蒲団干し

4月27日(土)


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 単蒲団(坐禅用蒲団)干しの風景。<僧堂>

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鐘の前にも。

(後記)

 おかげさまで入制大攝心無事に終了しました。

今日の土曜坐禅会は初心者の部77名、2部79名でした。

皆様、有り難うございました。

坐禅中の気持ちのままで

4月26日(金) 入制大攝心・最終日


 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 「坐禅儀」の中に次のようなことが説かれています。「坐禅が終わったあと、

坐禅中の気持ち・状態・禅定を保つために様々な方便手段をとらなくてはならない。

どんな動作をしていても坐禅中に養った禅定を大切に守る。まるで親が赤ん坊を

守るように、坐禅をしたときの気持ちを大事にして日常の動作に移っていけ」


 食事をするときでもトイレに行くときでもずっと数息観です。何の動作をして

おっても禅定を失わないようにやっていく。そうやってやっていると、数息観を

やりながらご飯を食べる、ご飯を食べながら数息観をすることが自然とできるように

なってくる。


 何をするにしても自分の呼吸をしっかり調えながら坐禅の呼吸のままで動作を

するようにする。坐禅のときの様子をそのまま日常に移していく訓練のようなものです。

おなかに力を込めて呼吸をゆったりとやっていけば自然と足音も静かになります。
 

 この日常の動作の中で、坐禅中の工夫をおろそかにすると何をやっているのか

わからなくなってしまいます。

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 坐禅をする度に、もう一度最初のかえって腰を立てる、そして下腹をグッと

前につきだして押し広げて丹田に気を充実させ、数息三昧です。数を数えることを

見失わないようにする。


 念・思いはいくら湧いてもすぐに数を数えることにとって返す。それを繰り返し

繰り返しやっておれば、泥水も自然と澄んでくるように念も段々とおさまってくる

ものです。


 とりわけ、一番のねらいは自我という念を消すことであります。「この皮一枚の

内だけが自分だ」、「この自分が一番大事である」と思いこんでいる自我の念を

徐々にうすく消していく。


 そして自我という壁を飛び越えると、「天地と我と同根、万物と一体」「天地大自然は

一枚の仏心であった」と気づくのです。朝比奈宗源老師の言葉を借りるなら「みんな

この仏心光明の中にあった」という心境です。


 生きるだの死ぬだの、他人だ自分だというのは単なる妄想に過ぎない。みんな

妄想であった。生き通しの仏心であったとわかる。


 また、みんなの為に人々の為に尽くそうと思い願うことによって自ずと

自我の念を削ってなくしていく近道となります。


 一坐一坐、無駄にしないように、一呼吸一呼吸見失わないように引き続き

打ち込んでもらいますように。

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方丈中庭のモミジと鬼瓦。

(後記)

 さて、明日の土曜坐禅会2部では、管長様に無門関提唱をしていただく

予定となっています。また、仏殿裏の法堂跡では、なんじゃもんじゃの木が

白い花を咲かせて人目を惹いています。皆様のご来山をお待ちしております。

念が起ったらそれに気づけ

4月25日(木) 入制大攝心・6日目


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 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 「念起則覚(ねんきそっかく)」という言葉があります。心に念(思い)が

