スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

いろは第2集打ち合わせ

1月31日(木)


blog-DSC00588.jpg

 今日は、午前中、文京区白山の龍雲院で、円覚寺・居士林だよりの

ブログ本「いろはにほへと第2集」の初の編集会議をいたしました。

デザイナーーのTさんと出版社のMさん出席のもと、去年1年間、

管長様が行ったたくさんの法話を30話くらいに厳選しました。

それと、表紙の写真、発行期日(6月頃)などについて話し合いました。

Tさんが表紙案をいくつか作ってきてくださいました。

blog-DSC00587.jpg

 それが、終了したあと、円覚寺では4月から拝観券としおりが

新しくなる予定ですので、それの打ち合わせでした。こちらも、Tさん

作成の拝観券案です。春夏秋冬で違うデザインで同じ季節でもいくつかの

種類があり、裏に管長様の短い法話を載せることを検討しています。

拝観券やしおりをもらった方が「手元に取っておきたい」

「コレクトしたい」と思えるようなものになればいいなと

考えています。
スポンサーサイト

南無地獄大菩薩

1月30日(水) 


 管長様が提唱されたことをまとめてみました。


 今、東京・渋谷で白隠禅師展をやっています。ある人が白隠禅師の

書や絵には地獄のにおいがする、おどろおどろしい、ゾッとすると

称していました。


 白隠禅師には有名な「南無地獄大菩薩」の墨跡が伝わっていますが

この「南無地獄大菩薩」こそ、白隠禅師の真骨頂と言ってもいいいかも

しれません。


 「地獄に気づいた人は少ない、地獄を脱した人はさらに少ない、

しかし、人の為に地獄におりた人は、なお、一層少ない。」と

言った人がおります。


 今は平穏の時代ですが、苦しんでいる人がどれだけいるか?

よく自死者、年間3万人と言いますが、自ら命を絶たなければ

ならないほどの苦しみを持った人が何万人もいるということ、

その苦しみの声が聞こえているか?


 不慮の事故、災難で苦しんでいる人がどれほどいるか?

そういう人の声が聞こえてこないというようなことでは

お坊さんとして困るのであります。まず、このような地獄

に気がつかねばなりません。


 そして、私達坊さんは、修行をして苦しみから脱する。地獄も何も

ありはしないと気がつかねばなりません。


 さらに、そして、そこに安住するのではなく、今度はもう一遍

地獄に降りて、地獄の中で大菩薩たらんとする。そのような、

白隠禅師の大いなる願いの表れが、あの「南無地獄大菩薩」という

字ではなかろうかと思います。


 自らは地獄大菩薩たらんとする。一般の人には、地獄の中にこそ

真の菩薩、救いの菩薩があるんだということを示してあげたい。

そういう白隠禅師の慈悲の心が、あの書や絵になっているんだと

思います。


 自ら地獄に落ちて大菩薩たらんとする。これが白隠禅師の願いであり

私達、お坊さんとして一番大事なところであります。




 

消防訓練

1月29日(火)

blog-DSC00580.jpg

 今日は、消防訓練に参加して参りました。

仏殿で火災が発生したと仮定して、消火活動を

行いました。

blog-DSC00575.jpg

消防署の方の指導のもと、かなり本格的な訓練となりました。

blog-DSC00582.jpg



紅い山

1月28日(月)


blog-DSC00569.jpg
 
 今年も黄梅院の山が真っ赤に色づく季節となりました。

 午後4時半頃に、ほんの数分の間だけ、西日を受けて山が

紅く染まります。神秘的な風景です。

無事、終了しました。

1月27日(日)


blog-DSC00566.jpg

 僧堂(専門修行道場)の制末大攝心は、おかげさまで、

無事に終了いたしました。皆様、有り難うございました。

blog-DSC00568.jpg

臘梅(ろうばい) <黄梅院>

 今のこの寒さの一番厳しい時期に、黄梅院の庭に咲いているのは、

満作とこの臘梅です。どちらも黄色ですね。タマゴの黄身も黄色、

中国の皇帝のお召しになっている服の色も黄色。

 生命力、いのちの強さを感じさせてくれる色ですね。




 

