スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大晦日の円覚寺の行事

12月31日(月)

blog-DSC00405.jpg

 管長様揮毫。坂村真民先生の詩。

(後記)

 今日の円覚寺の行事ですが、14時から仏殿→舎利殿で除夜念誦。

16時にいったん閉門となりますが、23時に再び開門し、23時半過ぎ頃

から僧堂と国宝・洪鐘の2カ所で除夜の鐘となります。僧堂の方は一般の人

でも鐘をつくことができます。

 元日は、午前5時 祝聖(佛殿)→大般若転読(舎利殿)

→大般若転読(方丈)です。

 ちなみに、方丈の大般若が6時前くらいに始まりますので、

例年、一般の方は最初から方丈でで待っている方が多いようです。





スポンサーサイト

気はながく 心はまるく

12月30日(日)

blog-DSC00406.jpg

管長様揮毫、来年の干支の色紙です。蛇の絵も

管長様が描かれたものです。

blog-DSC00407.jpg

干支の布巾です。

blog-DSC00409.jpg

こちらも、管長様揮毫の一円相のれんです。

箱に管長様による解説が入っていました。それによると

「お釈迦様は難行苦行の末、あらゆるいのちあるものは

みな仏さまのこころを持っていると悟られました。

 
 仏さまのこころを持って生まれながら私たちはそのことを

見失い目先に損得に心を奪われています。

 
 仏さまのこころとは鏡のように清らかな丸い穏やかな

こころです。これを一円相で表しました。

 
 この仏さまのこころに目覚めるために姿勢を正し呼吸を

長く調えます。呼吸をゆっくり長くすることにより氣が長く

なりこころも穏やかになってまいります。まわりの人にも

自ずと親切に接することができます。


  一円相をながめてまるいこころで過ごしましょう。」

年末・年始の本山行事

12月29日(土) その2


 年末・年始の円覚寺・本山の行事ですが、

31日 14時  除夜念誦「佛殿」→「舎利殿」

     23時40分頃 国宝大鐘で除夜の鐘→弁天諷経
              
     (ただし、大鐘は一般の方はつけませんが間近で
        
      聞くことができます。数百年を経た大鐘の響きは

      歴史を感じさせてくれます!)

     同時刻に 「舎利殿のある僧堂」にて除夜の鐘

     (こちらは誰でもつけますが毎年混み合いますので

      108枚の整理券を事前に配っています。

       雲水さんが鐘の四方に立ちお経を読んでいる中で

       だいたい4人一組になってつきます。)


 1月1日 午前2時半  僧堂では新年の儀式、終わって朝課

      (今年始めのお経を読みます。普段は入れない僧堂に

       年末・年始は入れますので、建物の外からですが

       雲水さんがお経を読んでいる姿を拝見することができます。)

        5時   祝聖「佛殿」→大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」

        (方丈の大般若が6時前くらいに始まりますので、

         例年、一般の方はそこで待っている方が多いようです。)

   2日   6時   大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」

   3日   5時   大般若転読「舎利殿」→開基廟回向「仏日庵」

              →大般若転読「方丈」

           
   年末・年始は普段は一般公開されていない舎利殿に近くまでいく
 
  ことができ、夜はライトアップされています。方丈での大般若転読は

  誰でも建物にあがって拝見することができます。間近に見る

  お経のパラパラ読みや厄払いのため気合いの入った声を

  言いながらお経を置く姿は、独特です!

  みなさんお寺もいいですよ!

黄梅 お正月飾り付け

12月29日(土)


blog-DSC00398.jpg

 今日は黄梅院のお正月の準備をしました。

 提灯を山門に出して、裏の竹藪から竹を切り出して

松竹梅のお正月飾りを作りました。

blog-DSC00399.jpg

山門の両脇に設置。

blog-DSC00400.jpg

松竹梅の「梅」には、黄梅院境内に生えている臘梅(ろうばい)を

使用しています。

blog-DSC00403.jpg

<観音堂>

blog-DSC00404.jpg

<本堂>

あとは、先日、僧堂でついた鏡餅をお供えして終了です。

僧堂餅つき

12月27日(木)


blog-DSC00366.jpg


blog-DSC00369.jpg


blog-DSC00384.jpg

blog-DSC00390.jpg

12月27日(木)


blog-DSC00364.jpg

<妙香池>

 深々と冷える1日となりましたね。

 今日は、夕方6時頃から、円覚寺専門道場(僧堂)での

餅つきに参加してして参ります。

 管長様をはじめ雲水さんなどが、大きなかけ声の中、

昔ながらに餅をついていきます。

 ついた餅は、お正月の鏡餅と食用になります。

 