起こったらすぐに気づけということです。法灯国師は我々の心に念が起こる様子を

ちょうど、晴れ渡った大空に雲がわくようなものと喩えられました。


 空に雲が湧くようなもので、我々のこの念に何も根本・実体があるわけではない。

私たちの心の本体はあの晴れ渡って澄み切ってひろびろとした大空のようなもので

そこに雲が湧くように念が起こる。ですから、ほっとけば、たいしたことはない。


 しかし、なかなかそうはいかないもので、人間の念・思いが積もり積もって

人を苦しめ自分自身も苦しめてしまう。憎しみ、怒り、嫉妬などの念によって

人生も台無しにしかねない。みな念が迷いを引き起こしているのです。


 その念・思いがどこから湧いてくるのか?何て言うことはない、それは

晴れた空に雲がポンと浮かんだようなもの、ちょうど我々が睡眠中に夢を

見ているようなものです。


 目が覚めて「ああ!夢をみていたんだ」と気がついたときには夢は終わるように

「ああ!念が起こっていたんだ」と気がついたときには念は消えるのです。自分は

雑念・妄想を起こしていたんだと気がつけば、その念は自然におさまるのです。

その繰り返しです。


 念をついでいかない。念が起きてもそれに気がつけばそれで終わる。

念がなくなることはありません。しかし、それをつがない、断ち切ることが

大切です。その断ち切る方法が数息観(自分の呼吸を一つ二つ・・・と数える)です。


 数息観をしていれば念の起こる様子がよく分かる。数を数えることを見失ったとき

というのは、他の念が起こったときです。人間の心は同時に2つの念・思いは湧かない。

数をわすれたということは、その瞬間に心に別のことが湧いている。


 たとえ意識がそれてしまったとしても、数を忘れた自分に気がついて、もう一度

数息観にとって返す。そうすれば、別の念は消えているはずです。


 それを繰り返し繰り返しやっておれば念が起こってきてもそのたびごとに

速やかに断ち切ることができる。念に振り回されることがなくなる。そうなると

自分の心は晴れ渡った大空ようなものであったと体感することができるのです。








深い禪定

4月24日(水) 入制大攝心・5日目


 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 建仁寺管長であられた竹田益州老師にご自分の修行時分のことを書かれた

次のような文章があります。あれほどの老師も坐禅を始めた頃は大変苦労を

なさったというのがひしひしと伺える内容です。


「坐禅をして2時間もたつと足が痛くて左右交互に組み替える。それでも30分

もつかどうかだ。何日も坐ってばかりいるから、最後は5分もすると足が痛くて

うずくようになって辛抱しきれない。


 でもここが我慢のしどころと歯を食いしばって、この峠を捨て身の覚悟で

乗り越える。どんなに足が痛くても、なにくそ!と結跏趺坐(けっかふざ)を

崩さない。


 すると2~3日たつと徐々に結跏趺坐の姿勢が身についてきて、本当の坐禅の

組み方が一番安定した姿勢で、ゆったりとした禅定に入ることを養うことが

できるとわかった。


 多くの人は途中で、楽で安易な半跏趺坐(はんかふざ)に流れてしまい

そこまで至らない。


 お釈迦様は樹下石上に坐禅をされて、この仏教の原理がこの結跏趺坐の原理から

湧き出でたと気づいた。この三昧の中に、この結跏趺坐の足のうずきの中に

お釈迦様の教えがひしひしと脈打つのであります。」


 どんな人でも、最初のうちは安閑としてのほほんとして修行をすることはない。

もうこれでだめかもしれないというところをあえてこの坐を崩さずに乗り越えて

来たのです。


 これを何度も乗り越えることによって、この正しい坐禅の姿勢が自分に身につく。

そして深い禅定に入って身も心も爽やかになっていくものです。

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雨に打たれて・・・石こく。


 

我を忘れて人の為

4月23日(火) 入制大攝心・中日

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 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 山田無文老師に次のような逸話があります。ある学生が駅のホームで

たまたまそこに居合わせた無文老師に質問をしました。「自分は自分が

わからない。自分とはいったい何でしょうか?」と。


 老師は次のようなことをお答えになったそうです。「そうだな、まあ、

君はこれから少し自分のことを勘定に入れないで何か人様の為に一生懸命

働いてみる、尽くしてみることだ。とにかく一生懸命人様の為に何かやって

差し上げることだ。


 そして、ああ良かったな、喜んでもらって良かったなと感じる自分がもし

あれば、それこそ真の自分だ」と。


 この無文老師の言葉というのは、自他一如の世界、仏心のあり方を実に

平易に端的にお説きくださっています。こういう気持ちが大切です。


 みんなに慕われる和尚さんとなるにはどうしたらいいか?みんなの

より所としてくれるお寺とするにはどうしたらいいか?