春季学生大攝心日程

1月26日(土)

blog-DSC00564.jpg

 居士林での土曜坐禅会は、肌を刺すような寒風の中、

初心者の部39名、2部36名の方が参加をされました。

皆様、誠に有り難うございました。

blog-DSC00565.jpg

 さて、例年3月の初旬に居士林で行われる春季学生大攝心

(一般の方の参加も可)ですが、今年は、少し変更して下旬の、

3月、22,23,24日に日程が決まりました。

2月に入りましたら、円覚寺のホームページ上で、

正式に応募を開始します。

 皆様のご参加をお待ちしております。

伝えていくこと

1月26日(土) 制末大攝心・最終日


 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


神社本庁の方が冊子でつぎのようなことをを書いておられました。

「今、伝統文化というものが、人々に通用しない時代になりつつ

あります。(本当の)伝統というものは、単に昔のものをそのまま

コピーして保存したものではありません。


 時代も変われば、人も変わりますので、古来から伝えられたものの

本質を大切にしつつもその時代、その時代のものを取り入れ、

伝統の上に新たに積み上げていかなくては、伝統は形骸化し

継承されなくなってしまう。形ばかりの死んだ伝統を伝えるばかりでは

だめであります。」


 私達の修行も伝統を大切にする修行であります。それと共に絶えず

今の社会に対して、今の悩み苦しんでいる人に対して何を発信したら

よいのか問い続けなければなりません。


その為に、まず、今残されている伝統の修行の型を学んで、また

歴史や文化などもしっかりと学んでいかねばなりません。


 そこにとどまらず、さらにその時代に合う新しい命を付け加えて

発信して次の世代に伝えていくことが、今の我々に必要なのでは

ないでしょうか。


 

満作・万作(まんさく)

1月25日(金) その2


blog-DSC00560.jpg

満作(万作)です。<黄梅院>

blog-DSC00558.jpg

 春に他の花に先駆けて咲くことから「まず咲く花」から、

「まんずさく」が東北地方で訛って、この名前が付けられた

という説。他に、花がたくさんつくので「豊年満作」から

命名されたという説もあるそうです。

 それにしても、よく見れば見るほど、不思議な形をしていますね。

悟りをひらいたなら

1月25日(金) 制末大攝心・6日目


 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 朝比奈宗源老師は、「悟りをひらいたなら、複雑怪奇な現実社会に

出て、自由自在に働いて、人の為に悩み抜き、苦しみ抜いてあげなければ

ならない。」と仰せになっています。それこそ、まさに衆生無辺

誓願度の願いであります。


 白隠禅師は、最初、自分の心の苦しみからのがれる為に修行を

はじめましたが、後に「菩提心とは悟りを求める心であるが、それは

単に自分だけ悟りをひらいて満足するのではなく、人の為に尽くす

ことこそ菩提心である」と気づかれました。


 仏道を修行しようと思ったら、人々の為に尽くしていこうという

願いをもたなければなりません。それには、まず、自分の修行をして

仏心をはっきりさせる。


 そして、それにとどまらず、いろいろな人々の様々な苦しみを

肌で感じ、そういう人達に「この仏心をどう教えていったら

いいのか?」を絶えず学ばなくてはなりません。


 そうやってやっておれば、自ずと自分自身の煩悩が無くなって

くる。自然と自分の欲望や楽しみに振り回されることも少なくなる

はずです。


 坐禅をして、自分は仏心の真っ只中であるとしっかりと実感

したうえで、あとは、現実社会の中に入って、悩み苦しむ人々と

いっしょに悩み抜く、苦しみ抜いていこうという願いを持って

働いていく。これが私達の修行でなければなりません。





無心の人がいるだけで

1月24日(木) 制末大攝心・5日目


 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 本来、禅や仏教なんていうものは、何も特別な道理があるわけ