年末・年始 休会のお知らせ

12月22日(土)


blog-DSC00362.jpg

今日は、今年最後の土曜坐禅会でした。冷たい雨の中にも

かかわらず、初心者の部32名の方が参加をされました。

blog-DSC00361.jpg

 2部が始まる頃には、雨もあがりお日様が出てきました。

blog-DSC00363.jpg

 これで、土曜坐禅会は、年末(12月29日)

年始(1月5日)と休会となり、次は1月12日から

再開となります。

 皆様、今年1年間、ご参加くださり誠に有り難う

ございました。

山崎の宝積寺

12月20日(木)


blog-DSC00352.jpg

 今日は、午後から、管長様と県立博物館の方といっしょに

昌清院(円覚寺塔頭・如意庵さんの末寺)に十一面観音像を

拝見に参りました。この観音様は、鎌倉市山崎の天神山のふもとに

あった宝積寺(現在は廃寺)の本尊であったとのこと。

 それが天神山の北野神社に移り、そして廃仏毀釈の頃、

昌清院と巡り巡って現在の場所に安置されたそうです。

 ちなみに、宝積寺は、黄梅院の開山である夢窓疎石禅師が創建された

お寺ですので黄梅院の末寺という関係にありました。

blog-DSC00359.jpg

 昌清院の次に山崎地区を見下ろす天神山山頂に位置する

北野神社を訪ねました。こちらも夢窓疎石禅師が京都

北野神社を模して勧請したものと言われています。


blog-DSC00358.jpg


blog-DSC00356.jpg

明治時代の円覚寺管長・釈宗演老師が縁起などを書かれた碑が

境内にありました。

12月19日(水)


blog-DSC00351.jpg

<黄梅院>

(後記)

 今日は、午前中、今年、最後の淡青坐禅会でした。

たいへん寒い中にもかかわらず、14名の方が参加を

されました。皆様、1年間、ご参加いただき、誠に

有り難うございました。

 円覚寺境内の紅葉も残りわずか。冬の気配が日に日に

増してきていますね。

海の中の魚のたとえ

12月16日(日)


 管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 海の中の魚が海の話を聞いて海が見たいとしたら、どうしますか?

海は外からでしたら見ることができますが、海の中にいては、

海を見ることはできません。


 魚はいくら見ようとしても見えない。そこで、魚はいろいろと

苦労をする。波打ち際まで出て行ったり、水面を飛び跳ねたり、

海底のどん底まで行ったりと・・・。


 そんな、いろんなことをしながら、ある時、「自分は海の中に

いる!」「自分のいるところが海であった!」と気付くのであります。

修行とはそういうものであります。


 私達の仏心も同じです。海の中にいるのと同じ道理です。

私達も仏心の真っ只中にいるんです。それなのに、「仏心は

どこにあるのか?」と誰それの話を聞きに行ったり、新しい本

を読んだりと外に求めています。


 外に求めれば求めるほどに仏心から遠ざかってしまいます。

ですから、外に求めるのやめて静かに腰骨を立てて、自分の

呼吸だけを見つめる。


 そうすると「何だ!仏心はここにあったんだ!」と自分の

体で感じることができます。


 魚は、ただ見ることをやめたとき、「なんだ、最初から海の中に

あったんだ!」と気付く。海の中に生まれ、海の中に生き、最期に

海の中に帰って行く。


 私達も仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、そして、仏心の中で

息を引き取る。常に仏心の真っ只中なのであります。

(後記)

 管長様には、臘八大攝心、成道会が終わったばかりにもかかわらず

昨日の午後、今日の午前中と居士林で提唱をしていただき、さらに

夕方から、月1回、東慶寺さんで行われている鎌禅会(仏光録を学ぶ会)

の講義までしていただきました。

誠に有り難うございました。

成道会

12月15日(土)

blog-DSC00345.jpg

 今日は、円覚寺の成道会の日でした。成道とはお釈迦様が

お悟りを開いたことです。お悟りを開かれて修行をしていた

雪山からおりてきた像の掛け軸を飾って儀式を致しました。

blog-DSC00344.jpg

管長様の偈頌です。

恐れながら意訳してみました。

{お釈迦様、じっと動かずに坐禅をしていたもんだから

 眉間には蜘蛛の巣がはり、頭にはカササギが巣を作り

 顔じゅう、ほこりまみれ。

 そんな風に、雪山で6年、難行苦行された。

 なんとめでたいことに、明けの明星を見て

 ありとあらゆるものがいのち一杯、精一杯

 光輝いていると気付かれた。}

(後記)