 「己なきものこそ 安らぎあり」


 これはお釈迦様の悟りの端的を表す言葉です。私心(わたくしごころ)

のないものこそ、一番の安らぎを感じる。


 自分のお金儲けのことを考えてばかりいる人はいつもいらいらしている

しているから、そういう人には人が寄りつこうとしない。「お金儲け」を

「悟り」に置き換えてもたいして変わらない。


 自分の悟り・解脱ばかりにとらわれて、いつもカリカリしている人も

寄りつきがたいものです。


 いつも皆様の為に何かお役に立てることはないか?とそのように私心を

捨てて無心でいることこそ、周りの人たちに一番安らぎを与えることが

できるのです。

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 そのような和尚さんは、一目お目にかかるだけで何やらホッとした気持ちになる。

そのような和尚さんのいるお寺にはそこに行っただけで安らかな気持ちになる

ものです。

 私心を捨てて、己中心のものの見方を捨て、もっと端的に言うと己を忘れる

ことです。道元禅師の言葉に「仏道を習うは自己を習うなり。自己を習うは

自己を忘ずるなり」とあります。


 己を捨てるのが坐禅の肝心なところあります。

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(後記)

 この花の名前は、都忘れ(みやこわすれ)。己忘れ、都忘れ。

ちょうど、黄梅院の庭に咲き始めました。



穏やかに和やかに

4月22日(月) 入制大攝心・3日目

 
管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 心の本性とは何であるか?仏と言うも如来と言うもあるいは観音様と