ではないのであります。「お日様が出てきたら起きて働き、お日様が

沈んだなら、ゆっくりと休む。井戸を掘って水を飲み、田んぼを耕して

そこからいただくものを食べる。」であります。


 その自然のままで、満ち足りた暮らしこそ、強いて言えば、

法そのもの、真理そのものであります。



 皆さんは、この僧堂に来て、不自由だ、かなわんと思っているかも

しれませんが、この僧堂の生活というのは、何と言うことはない、

ほんの一昔前の農家の人の暮らしのまねをしているようなものです。

自然のままの暮らしであります。


 やはり、人は自然から離れてしまったところで、何か行き詰まって

しまうような気がします。昔の農家のような暮らしをして、

自然のままの暮らしをしていれば、何も特別な教えなどそれほど

必要としないように思われます。


 「何も思わぬは、仏の稽古なり。」と至道禅師は言いました。

「ただ、つまらない考えを捨てよ。それ以外に何も悟りは

ありはしない。」と言った古人もいます。


 考えるということはある程度は必要でありますが、考えすぎると

かえって、さらに迷ってしまう。私達のつとめは、衆生済度、人々を

導いていくことで、それはまごうことのない事実であり肝に命じる

ものであります。


 しかし、そうかといって、「どうして人を救っていこうか?」と

力みかえって、「ああしようか、こうしようか」と考え込んで

しまっては、かえってはた迷惑になったり、自分の足下を

見失いかねません。


そこで、やはり、禅の本領は無心であります。


 それこそ、ネコがゴロンと日向ぼっこしているのを見ると

何かしら、ホッとした気持ちになるます。そのように

無心の人がそこにいるだけで、自ずとその場が穏やかになる

というのが禅の本領ではないでしょうか。




 

忍を懐いて慈を行ず

1月23日(水) 制末大攝心・中日


 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 修行だなんだと言いましても、やはり究極のところは、この身に

起こること、現実に起こることをありのままに受け入れることの

できる心の広さでありましょう。


 坐禅をしたり、禅の問題に取り組んだりするのも一つの修行で

ありますが、「現実のこの毎日の暮らしをどう生きていくか?」

これが私達の一番の修行であります。


 生老病死、誰しも、生まれたからには老いる、病気にもなる、

最期は死というものを避けることはできない。その間、様々な

苦しみというものに責められるのが人生であります。


 お釈迦様が言われたとおり、生きている限り、「苦」であります。

思い通りにならない、苦しみは尽きることはありません。

それをどう受け止めて生きていくかが真の修行であります。


 「忍を懐いて慈を行ず」という言葉があります。

自分の身に降りかかってくることは、忍しかありません。

耐え忍ぶ。その代わり、自分の周りに対しては慈、つまり

いくつしみ、思いやりを持って接していく。そう、自分で

覚悟を決めるしか他はありません。


 自分の身に降りかかってきたものは、どんなものでも受け入れる。

禅の修行は、苦しみのどん底に落ち込んで、そのどん底でニッコリと

ほほ笑むことができること。それが禅の本領であります。


 あるとみて なきこそもとの すがたなり

   なきをたのしむ こころやすさよ

 何にもない所が、おおもとであります。何にもない所から

生まれて何にもない所へ帰って行く。なに、その一時(いっとき)

のことであります。


 何にもない所を楽しむ心ができたならば、どんなものが降りかかって

こようとも、ニッコリほほ笑んで受け止めることができる。この忍こそ

修行の本領でありましょう。


 そして、周りに対してはとことん、徹底的に慈を行じていく。

これが「行路難」苦労の中を渡っていく一番のよすがであります。


 


 

 

三椏(みつまた)

1月22日(火) 制末大攝心・3日目


blog-DSC00548.jpg

三椏(みつまた)です。冷たい雪を乗り越えて

活き活きしていますね。 <黄梅院>

(後記)

 本日の管長様の提唱は、後日、改めて紹介させていただきます。

心を籠(こ)める

1月21日(月) 制末大攝心・2日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 何においても心を籠(こ)めるということが大切であります。