 本日未明をもちまして、1週間の臘八大攝心を

管長様をはじめ雲水さん、和尚さん、居士の方等、

全員、無事に終了することができました。

皆様、有り難うございました。

生きる道のよすが

12月14日(金) 臘八大攝心 提唱最終日 その2


 「明るく生きる心の教え」が本来の仏教であるはずが、

現代においてその教えが本当に活きているか?であります。


 先日、ある雑誌にオウム真理教事件に関わった

ある弁護士さんの記事が載っていました。なぜ、

若者達があんなにもオウムに入ってしまったのか?


 その要因の一つは、日本の伝統仏教に魅力がないということ。

そして、日本のお寺は単なる「風景」「景色」でしかないということ

でした。


 若者が仏教を生きる道のよすがとして求めてきたときに

はたして、それに対応できる伝統仏教の僧侶がどれほど

いるのか?


 このままでは伝統仏教は衰退の一途であり、「風景」「景色」

のままでは存続できないし、その必要もないと書かれて

いました。


 外からはこう厳しく見られているのであります。私達、

伝統仏教の坊さんもまだまだ努力が必要であります。


 皆さん方には、それでもそんな現代社会の中で、

頼りとされるお坊さんになってもらいたい、

私の願いはこの一つです。

blog-DSC00342.jpg

(後記)

 臘八大攝心もいよいよ大詰めとなりました。

明朝は午前6時過ぎから仏殿に於きまして成道会と

なります。







 


 


 

仏のいのち 今ここに

12月14日(金) 臘八大攝心 提唱最終日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 何も思わぬは仏の稽古なり。何も思わなくなった所から

わいて出てくるものが仏心であり、真の慈悲であります。


 至道無難禅師いわく

ひたすらに 身は死に果てて 生き残る

  ものを仏と 名をつけにけり


 本当に疲労困憊するまでやる、もうだめだというどん底まで

やる。もう死んでしまうかもしれないという極限までやった

ところで、なお、生き残るものがある。


 その確かに生き残ったもの、息をしている不可思議なもの、

これこそ仏心、如来無量のいのちです。


 お釈迦様は明けの明星を見て悟ったいう。今朝は、双子座

流星群が見えました。星空を見ながら、天地宇宙、悠久のいのち

から見れば、私達の一生涯はまさしく流星のごとしです。


 お釈迦様がお悟りを開かれてから2500年が経ちましたが

この2500年という時ですら、天地悠久のいのちの流れから

見れば一時にすぎません。


 この限りない仏のいのちが今ここにこうして息づいている

ということに喜びと感動を持って明朝の成道会に臨んで

もらいたい。


 こんな歌を作ってみました。


  限りなき 仏のいのち 今ここに

   生きておるなり この一息に

仏のいのち、天地悠久のいのちが今ここに確かにこうして

生きていることに心の底から感動、感謝することが

できますように願います。

 

 

黄梅黄葉図

12月13日(木) その2


blog-DSC00339.jpg

<黄梅院>

blog-DSC00337.jpg

真っ黄色というのは、こんなにもきれいなんですね。

blog-DSC00338.jpg


blog-DSC00335.jpg

<白鹿洞脇 参道>

今や心よ我に従え!

12月13日(木) 臘八大攝心 6日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 自分の心というものを深く掘り下げていくのが私達の坐禅の