言うも、いろんな名をかえていうのも、みんな私たちの心のことを言っています。


 心の本性とは、無一物であり空(くう)であります。つまり、それは自我のないこと

を言います。これが自分だと思いこんでいるものはどこをさがしても見当たらないという

ことです。


 ということは、みんないのちあるものは平等に一枚のいのちであるということです。

それに気がついて本心・本性を見るとこころのはたらきは自ずと和やかであり素直であり

慈悲のはたらきになる。


 自分だと思いこんでいたものはどこをさがしても見当たらない。逆に私たちの

本心・本性は穏やかな和やかな親切な慈悲のはたらきであった!こう気づくことが

私たちの修行の目指すところであります。


 真のお坊さんとは何でありましょうか?その人がどこまで修行をしたかという

ことは、やはり、その和尚さんがどこまでどんな人に対しても物腰が柔らかで

慈悲に満ちあふれているかであります。


 正直、修行をすればするほどこうなるのであります。これが坊さんとしての

値打ちです。そういう親切なお坊さんになってもらいたい。


 自分中心の考えはどこをさがしても見当たらない。どこまでも物腰柔らかに親切に

親身に、慈悲に満ちあふれている和尚さんになるのだと、そういうつもりで修行に

臨んでもらいたい。そういうお坊さんになる為の、己の自我を滅する、己の自我を

すり減らす修行です。


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坐禅の姿勢について

4月21日(日) 入制大攝心・2日目


 今日も、管長様は昨日に引き続き朝比奈宗源老師の「直説坐法」について

提唱をされました。坐禅の姿勢について詳しく紹介されていますので

一部を抜粋してみました。


 「背骨を真っ直ぐに立てて、尻をー尻の穴が後ろに向く位に、こうして下腹を

前に出して上半身を少し揺るがすようにして、まわってる独楽がだんだんと

とろんでいくように、自分の一番安定するところに落ち着ける。


歯は奥歯をがっちり合わせる。達磨さんは口をへの字に結んでおります。

あれは奥歯を噛み合わせたらああなる。慌てたとき歯の根が合わぬといいますように

歯の根が合わぬときは決して落ち着きません。


 舌べらは上顎につけ、眼は閉じない。閉じると寝たり、妄念が出やすい。必ず

半眼にして視線を前にし、臍舌二寸五分くらいのところに力をいれる。そして

息を数えるのがよろしい。


 息を一つから吸って、吐いて、ヒトーっとして、一から十になったら亦一つから

始める。ところが数をよむと言ったら何でもないようだが、我々の心というものは

直にものを考える癖がついている。


 息をはっきり、はっきり数えることは容易ではない。三つとか四つ数えると

もうどこかへいってしまう。又妄念が出たと、一々気にかけるのもいけない。

出たと思ったら、すうっとだまって数を続けることだ。


 臍の下二寸五分位、丹田といいますが、臍下丹田に力を入れる。これが一番

妄念が出ない。」

禅の呼吸の仕方

4月20日(土) 入制大攝心・初日


 今日の提唱では、管長様が「直説坐法」(朝比奈宗源老師が坐相や呼吸の仕方に

ついてお話されたものを筆録したもの)を紹介されました。呼吸の仕方、特に

下腹に力を入れる方法について詳しく説明をされています。以下、抜粋です。


「ワシの経験ではこの丹田に力を入れると臍(ほぞ)の下二寸五分の所に力を入れねば

いかんのが、それも漫然と下腹に力を入れるというのではなく、臍の真正面というか

、真下だな、真ん中だ。それの二寸五分の辺に焦点を定めて、そこへ心を集中する。


 そこで無字なら無字を拈提して坐る。息は吸うときに力をいれるか、吐くときに

力を入れるかとよく聞く人がある。経験から言うと、吸うときは胸部に、つまり肺に

息が入るのだから横隔膜が下に行くが、胸を広げるときだから、吐くときは鼻から

静かに息を出しながら、こうして吐きながら静かに下腹に充たした方が、どうも

良いようだ。


 つまり上をふくらましたときグッと力を入れると、うっかりすると胃下垂というような

病気となる。だから吐くときはムッーと下腹に力を入れる。そうしてだんだん暫くやって

、下腹に本当に力が入ったら呼吸には関係なくならねばいかん。呼吸のことは心配せんで

かすかに鼻から吸ったり吐いたりして、グッと公案に成り切っていく。


 この成り切るなんていう言葉は禅にしかないかも知れぬ。つまり外のああとか

こうとか思う雑念を全部振り捨ててグッと行くのだ。」

明日から僧堂大攝心です。

4月19日(金)


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 明朝より円覚寺僧堂(専門修行道場)では、大攝心(1週間に及ぶ坐禅の

集中修行期間)に入ります。僧堂師家(指導者)でもある管長様をはじめ

雲水さん、和尚さん、居士林の方々などが禅堂にこもり坐禅修行に集中します。

 今春は、特に10名もの新しい雲水さんが加わり、僧堂は総勢28名となりました。

大勢の活気ある大攝心となりそうです。

 なお、大攝心中は1週間毎日、管長様による提唱がございますので

皆様に出来る限りお伝えできればと思います。

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たそがれ☆かなちゃん。

おおてまり

4月18日(木)


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 今、黄梅院では、おおてまりが花をいっぱいに咲かせています。

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くもの赤ちゃんと。

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 今日は黄梅院では、午後からお檀家さんの法要でした。黄梅院住職でもある

管長様と本堂での読経を終えて円覚寺門前にある墓地に墓経(お墓の前で読むお経)

に行きましたら、途中、あやめが色鮮やか咲いていました。

円覚寺・今週のみどころ

4月17日(水)


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 今、円覚寺で何と言っても旬なのが、法堂跡に咲く牡丹です。

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 法堂跡は、仏殿の裏に位置しています。 

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様々な色、様々な種類の牡丹が私たちの目を楽しませてくれます。

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(後記)

 今日は、午前中、淡青坐禅会でした。11名の方が参加くださいました。

誠に有り難うございました。

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居士林、玄関から山門を眺める。

 さて、昨日、今日と円覚寺公式ホームページについてたくさんのご意見、ご要望を

いただき誠に有り難うございました。まだまだ、受け付けておりますので、

こちらのブログのコメント欄に皆様のお声をお寄せくださいますように。

ホームページに望むこと

4月16日(火)


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正伝庵の階段。

(後記)

今朝の仏殿での暁天坐禅会は、21名の方がご参加をされました。

うち7名が初参加でした。季候が良くなってきて参加者が増える時期

となりました。

 午後から本山にて円覚寺公式ホームページの変更の打ち合わせ

でした。皆様が円覚寺のホームーページにどのような情報を望むのか?

ご要望がありましたら、このブログのコメント欄に遠慮なくご意見を

お寄せ下さい。少しでも皆様の意見が反映できたらと思います。

 夕方から東慶寺さんでの鎌禅会(仏光録を学ぶ会)に出席。

今日の管長様による講義は、元寇の時の北条時宗公と無学祖元禅師の

お話でした。





4月15日(月)


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今、黄梅院では藤が一番の見頃です。

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 今朝は立班(りっぱん)と言いまして、平たく言えば雲水さんから和尚さんになる

儀式に出席して参りました。円覚寺派に2人の新しい和尚さんが加わりました。

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天上天下唯我独尊

4月14日(日) その2


 管長様が今日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 天上天下唯我独尊。私たちは天にも地にもかけがえのない尊いいのちを

今ここにこうして生きています。


 どれだけ多くの人の手を借りて今日までこうして生きてこられたのか?