おおざっぱに、ただ、バタバタとやるのではなく、一つ一つに

心を籠めていく。


 坐禅をするときには、一息一息、一呼吸一呼吸に心を籠めていく。

この心を籠めていく、その心こそが仏であります。


 そのことに気がついて、その一つの教えを伝えてきたのが、

お釈迦様以来、ダルマ様などの祖師方であります。


 中国、唐の時代の禪僧、馬祖道一禅師は、そのお示しの中に

「心を籠める、その心こそが仏である、こう信ぜよ。」と

仰せになっています。仏様と思って手を合わせる、その手を

合わせる心こそが仏であると。


 ダルマ様がはるばるインドから中国に渡り、お伝えしようと

したのは、この一心、この心に他なりません。この心とは別に

仏様はよそにありはしない。仏の他に別に心なしであります。


 天地(あめつち)の 心はおのれの 心なり

    ほかに心の ありと思うな


 天地一杯の仏心こそ、わが心であります。それ以外によそに

心はありはしない。自分自身、これが仏であります。


 「見たり、聞いたりしているもの、今ここで確かにこうして

生きているもの、これこそ、なるほど、仏である。」とこう

気がついてもらいたい。それが、今に到るまで連綿と伝わっている

お釈迦様の教えであります。




 

 

浩然の気

1月20日(日) 制末大攝心・初日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 明治時代の円覚寺初代管長であられる今北洪川老師は、「孟子」

の中の「浩然の気」という一文に出会ったのが禅の道に進む一番の

きっかけでありました。そしてこの「浩然の気」を生涯行じたので

あります。


 ではこの「浩然の気」と何でありましょうか?それは天地にみなぎる

気であります。この大宇宙の主人公になった気持ちで、どっかりと坐禅を

する。腰骨を立てて丹田・肚を練っていれば、「自分は天地一杯のいのちを

生きているんだ!」体で感じ取ることができるはずです。


 この天地一杯のいのちが「浩然の気」であり、天地一杯のいのちを

生きることが禅の道といっても過言ではありません。


 次のような俳句があります。

 たえてさく 花にいのちを 重ねけり


 おそらく、寒中に、枯れ木に見まごうばかりの、梅の老木に咲く

一輪の花を自分のいのちと重ね合わせた歌であろうと思います。


 「浩然の気」とは、また、天地に恥じることのないいのちとも

申し上げていい。枯れ木に咲く一輪の花が咲いている姿は、すなわち

天地一杯のいのちの姿であります。


 わがいのちをその精一杯咲いている一輪の花に重ね合わせて

恥じることのない生き方をしているか?


 洪川老師は、「浩然の気」を体悟して「私の体の内に

蓄えていた気がこの世界に満ちあふれている。どこもかしこも

光で一杯になっている」と気づかれました。


 皆さんには、ぜひこういう体験をしてもらいたい。

blog-DSC00546.jpg

万作(まんさく) <黄梅院>




明朝から大攝心です。

1月19日(土)

blog-DSC00542.jpg

 今日の土曜坐禅会・初心者の部は、このような寒い時期

にしては珍しく、88名もの方が参加をされました。

2部は36名の方が参加。皆様、お寒い中、ご参加いただき

誠に有り難うございました。

blog-DSC00543.jpg

日中、日が出て少し温かくなりましたが、

まだまだ、雪が残っています。

blog-DSC00544.jpg

昼の月。ちょうど鳥の影が前を過ぎました。

 明朝から、円覚寺僧堂では、制末大攝心となります。



お浄土

1月18日(金)

blog-DSC00531.jpg

 冬晴れの穏やかな日になりました。

雪に朝日が反射して、まるで「お浄土」のような

清らかな景色です。<大方丈・前庭>

blog-DSC00529.jpg


blog-DSC00534.jpg

 明後日(20日)から26日まで、僧堂(専門修行道場)では、

制末大攝心(1週間の集中修行期間)となります。

 管長様をはじめ雲水さん、和尚さん、居士の方が

1週間、禅堂に詰め、坐禅修行に打ち込みます。

残雪の厳しい寒さの中、より一層、身の引き締まる攝心

となりそうです。

blog-DSC00538.jpg

 向かって右が禅堂、左が宿龍殿です。ここの雪は、

なかなかとけません。

残雪の中で

1月16日(水)


blog-DSC00523.jpg

 今朝は、午前6時からの暁天坐禅会の担当でした。

残雪の中、深々と冷える仏殿で、9名の方が参加されました。

blog-DSC00518.jpg

 午前中は、居士林で淡青坐禅会でした。14名の方が参加。

皆様、お寒い中、ご参加いただき、誠に有り難うございました。

blog-DSC00522.jpg

<選仏場>

雪の白と空の青が美しいですね。

(後記)