修行です。只、己を心を深く深く掘り下げていく。


 お釈迦様はこのことを蟻塚を掘るたとえで説いています。

蟻塚を掘る途中には、かんぬき、水の泡、箱、さすまたなど

いろんなものが出てくる。それらを全部捨てることが肝心です。


 私達の心も、迷い、貪り、怒り、ねたみ、ためらい、不安・・・

など様々なものがわいてくる。心を見ていくとぞっとする一面

恐れおののく一面も出てきます。


 大切なことは、それらを全部振り捨てて、さらに深く深く

掘り下げていくことです。そうすれば、最後に龍を見ると

お釈迦様はお説きになっています。


 龍とは、煩悩、妄想の尽き果てる仏心であります。この龍を

見たら、もうそのままにしておけと。


 心の底を、意識のおおもとを深く深く掘り下げていく修行の

様子です。まさしく、活きた生きものであります。


 いにしえは 心のままに 従いぬ

   今や心よ 我に従え

 
 今までは、煩悩、妄想、迷い、分別、怒りなど様々なものに

自分の心が振り回されてしまっていた。けれども、「今やもう

振り回されることはない!」「オレの言うことを聞け!」という

気力、迫力を持っていただいきたい。


 ある居士の方は「心の底を深く深く掘り下げていくと

汲めども汲めども尽きぬ水が湧いてきた」とう体験を

されました。そういうところを感得してもらいたい。


 自己の心の内側よりふつふつとわいて出てくる確かなもの

をつかんでください。


 参禅は煩悩、妄想、昏沈、睡魔、是非憎愛などとの戦いです。

それらに打ち克って、この臘八を乗り切っていただきたい。

快活は痛所より得る

12月12日(水) 臘八大攝心 5日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 四大五蘊(しだいごうん)という見たり聞いたり覚えたり考えたり

したことのかたまりを私達は自分だと思っている。お釈迦様がお悟りを

開いたとき、「この苦しみの作り主は自分であった、この苦しみの家は

自己であった」と気付かれて、「今やこの幻の家は朽ち果てた、

崩れ落ちた」という体験をされました。


 自分で作り出した自己という狭い家に閉じこもって自分で

自分を苦しめている。これが私達に悩みに様子です。

その家を崩すんです。呼吸に集中して、火のようになり

自己という家を焼き尽くす、破り尽くす。


 自己という家が無くなれば、今までは狭いきたない天井ばかりを

見ていたものが、これからは満天の星空であります。


 つらい、苦しいからといって途中でやめてはいけない。

途中で自己という家を崩すのをやめてしまっては、がれきの

山でしかない。更地になるまで全部片付けるんです。


 そうすれば、満天の星空が我が天井、我が家です。

これがまさしく法身であります。


 この快活、快さ、感動は痛所より得るであります。

このつらい中、痛い中、苦しい中で初めて得ることが

できるのです。


 臘八も中日を過ぎて、そろそろ、疲労困憊も極に達して

きていると思います。この痛い、つらい、苦しいから

逃げようとするといつまでたっても追いかけてきて

とらわれる。それにそれらは、なくなりはしません。


 むしろ、それらに没入していくことであります。

「快活は痛所より得る」であります。どうぞ逃げ出さずに

何もかもなくなるまで坐りぬいてくださいますように。

(後記)

 管長様の提唱中、雲水を叱咤激励する声は、

日を追うごとに、気迫のこもった、聞く者の胸に

迫り来るものとなってきています。





体感せよ。

12月11日(火) 臘八大攝心 中日


 管長様が僧堂攝心で提唱で提唱されたことをまとめてみました。


 大事因縁、一番大切なものは何であるか?それはお釈迦様のお悟り

である「我なし」であります。仏法の真理とは、我なしの尊さ、

己なしの尊さに目覚めることであります。


 「色即是空」「この体は空である」「この世界は天地一枚、空である」

そんなことは本を読めば誰でも知っている。しかし、本当にこれを体感

したものが幾たびかあるかです。自分でどれだけこのことを体全体で感じ

「ああなるほど!」と受け止めるかです。


 自分でこのことを体験しなければ、本当の安心には到らない。

自分で体験しなければ、自分のものにはならないのであります。

そして、そうでなければ仏祖の法を伝えることも出来ません。


 大事因縁はこの「我なし」ということにどれだけ自分の身体で実感

するかです。「ああ、なるほどその通りであった!

我というものは一かけらもなかった!天地一枚の無字であった!」と

自分の身体全体で感じて喜びふるえるような体験をしていただきたい。







一生懸命やればこそ

12月10日(月) 臘八大攝心 3日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 「鈍刀を磨く」という言葉がございます。切れなくて鈍い、