どれだけ多くのご縁、ご恩をいただいて今ここにいるのか?このことを

少し考えてみれば、誠に一人一人、みんな無量です。はかり知ることが

できない。


 人様の手ばかりではない。お日様の光、水、食べ物、着るものしかりです。

そう考えれば天地のあるゆるものが総力をあげてこの私のいのちを支えくださり

守っていてくださっているのです。


 坐禅をしてはたと気づくことは、「ここにゆるされて守られているんだ!」という

ことです。


 いのちというものは、計り知れないとしかいいようがない。天にも地にも

かけがえのない尊いいのちが今、ここ、私の上ではたらいている。そう気づけば

まわりの人もそうであるとわかるはずです。


 小林一茶に次の句があります。

 {筍(たけのこ)も 名乗るか 唯我独尊と}


 タケノコも天にも地にもかけがえのないいのちをすくすくと

伸びているということです。今聞こえるカエルの鳴き声も

かけがえのないいのちの鳴き声です。


 いのちの尊さに目覚めお互いのいのちを大切にする。そして、

このいのちを傷つける、おろそかにするということは決してしないと

誓って、お互いのいのちを活かしていく道を学ぶのがお釈迦様の教えで

あります。

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蔦禅会

4月14日(日) その1


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 今日は午前中、日曜説教会、午後から蔦禅会(ハーバード大・ブラウン大同窓会と

居士林が共催する坐禅会)でした。20名の方が参加をされました。今回は約半数が

外国人の方でした。同時通訳をしていただいて、坐相などの説明をしたあと、約15分の坐禅を

3回して、残りの時間を円座になっての自己紹介と質疑応答にあてています。

 参加者の皆様、熱心に禅に関する質問をしてくださるので、こちらの方もたいへん勉強になり

「禅のお坊さん冥利に尽きる」有意義な時間をすごさせていただいています。

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黄梅院の藤。

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赤と緑のコラボ。モミジ。

4月13日(土)

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土曜坐禅会は初心者の部59名、2部46名の方がご参加ください

ました。誠に有り難うございました。

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景福荘のお地蔵さま。

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妙香池から山を眺める。

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隠寮のぼたん。

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黄梅院の新緑が紅いモミジ。夏場にかけて緑になり、そして秋に紅葉するそうです。


(後記)

 明日は、午前9時から方丈で日曜説教会(管長様法話)、引き続き

10時から日曜坐禅会となります。どなたでも、ご参加することができます

ので、皆様、円覚寺にお越し下さいますように。

新緑の境内

4月12日(金)


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 秋の紅葉もいいけれど、この新緑の季節も本当に心洗われます。

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 木の陰も日を追うごとに濃くなってきました。

週末は円覚寺で新緑を楽しんでみてはいかがですか?

明日は、土曜坐禅会初心者の部(13:10~14:20 居士林)

明後日は、管長様法話の日曜説教会(9:00~10:00 方丈)が

ございます。どなたでも、ご参加することができます。

皆様のご来山をお待ちしております。


五百羅漢研究会

4月11日(木)


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 今日は、午前中、山内・雲頂菴さんで行われた五百羅漢研究会に管長様や学芸員さん

檀信徒さんなどとともに出席して参りました。最初に夢窓国師の頂相(肖像画)に関する

お話がありました。夢窓国師の頂相はその数たくさんありますが、紙型をもとに

描かれている為、シルエット等に統一性があるとのこと。また、妙智院の国師頂相に

描かれている黄色い袈裟が黄梅院に伝わる袈裟と同一ではないかとの説を講師のU先生

がおっしゃられていました。

 五百羅漢図は、「経典奇瑞」の幅を説明していただきました。この幅もそうですが、

五百羅漢図のいくつかは仏教説話をビジュアル化したと推測できるものがあるとのこと。

絵の中にストーリーを読み解くことができる可能性をお示しくださいました。

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 新緑が目にまぶしい季節となりました。山門。

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虎頭岩(ことうがん)。虎を檻に入れてみました。

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大方丈前庭。

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光と影。

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沸き立つ雲。

英訳パンフレット

4月10日(木)


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 今日は、午前中、文京区龍雲院でTさんと新しい円覚寺の英訳パンフレットの