 明日は、午前6時から、仏殿におきまして、百丈忌の法要が

行われます。中国は唐の時代の禅僧、百丈懐海禅師は、西暦814年

1月17日にご遷化されました。


 百丈禅師は、今現在も実施されている禅宗寺院での規則を作られた

お方です。その遺徳を偲び、毎年1月17日に「百丈忌」の法要を

厳かに営みます。

至誠

1月15日(火) その2

blog-DSC00460.jpg

 こちらは、昨日、円覚寺で行われる成人式で贈呈される予定

だった、管長様揮毫の「至誠」の色紙です。残念ながら、雪の為

中止になりましたので、管長様が作ってくださいました「至誠」に

ついての説明文をつけて、郵送されることになりました。

説明文の内容は以下です。

[ 至誠ーまごころー ]

「至誠」とは、この上なく誠実なこと、まごごろを表します。

中国の古典{孟子}には「誠は天の道なり。誠を思うは人の道

なり。至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」と

説かれています。

 
 平易に訳してみますと「天地万物にあまねく貫いているのが

誠であり、天の道である。この誠に背かないようにつとめるのが

人の道である。まごころをもって対すればどんな人でも感動させない

ということはない。」


 まごころをもって接すれば、どんな人でも動かせる力があるという

ことです。ただし、その至誠、まごころは一時だけのものに終わっては

なりません。


 これも中国の古典{中庸}には「至誠無息<至誠息(や)むこと無し>」の

一句がございます。この上ない誠実さ、まごころをもって生涯を貫く

ことです。{中庸}には「至誠息むこと無し」の後に「息(や)まざれば

久し。久しければ徴(しるし)あり」と続きます。


 「この上ない誠実さ、まごころを怠ることなく、あきらめずに保てば

長く勤めることが出来る。長く勤めれば必ず目に見えるしるしが顕れる」

という意味になります。


 まごころを持って、倦(う)まず弛(たゆ)まずどこまでも貫いて、

途中でやめることさえしなければ、必ず目に見える成果が現れる。

どんな人でも、世の中でも変えていく事が出来るということです。


 嘘偽りの多い中でも、頼りとすべきはまごころひとつ、お互いの

まごころを貫いてまいりたいと存じます。まごころを持っていけば

必ず道は開かれると信じてまいりましょう。

(後記)

blog-DSC00499.jpg

 <舎利殿> 昨日の大雪の時の写真です。

blog-DSC00502.jpg


blog-DSC00491.jpg

<山門>










総門を開門しました。

1月15日(火)


 円覚寺では、参道の凍結による危険と除雪のため、

拝観を一時的に中止しておりましたがその作業が終わり

ましたらので、さきほどから、総門を開門致しました。

ご迷惑をおかけしました。

宜しくお願い致します。

(後記)

 黄梅院は、参道の凍結と積雪による落木の危険があるため、

本日は閉門致します。

いろはと雪と

1月14日(月)


blog-DSC00513.jpg

 今日は、午前中、東京・文京区の龍雲院(白山道場)で

デザイナーであり、このお寺の総代さんでもあるTさんと

円覚寺の新しい拝観券としおり、それと、いろはにほへと第2集

の打ち合わせを致しました。こちらがTさんにデザインして

いただいた拝観券(案)です。季節それぞれに変わり、裏には管長様の

短い教えの言葉を入れるなどの提案があります。

blog-DSC00515.jpg

 こちらが、新しいしおり(案)です。シンプルかつきちんとした

禅寺・円覚寺としてのメッセージがあるようなコンセプトのもとに

Tさんが作成してくださいました。

 それと、法話集「いろはにほへと」ですが、おかげさまで

第2集を作ることになりました。今年の6月中までには、出来ればと

予定しています。第2弾へ向けて、本日から始動致しました。

blog-DSC00490.jpg

お昼頃、円覚寺に戻ってくる頃には、大雪に。

残念ながら、円覚寺での成人式も中止となりました。

blog-DSC00494.jpg

<居士林>

blog-DSC00498_20130114165402.jpg

<大方丈>

blog-DSC00501.jpg

<舎利殿>

blog-DSC00506.jpg

 管長様(写真)をはじめ、雲水さんなど、総出での境内の雪かきとなりました。


和やかさによって

1月13日(日)