いくら磨いても役に立たない刃を磨くことです。しかし、それが

無駄なことであるかというと決して無駄ではない。


 せっせと磨いても刃は光らないかもしれないが、磨く本人が

変わってくる、光ってくる。私達の修行もただひたすら一生懸命、

呼吸に集中していれば、やっている本人が変わってくる・光って

きます。


 逆に、こんなことやっても仕方がないと思ってやっていても、

いつまでたっても力になりませんし、磨かれてもきません。

根を詰めて一生懸命やればこそ本人が変わるのであります。


 こういう話をして思い出すのは、ある老師のお話であります。

今では立派な老師であるその方も、その昔、お寺の子と

して生まれ、お寺を継ぐために僧堂に行ったときは、いやでいやで仕方なく、

一刻も早く僧堂を逃げ出したかったそうです。


 しかし、逃げ出したらお師匠さんなど周りの人に迷惑がかかるということで、

「どうしたら、僧堂を逃げられるか?」を本気で考えました。


 そうして思いついたのが「修行をしている途中、全力でやって

くたばり、ぶっ倒れて、救急車で運ばれたなら、堂々とこの僧堂

から家に帰れる」ということでした。


 それからは、作務でも夜坐でも人一倍やった。やったんだけれど、

いつまでたってもくたばらない・ぶっ倒れない。それどころか、

一生懸命やっているうちにだんだんとおもしろくなってきた。


 これでぶっ倒れてやろうと、人一倍汗を流し、人一倍はたらき、

人一倍坐れば坐るほど、くたばるどころか楽しみがでてきて、

「逃げ出してやる」という気持ちから「よし!やってやろう!」

という気持ちに変わったそうです。


 臘八もやらされる一週間、眠らせてもらえず坐らされる一週間

と思う受け身であるならば、苦痛で仕方がありません。

「よし!やってやろう!」「なに、これくそ!」「死んでもともと

くたばってやれ!」くらいのつもりでのぞめば、何ほどのことも

ありません。


 どうか気力を振り絞って精進くださいますように。




 







3つの力

12月9日(日) 臘八大攝心2日目


 管長様が日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 12月8日は、お釈迦様が6年に及ぶ難行苦行の末、お悟りを開かれた日

です。では、お釈迦様は、何をお悟りになったのでしょうか?


 お釈迦様がお悟りになったことは、「なんとすばらしいことに、あらゆる

人と含めていのちあるものは、みな仏様のこころを持っている!」という

ことであります。


 それでは、この仏様のこころを持っているとはどういうことで

ありましょうか?


 平易に考えてみますと、まず、一つめは生きる力・生きていく力で

あります。明日へ向かって生きていこうという力です。これを

誰もが例外なく、生まれたからには、この世の中を生き抜いていく

力を持っているということであります。


 2つめは、耐え忍ぶ力です。この世の中に起こることはすべて

耐え忍ぶことができることであります。私はそう信じています。

耐え忍ぶことが出来ないことは、起こらないとそう信じています。


 生きていく上でいろいろなつらいこと苦しいことがありますが

それを受け止めて耐え忍んで生きていく力を私達はみんな持って

生まれて来ているのです。


 3つめは、人のことを思いやることの出来る力です。自分のこと

だけではなく周りのこと、人のことをいくつしみ思いやることの

できる力を私達は持って生まれてきているのです。


生きる力、耐え忍ぶ力、そして、人のことを思いやることのできる力

この3つの力を私達は生まれながらに持っています。それを発揮させる

させる為の坐禅であります。


 (後記)

 今日、管長様は午前2時から坐禅・読経・参禅のあと、6時から

山内掃除(境内全域の掃除)にお出になり、7時半から僧堂で

雲水さんに大攝心の提唱をなさり、さらに引き続き、9時からの

日曜説教会で400人以上の大勢の方々の前でお話をされました。

 
 何事も率先されるお姿に、周りにいる私達も自然と身が

引き締まります。


 なお、山内掃除、日曜説教会のイス並べ等の準備を手伝っていただいた

(土日坐禅会など)関係くださったすべての方々、誠にお疲れ様でした。

有り難うございました。





夕日と黄葉

12月8日(土)


blog-DSC00333.jpg

夕日に照らされた黄葉がきれいでした!

blog-DSC00334.jpg

(後記)

 今日は、秋の嵐の1日となりました。円覚寺境内も落ち葉で

いっぱいです。明朝は、山内(境内)掃除となりそうです。


 さて、土曜坐禅会ですが、強い風の中にもかかわらず、

初心者の部60名、2部48名の方が参加されました。

皆様、お疲れ様でした。有り難うございました。

刻苦光明

12月8日(土) 臘八大攝心 初日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 臘八初日にあたって、やはり思い出すのは、