打ち合わせをして参りました。日本語版はもう4月から総門で配布をしているのですが、

外国人向けのパンフはまだ新しくしていないので制作をしています。ご縁のある方に

翻訳していただいた文章をはめ込む作業をしてもらっています。

最近は、円覚寺境内にも多くの外国の方を見かけます。パンフレットを通して

観光はもちろんZENの教えに接していただけたら何よりの幸いです。

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 午後、円覚寺に戻ってT版印刷さんと遠諱ポスター等の打ち合わせ。

写真は僧堂前です。緑も日を増して濃くなってきていますね。

屋根の上の参拝者

4月9日(火)


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 あれ! 大方丈の屋根の上に何かいますね。

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ズーム アップ 

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 なんと、シラサギでした。円覚寺総門前の池は白鷺池(びゃくろち)と言いますが、

昔はもっと多くのシラサギが飛来していたのかもしれません。

 近くにいた観光客の方が「あれは置物だよ。」と言っているのが聞こえてきました。

本物です!立派に生きています!

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雪の下にも黄色い花が咲くのですね。

赤ちゃんバッタが乗っかっていました

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しゃが。

降誕会

4月8日(月)

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今日は、円覚寺仏殿で行われた花まつり(降誕会)に出頭して参りました。

本尊宝冠釈迦如来の前に花御堂を作り儀式を行いました。

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お釈迦様の天上天下像。鎌倉彫の器の中には甘茶が入っていて

杓子で像にそそぎます。

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奠供(てんぐ)。仏様にお茶・お湯・お膳を献じていきます。 
 
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列拝。

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管長様、甘茶をそそぐ。

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 管長様、香木を念じながら漢詩を唱える。

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(意訳)ルンビニーの園では、あまたの花びらが舞い、お釈迦様は

お生まれになって7歩歩まれて「天上天下唯我独尊」と仰せられた。

 天上界も人間界も皆お釈迦様のご誕生を恭しく敬礼した。私は今

香ばしい甘茶を柄杓1杯捧げて、お釈迦様の大いなるご恩に報いよう

する。

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 疏(しょ)。山節(やまぶし)と呼ばれる円覚寺に伝わる独特の節回しで

お釈迦様の誕生を讃える文を読み上げます。

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行導(ぎょうどう)。行列をなしながらお経を唱えていきます。

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 今日の降誕会も先日の涅槃会に引き続き、多くの方々が参列して

くださいました。皆様、誠に有り難うございました。

(後記)

 今日のカメラ撮影はTさんにしていただきました。

有り難うございました。

明日は降誕会です。

4月7日(日)


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 勅使門横の八重桜。春の嵐を乗り越えて。

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 明日は、花まつり(降誕会)です。円覚寺では、午前10時仏殿において

花で飾り立てた小さなお堂に天上天下のお釈迦様像を安置して行事を

行います。行事の内容が詳しく説明されたパンフレットもご用意致しました。

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 儀式中に管長様がお唱えになる漢詩の訓読、意訳も載っています。

儀式の前にご参加なさる皆様に配布する予定です。

皆様のご参列をお待ちしております。

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 朝の掃除前の参道。昨日の風雨でだいぶ葉っぱなどが落ちました。

いつも円覚寺境内がきれいなのは、掃除をしてくれる人のおかげです。

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 夕日に照らされて。





春疾風

4月6日(土) その2


 今日の土曜坐禅会は、初心者の部70名、2部22名でした。

ご参加いただき誠に有り難うございました。

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 暴風雨に備えて黄梅院も雨戸を閉めました。

皆様、くれぐれもご注意くださいますように。

土日坐禅会休会

4月6日(土)


 本日の土日坐禅会(と土曜坐禅会 晩の部)は、大荒れの天気となることが

予想されるため、休会となります。鎌倉市では、夕方から雨風ともに非常に強くなる

とのことです。なお、土曜坐禅会(初心者の部、2部)は、今のところ、通常通り行う

予定です。

 台風並みの暴風になる可能性もありますので、皆様、くれぐれも慎重に

ご行動くださいますように。
 
(後記)

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「花まつり」まで数えるところあと2日をとなりました。

「花まつり」はお釈迦様が誕生された日です。美しい花で飾られた花御堂に

天上天下指さした誕生仏をまつり、甘茶をそそぐ行事です。

 どなたでもこの花まつりに参列することができます。

皆様のご参加をお待ちしております。

土日坐禅会の方へ

4月5日(金) その2


 明日は午後から天気が大荒れになることが予想されています。

やむ得ない場合には、土日坐禅会は休会となることもあります。

朝のうちにに開催するかどうかお知らせします。宜しくお願い致します。

(後記)