 管長様が日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


お釈迦様のお言葉の中に

「和やかさによりて瞋(いかり)に克つべし。

恵み心によりてどん欲に克つべし。

しかして、我らはまことによりて、瞋の人に克つべし。」

というものがあります。


 私達の心が作り出す様々な妄想や化け物を退治していくのは

やはり、正しい智慧であります。それは、妄想に振り回されることは

愚かであると気づくことであります。そして、自分の周りの人々への

いくつしみ、思いやりの心で妄想に打ち克つっていくことであります。


 一遍上人の歌に

  いにしえは 心のままに したがいぬ

    今や心よ 我にしたがえ

 というものがります。

 
 今までは、自分の感情に振り回されてきたが、これからは

この様々な感情を制御、調えていこうという歌です。


 その為には主体性を持つ、自分の心の主にならねばなりません。

主体性を持つにはまず、腰骨を立ててお腹に力を入れることです。

体がぐらぐらしていたのでは、妄想に振り回されてしまいます。


 そして、感情に振り回されないようにする為には、昔から

呼吸を調えることが一番と言われています。静かにゆっくりと

自分のこの呼吸をみつめる。


 そうすれば、お互いが生まれながらに持っている仏心に

気づくはずです。自分自身の心がこの素晴らしい仏心であった

と気づけば、身の回りにあるすべてのものが仏心の心を持っている

と見ていくことが出来るはずであります。

(後記)

 今日の日曜説教会も、たいへんな寒い中にもかかわらず、

いつもと変わらず、400名近い方が拝聴にお見えになりました。

午後から、蔦禅坐禅会でした。14名のご参加、皆様、誠に

有り難うございました。

blog-DSC00489.jpg

<妙香池> カワセミのトム君。

blog-DSC00488.jpg

2メートルくらいまで接近して撮影することができました。

それにしても、本当に綺麗です。


 


 





正しい方向かどうか?

1月12日(土)


 管長様が土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 ある老師がこんなことを言われていました。「自分の坐禅が

うまくいっているかどうか?正しい方向にむかっているかどうか?

を知りたいと思えば、自分の家庭を見るのが一番いい。


 あの人が坐禅に行くようになって、おうちで怒ったり、

大きな声を出したりしないようになり、その人がそこにいる

だけで、なんとなく家庭が穏やかになってきたら、その人の

坐禅はまあまあである。


 反対に、坐禅に行くようになってから、「きちんとしろ」とか、

「これが正しい作法だ、こーしろ!」とかとガミガミうるさくて

仕方がなくなってきたらその人の坐禅は考え物であります。」と。


 悟りの心を現実世界に活かしていくことは非常に難しいこと

であります。家庭、学校、会社で、目の前の人がみんな仏心を

持っていて素晴らしいと思うのは、なかなか難しいことです。


 そうではありますが、もう一度改めて、自分自身の本心本性に

目覚め「ああ、なるほど私の本心本性はなんと素晴らしい心で

あったことか」と静かに坐禅をして確かめることが大切であります。


 そうすれば、現実の生活、家庭、学校、会社の中で

「ここがお浄土であった、仏心の真っ只中であった!」と改めて気づき、

まわりにいる身近な人達もみんな同じ仏心を持って生まれてきていると

実感できると家庭も自然と安らかになるものであります。

blog-DSC00482.jpg

<日が射し込む居士林堂内>

(後記)