森信三先生の人間の真価をはかる2つの目安についてであります。

それは、


 第一は、その人の全知全能・自分のあらゆる気力能力を一瞬かつ

一点にどれほど集中することができるのか。


 第二は、睡眠を切り詰めても精神の力によってどこまでそれを

乗り切ることができるか。


 というものです。これは、私達の臘八の修行もまさしくその通り

なのであります。今のこの一瞬、この一呼吸にどれだけ集中できるか

です。


 その為に腰骨を立てて、始終お腹に力を入れる。そうすれば、

尽きることのない気力・力を得ることができます。


 森先生は、子どもの教育に何が一番大切なことかと問われて

それは常に腰骨を立てている人間になることであると仰せに

なっています。


 自分で腰を立てて、始終、お腹に力を入れて、息をなるべく長く

はくようにであります。


 また、臘八では「古人刻苦光明必ずや盛大なり」という言葉が

掲げられますが、あの白隠禅師ほどの人ですら、1日3回この言葉

を唱えて修行をなさいました。


 刻苦光明です。自分でつらい、苦しい思いをした分だけ、光明・

光となっていきます。


 そのことを胸に刻んで、最後まで気力を振り絞ってやって

いただきますように。

臘八大攝心

12月7日(金)

blog-DSC00318.jpg

 明朝より15日まで円覚寺専門修行道場(僧堂)では、

臘八(ろうはつ)大攝心になります。臘月(陰暦12月の異称)

の8日は、お釈迦様が菩提樹の下でお悟りを開いた日です。


 そのお釈迦様がお悟りを開かれた故事に学び、その恩徳に

報いるために、1週間昼夜をわかたず、また、横に臥して

眠ることなく、ひたすら、坐禅に打ち込みます。


 別名「雲水殺し」の攝心といわれるくらい、1年で1番厳しい

1週間となります。朝は午前2時から、夜は午後11時まで坐り、

それ以降も横になることはなく、休むとしても、「坐睡」と

言って坐禅の姿勢のままで休みます。


 まさに、これまで、毎月攝心を繰り返してきたのは、

臘八を乗り切るためにと言っても過言ではないほど、

重要な集中修行期間となります。

(後記)

 一部の端末機器でブログ上に広告が表示されてしまい

たいへん見づらくなっています。今、広告を解除する手続きを

行っています。どうか、ご海容くださいますようお願い致します。


 


 


大宇宙 いのち

12月6日(木) その2


 管長様が昨日の淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 「無常」というものは、何か絶対的なものがそうしようとしている

のではなく、自然とそうなるとしか言いようのない、宇宙の法則で

あります。


 無常であるから、大宇宙、太陽系、地球が出来て、刻々と変化し、

その大きな変化の中に私達はいのちをいただいて活動をしている。


 移り変わることのない真理とは、この無常のままに変わり続けていく

永遠のいのちであります。この変わりづめに変わっていく、その大きな

宇宙、大きなエネルギーとも申し上げましょうか、これを強いて言うならば

仏、神、真理とでも名を付けている。


 私達は、この大宇宙、大自然、大きなエネルギーの中で一分のいのちを

いただいて活動をしているのです。


 大宇宙、大きなエネルギーの中から生まれ、大宇宙、大きなエネルギー中で

一時(いっとき)を生き、そして、また大宇宙、大きなエネルギーの中へ

分散して帰っていくのです。ですから、大宇宙とわれわれのいのちは、

本来一つなのです。

blog-DSC00327_20121206161110.jpg




















 

舎利殿と黄葉

12月6日(木)


blog-DSC00325.jpg

朝日に照らされた黄葉と舎利殿の屋根がとてもきれいでした。

blog-DSC00324.jpg


blog-DSC00328.jpg

<大方丈・中庭>

blog-DSC00329.jpg

秋の柔らかな光に黄葉がより一層、映えますね。

(後記)

 今日は、午前中、平成31年の大用国師200年・平成30年の釈宗演老師

100年遠諱にあたっての展示・広報委員会に出席して参りました。

 
 今日の議題は、この遠諱事業を広く知っていただく為の一環として

ポスターを制作するのですが、それの図案をどうするかを委員全員で

意見を出し合い話し合いました。


 結局、特に写真などを載せるのではなく、

管長様に揮毫をしていただいくだけのシンプルなものにしようと

いうことで決定をしました。4月には、そのポスターが張り出される

予定です。

 

無常について

12月5日(水) その2


 管長様が淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 「無常」と言いますと、ものが移り変わる、形あるものが