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「花まつり」まで数えるところあと3日をとなりました。

「花まつり」はお釈迦様が誕生された日です。美しい花で飾られた花御堂に

天上天下指さした誕生仏をまつり、甘茶をそそぐ行事です。

 どなたでもこの花まつりに参列することができます。

皆様のご参加をお待ちしております。

ホームページ改革

4月5日(金) その1

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 桜の時期も終わりを告げ、新緑の美しい季節となりました。

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 今日は午前中、本山で行われた教学委員会に出席して参りました。

 本派住職研修会(円覚寺派の和尚さんを対象とした研修会)の日程が

6月12日、13日となりました。研修内容は12日が法話実践講習、13日が(7年後の

遠諱を控えて)大用国師と宗演老師について学ぶことが決まりました。

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その他、円覚寺公式ホームページをより一層充実させるために、ライブカメラ

映像を導入すること。また、トップ画面を自分たちでより簡単に変えることができる

ようするなどして、皆様に活きた情報をお届けできるようにする方向で工夫すること

などが話し合われました。

 委員会に出席された管長様が強調されたことは、檀信徒さんなどに教化活動を

していくにはまず、我々僧侶自身が学ばなければならないということでした。

そう言うわけで各種勉強会・見学会の設置も検討されました。


 

4月4日(木)


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 今日は本当に中身の濃い一日でした。

 早朝、如意庵さんにて、暁天坐禅会の方々との粥坐会。

管長様においでいただき、質疑応答をしていただきました。

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午前10時から北条時宗公毎歳忌に出頭。

 終わって11時から、(遠諱の)展示広報委員会に出席。

 宝物データベースソフト「ファイルメーカー」の研修を

しました。

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遠諱ポスターがだいたい出来上がりました。

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午後、場所を神奈川県立歴史博物館に移動して、

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博物館内にある舎利殿の原寸大の模型を見学。

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こちらは、1573年の円覚寺仏殿再建計画をもとに再現された

10分の1の模型です。

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前県立博物館学芸員Uさんのおかげで、もと横浜正金銀行ドーム

(現県博)の中に入ることができました。

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ドーム天井!

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ドームの円相窓!

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屋上からの風景。


どこでどう転んでも

4月3日(水)


 管長様が今日の淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 私たちは、どこでどう転んでも不可思議ないのち、仏心をいただいている。

どこでどういても、そのまま解脱・悟りの姿に他ならない。しかし、そのことに

気づかずに外に向かって求めてしまう。それが迷いのおおもとであると

臨済禅師は繰り返し説いています。


 私たちが眼に触れるものはみな真理をありのままに表しています。みな

私たちにいのちの尊さ、すばらしさです。


 松尾芭蕉に次の俳句があります。

{このあたり 目に見ゆるものは 皆涼し}

目に触れるものはみな仏心そのものなのです。


 私たちは普通、外に見える木や花と私たちのいのちが相隔たったもの

別もののように見てしまう。しかし、このいのちの世界や意識・心の底を

深く究明していくと、気づくところはいのちは一枚であるという

ことです。


 私たちのいのちも花や鳥など動植物のいのちも別ではない、切り離して

考えることはできない。いのちというものはみんなつながりあっている。

もっと深く見ると一枚のいのちをこうして生きているのです。


 浄土宗・西山上人の歌に

{南無阿弥陀仏 ほとけの御名と思いしに 唱うる人の姿けり}

というものがあります。仏様のお名前だと思って一生懸命唱えて

いたけれどその唱えている姿が阿弥陀様であったという歌です。


 その仏様を手を合わせて拝んでいるその人の心こそが阿弥陀様の

心そのものなのです。阿弥陀様の心と私たちの心は、一枚に続き

あっている、決して隔たりはないのです。


 お浄土もよそやどこか遠くにあるように思うが、決してそうではない。

どこでどう転んでもそこが安心のところです。


 白隠禅師坐禅和讃の通りです。

「当処すなわち蓮華国、この身すなわち仏なり」です。


 みんな尊い仏様のいのちをいただいてこの仮の宿に生まれて

きている。仏教は、その仏様のいのちに目覚める教えであります。

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井戸 <僧堂> 現役です!




 
 




 

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