 今年初めの土曜坐禅会は初心者の部60名、2部49名でした。

日中は、ぽかぽか陽気の中での坐禅会でした。

皆様、ご参加をいただき誠に有り難うございました。

 明日は、午前9時から大方丈で日曜説教会

(管長様のご法話)です。







仏様のような

1月11日(金)


blog-DSC00485.jpg

 円覚寺山内の和尚さんの赤ちゃんです。お母さんに

だっこしてもらって幸せそうですね。

 思わず合掌をしてしまいそうな、仏様のようなお顔を

していますね。

blog-DSC00483.jpg

こちらは、選仏場にある薬師様です。

blog-DSC00476.jpg

今朝は、午前6時からの暁天坐禅会の担当でした。

大方丈前の池が凍るような寒さの中、12名の方が参加を

されました。皆様、有り難うございました。

blog-DSC00478.jpg

 かなちゃんにとって、ライバル的存在の若いネコ「シューちゃん」です。

徐々にかなちゃんのテリトリーを手中に収めつつあるそうです。

(後記)

 明日は、今年初の土曜・土日坐禅会となります。土曜坐禅会2部では

管長様に「無門関提唱」をしたいただく予定となっています。

皆様のご参加をお待ちしております。


臨済忌

1月10日(木)


blog-DSC00466.jpg

 今日は、臨済宗の祖・臨済義玄禅師がご遷化された日(臨済忌)です。

臨済禅師は、今の中国山東省の方で、西暦867年にご遷化されました。

 午前6時から、仏殿で、管長様をはじめ山内和尚さん、雲水さんが

集まって法要が厳かに営まれました。

blog-DSC00469.jpg

<仏殿・宝冠釈迦如来>

blog-DSC00473.jpg

 臨済忌の日、僧堂では、「除策(じょさく)」と言ってお休みに

なります。それで、いつから行われているのか、不思議な習慣で、

円覚寺の雲水さんと建長寺(同じ臨済宗)の雲水さんが

ソフトボールの試合を毎年この日にしています。


 作務着に白いタオルを頭に巻いて、バットを握り、グローブで

ボールをキャッチしているんです。建長寺さんとの良い交流の

機会となり、なかなか、有り難いものであります。

(後記)

 今年初めの土曜坐禅会2部{1月12日(土)}では、

管長様に「無門関提唱」をしていただく予定となっています。

皆様のご参加をお待ちしております。


代理人でも大丈夫です。

1月9日(水)

blog-DSC00465.jpg

<円覚寺山内・龍隠庵> 「灯籠と伽藍(がらん)」

奥に左から仏殿、選仏場、山門が見えます。

blog-DSC00464.jpg

かなちゃんです。久しぶりの登場です。

blog-DSC00462.jpg

最近は食欲旺盛なようで、日に何度も餌のおねだりにくるそうです。

そのせいか、夏場よりだいぶ丸くなってまいりました。

 かなちゃんをなでていたら、観光客の方から、「そのネコは

妊娠しているんですか?」と尋ねられてしまいました。

(ちなみにかなちゃんの年齢は、人間でいえば、

「後期高齢者」にあたります。)

 最近は、若いネコに押され気味のようですが、

接する人々を自然と癒してくれる大切な存在です。

blog-DSC00460.jpg

 先日、紹介した円覚寺での成人式ですが、ご本人が出席できない

場合は、代理人の方が出席されるのでもかまいません。

出席された方にはこちらの管長様揮毫の色紙が贈呈される

予定です。

カワセミのトム君

1月8日(火)

blog-DSC00454.jpg

 円覚寺山内の龍隠庵さんの日当たりの良いところでは

水仙がもう花を咲かせています。

blog-DSC00455.jpg

 妙香池のもはや名物となりつつある「カワセミのトム君」です。

blog-DSC00456.jpg

 時には氷が張るような冷たい水の中に、餌を求めて

何度も何度も、飛び込んでいく様子には、本当に涙そそるものが

あります。

blog-DSC00458.jpg

自分ももう少しがんばろうという気分に自然となります。

厳しい環境を生き抜いているからこそ、この凜とした

美しさがあるのではと思えてなりません。

有り難う!トム君!

円覚寺で成人式を!