滅びていくと私達は思いますが、お釈迦様の悟りから申し上げれば、

心というものも、一念一念、一瞬一瞬、生じては滅していく「無常」

であります。


 只、その生滅の度合いが誠に速やかで早いので、私達はずっと同じ

場所で同じ状態であるように見えています。心というものは、いのちと

言っても同じですが、昔の蛍光灯のようなものであります。


 蛍光灯というのは、実際は点いては消えるを繰り返している

のですが、ただその点滅が細やかで速やかであるために、

私達にはずっと点いているように見える。


 いのちも生じては滅し生じては滅しの繰り返しで一瞬たりとも

同じ状態ではないのですが、その一瞬一瞬の心の変化に気づくほど

私達は敏感ではないので同じであると錯覚してしまう。


 いのちも生滅を絶えず繰り返し、一瞬たりとも同じ状態ではないと

いう真理に気がつけば、「これが自分である」「これが自分の身体である」

「これが自分のものである」と執着する対象のものはありえないのです。


 ですから、無常ということがわかれば、無我であり、空であると同義

であると言ってもよいのです。


 この無常の真理をあるがままに受け止めて一瞬一瞬、一日一日、

このいただいたいのちを生きていく他にはないのであります。

(後記)

  今日の淡青坐禅会は、管長様の提唱があるということもあって

 24名もの方が参加をされました。皆様、お疲れ様でした。

 有り難うございました。


 

秋晴れに紅葉

12月5日(水)

blog-DSC00320.jpg


blog-DSC00321.jpg

「致知」取材

12月4日(火)


blog-DSC00313.jpg

 今日は、午前中、管長様への致知出版社のインタビュー取材に同席

させていただきました。

 管長様と寺田一清先生(立腰教育を提唱された森信三のお弟子さん)の

対談形式で行われ、その内容が月刊誌「致知」に掲載されるとのことです。

 森信三先生の話題はもちろん、管長様と松原泰道先生との逸話、

坂村真民先生のことなど感銘深い話が多々語られました。
 
blog-DSC00315.jpg

会場は本山・大方丈でした。方丈の縁側から庭を望む風景です。

blog-DSC00316.jpg

12月3日(月)

blog-DSC00310.jpg

<龍隠庵参道>

(後記) 今日は、午前中、海上自衛隊坐禅会でした。28名の

    自衛官が参加されました。

     
    午後からは本山で教学委員会に出席して参りました。

    円覚寺派和尚さんの為の住職研修会の日程(6月7日に決定)・

    内容(法話の実践)や来年の夏期講座の講師の推薦などの

    ついて話し合われました。

     
     また、管長様から直々にいくつかの提案がありました。

    一つは、拝観券のデザインを四季おりおりで変えること。
    
    2つ目は、総門で配布しているパンフレットをそろそろ

         新しくすること。

    3つ目は、円覚寺のホームページをもっと活用できるように。

    などです。

     出来る限り、皆様により親しんでいただける円覚寺と

    なるように精進して参りたい所存です。

    

12月2日(日)


 管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 その目に前に現れているもの、その目の前の毎日の暮らしこそ

真理であります。これに気づかずに、禅とは何だ?無心とは?・・・

と千里萬里思うたところで遠くして遠しです。こんなことを

考えに考えておれば、いざという時、全く役に立ちません。


 世の中というものは、自分の考え通りものが出てくるわけでは

ありません。それを自分の考えだけをたよりに生きていこうしても

考え通りのことはなかなか出てきません。


 ですから、賢明な生き方というのは、自分の考えを離れて、

からっぽになって、その場その時に応じて生きていくこと

であります。


blog-DSC00305.jpg

<居士林>
 
blog-DSC00308.jpg

(後記)

   今日は午後から蔦禅会(坐禅会)でした。深々と冷える居士林の

  堂内で、11名の方が坐禅を体験されました。皆様、お疲れ様でした。

今日の紅葉

12月1日(土) その2


blog-DSC00301.jpg

 居士林山門前から14時半頃に撮影。

blog-DSC00302.jpg

 この時間の頃が一番、色彩、豊かに見えるように思います。

blog-DSC00303.jpg

 土曜坐禅会は初心者の部70名、2部43名の方が参加されました。

皆様、有り難うございました。

blog-DSC00304.jpg

 なお、土曜坐禅会2部では、再来週の12月15日に、

管長様に無門関提唱をしていただく予定となっております。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。