1月7日(月)


blog-DSC00452.jpg

 円覚寺でも、毎年、成人祝賀の会(成人式)行っています。

日時は、1月14日(月) 午後2時から受け付け。

場所は、円覚寺 大方丈。

申し込み資格は、平成25年4月1日現在満20歳の方なら、どなたでも

        歓迎です。

申し込み方法は、円覚寺宗務本所(TEL0467-22-0478)

にお問い合わせください。

参加費は無料。ただし、記念写真が欲しい方のみ、写真代1000円がかかります。

blog-DSC00453.jpg

式次第は

①開会の辞 ②記念法話(円覚寺派管長 横田南嶺老師)

③記念品贈呈(管長様揮毫色紙) ④謝辞(成人者代表)

⑤閉会の辞 ⑥記念撮影 です。

だいたい午後2時半頃から式が始まり4時までには終了します。 


 人生にたった一度しかない成人式です。いろいろな成人式が

あると思いますが、円覚寺で、管長様の有り難いお話を拝聴して

これから成人として生きる気持ちをしっかりと確認をする良い

機会となると思います。


 親戚や友人に成人式を迎える方がいらっしゃる方は、ぜひ、

おすすめくださいますように。






「致知」対談記事

1月6日(日)


blog-DSC00449.jpg

 去年の暮れ、管長様が月刊誌「致知」から対談形式の取材を

お受けになりましたが、それが年頭に発刊されました。

 表紙は管長様で大方丈の縁側で撮影されたものです。


blog-DSC00450.jpg

 寺田一清先生との、10ページにも及ぶ対談記事が掲載されていて、

様々な話題にも的確にお答えになる、管長様の「引き出し」の多さに

改めて驚かされました。

(後記)

 平成25年の春季学生大攝心(場所 居士林)ですが、

今のところ、3月1(金)2(土)3(日)日の2泊3日で

行う予定です。「学生」だけでなく、一般の方も参加

できます。詳しくは、また、改めてお知らせします。

 皆様の参加をお待ちしております。


「忍」の一字

1月5日(土)


 明日の晩、僧堂(専門修行道場)では、鏡開きとなります。

お供えした鏡餅を割って、お汁粉を作って雲水さん達が食べます。

(円覚僧堂だけの習慣かもしれませんが)この時にあみだくじを

作ってそれを引いていき、1等から最下位までの順位を決めて

管長様に書いていただいた色紙など景品(もちろん1等が一番豪華!)

をもらっていきます。そして、最下位のくじをひいてしまった人が

お汁粉を作ってみんなに振る舞います。

blog-DSC00442.jpg

これが、今年、管長様が鏡開きの為に揮毫された色紙の

何枚かです。

「忍を懐きて慈を行ぜば、世世怨みなし。

中心は恬然(てんぜん)なり、終に害毒なし。」

{しのぶ心を持っていくつしみの行いをすれば、ずっと

怨まれることはない。心はやすらかで、けっして悪影響を

与えることはない。}

blog-DSC00445.jpg

「忍の徳たるや、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。」

{戒律をかたく守ることや体を痛めて苦行をすることばかり

が修行なのではない、本当の修行は、理不尽なことがあろうが

何があろうが耐え忍ぶということだ。}

blog-DSC00443.jpg

「世は恃(たの)む所無し、唯だ忍のみ恃むべし」

{人生、にっちもさっちもいかなくなって、

何をしようとしても出口が見つからず行き詰まって

しまうこともあろう。その時は、ただ、じっと耐え忍ぶことだ。

そうすれば、きっと状況は、変わって来るものだ。}

blog-DSC00444.jpg

「忍は大舟たり、もって難きを渡るべし。」

{耐え忍ぶことは、タンカーのような大きな船のようなもの。

どんな荒れた大海原も渡っていくことができる。}

(後記)

 管長様の雲水さんへの思いの込められた言葉の数々ですね。




竹影(ちくえい)

1月4日(金)

blog-DSC00440.jpg

 仏殿の壁に朝日を受けて竹の影が映っていました。

すがすがしいですね。

(後記)

 今日は、午前中、管長様といっしょに鎌倉・山崎地区の檀家さんの

ところに、正月3が日祈祷した般若札を持参して、新年の挨拶回りに

行って参りました。お昼頃までに回り終わったのですが、

管長様は、引き続き、東京・白山の兼務寺とその方面のお寺の挨拶回り

に向かわれました。

 






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。