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価値判断について

7月29日(日)


 管長様がDVD「精一杯生きよう」の中で提唱された一部を

まとめてみました。


 「まあ宗教というと、何やら特別の教祖がいて特別の教義が

あってという狭い見方より、どれだけ価値観が多様になりどれだけ

いろんな情報があろうと、いのちの尊い事だけは揺るぎはしないですね。


 いのちのおおもとというのは我々皆、仏さまのいのち。まあ、仏さま

という言葉が嫌であれば、大いなるいのちから皆こう生きていく。

このいのちが尊い事なんていうのは、時代が変わっても変わることは

ないと思いますね。


 ですから、いのちを傷つけるようなものはこれは避けなければ

ならない、いのちを活かしていくようなものがあれば積極的に

やればいい。私はいつも価値判断というのはそう思っていますね。


 そういう風にものを見ていけばおのずと原発の事もなんでもね、

価値判断ていうのはぶれることはないと思っていますね。


 それから、もう一つはこれもどんな時代にも変わらないのは

母親に対する思いね。私はいつもお釈迦様の教えの根本はお母さんの

姿があると思っているんですね。


 涅槃図というお釈迦様が亡くなられる時の絵があるんですが、

それには必ずお釈迦様のお母さんの絵を描くんです。お釈迦様の

お母様が天から降りてくるのね。で、その姿をお釈迦様は最後

亡くなるときに合掌するんですね。


 それはお母さんが生んでくれたいのちだと。それを私は精一杯

生きましたと。お母さんこれでいいのでしょうかという気持ちじゃ

ないかと思うんですね。


 こういう価値観というかものの見方というのはどんな時代にも

共通だと思いますね。」

(後記)

 横田南嶺老師(管長様)へのインタビューや日常の修行生活

などの貴重な映像がご覧になれるDVD「精一杯生きよう」は

禅文化研究所(TEL075-811-5189)から販売

されています。円覚寺の売店でもお求めになれるように

なりました。





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山刈り

7月28日(土)

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 今日は早朝から「山刈り」と言って8月のお盆に向けて

黄梅院の境内の山際の草刈りをしました。管長様をはじめ

お檀家さんと毎年この時期に行っています。

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 炎天下の中での作業でしたが、みなさんきびきびと

草刈りをしてくださいました。お昼は手作りのお料理を

持ってきていただき、みんなでおいしく頂戴いたしました。

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 けがや熱中症などなく、全員、無事に山刈りを終えられて

一安心です。みなさん、本当にお疲れ様でした。

有り難うございました。



休会のお知らせ

7月27日(金)


 土日坐禅会は、明日7月28・29日、8月4・5日、8月11・12日は

諸行事の為、休会となります。したがって、土曜の晩だけの坐禅会

も休会です。

 土曜坐禅会は、明日までありますが、8月中と9月の第一週まで

休会となります。

 みなさん、暑い日が続いております。くれぐれもお体にお気を

つけ下さいますように。

うたたねの・・・

7月26日(木)


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 管長様は、もう来年のカレンダーに掲載する言葉を

色紙に揮毫されていました。その中の一つです。

 管長様が法要出席のため京都に行く電車の中で

ご自身が創作された俳句だそうです。

 人の一生は蓮の上でひとときのうたたねをする

ようなもの。短い夢のようなもの・・・。

(後記)

 居士林で行われる「平成24年度夏季学生大攝心(坐禅会)」

の日程は、8月31日(金)17時集合~9月2日(日)正午解散

を予定しております。「学生」という名前がついていますが

一般の方も参加可能です。近日中に正式に円覚寺本山の

ホームページにてお知らせ致します。

宜しくお願い致します。




山刈り

7月25日(水)

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 今日は午前中、黄梅院の裏の崖の草刈りをしました。

管長様が高い崖の上で作業をされています。

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管長様、夏期講座翌日には、京都に法要出席の為、

お出かけになり、今日は山狩りとまさに「獅子奮迅」

のはたらきのご様子です。あまり無理をなされて

お体を崩されることのないように祈るばかりです。



いのちの尊さと母の思い

7月24日(火)


 管長様が先日の夏期講座で提唱されたことをまとめてみました。


 よく自殺の問題があると「いのちの尊さ」「いのちの大切さ」

が声高に叫ばれます。けれども、ああいう言葉は、残念ながら

叫べば叫ぶほど無力に思われるのです。


 お寺をお預かりしていると自分の子供さんを亡くした

親の悲しみに接することがあります。特に自分の子供を

自殺で亡くした母親の悲しみは、これは、言葉では表現

できないものです。


 そのお宅にお参りすると27回忌を過ぎても、初盆と同じような

お飾りです。27年が経過しようとも、遺影は子供のままであります。


 そのお母さんの悲しみなんてのは決して消えるものでは

ありません。流した涙の量ははどのくらいでしょうか?

昔の人は海の量に匹敵すると言いました。まさしくそうだろうと

実感されるのであります。


 そんなお母さんの悲しみを思うと、その悲しみの深さが

また、その涙の量がいのちの重みであると思われるのです。


 だから、親のことを思うと生きて欲しいのです。

ねむそう。

7月24日(火)


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 おかげさまで、夏期講座が無事に終了し、ほっと一息です。

総門近くでは、しいちゃんがうつらうつらしていました。

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円覚寺境内は、写生大会でしょうか、地面にビニール

シーツを敷いてたくさんのお子さん達が絵を描いていました。

 不躾ですがちらちらと絵をのぞき見しながら歩いていると

いつも見慣れている風景がその子その子で個性的に表現

されていて、おもしろかったですね。






判断をする時

7月23日(月)


 管長様が夏期講座で提唱されたことをまとめてみました。


 何が正しいことか?今本当にどうすることがふさわしいか?

を判断するには一つ自分を抜きにして見なければなりません。

例えば正しい判断をする時、お母さんのことを思う。自分の

お母さんであればどう思うだろうか?と。


 もう、お母さんが亡くなっていても、今自分がどうしたら

亡くなったお母さんが喜んでくれるだろうか?と自分に問い

かけてみることであります。


 私はよく葬式の時、亡くなった人のお孫さんに申し上げる

ことがあります。「これから大きくなると、きっと迷い困る

時があります。どうしたらよいか?どっちに進んだらよいか?

と迷う時がくるでしょう。


 そんな時、(亡くなった)おばあさんのお墓にお参りして

手を合わせて下さい。そして「おばあさんならどうしたら喜んで

くれるだろうか?」と自分に問いかけてみてください。そうして

判断すればきって間違いはないでしょう。


 亡くなった人であるならば、どう思うか?こういう見方をすれば

そんな難しくなく、自分を抜きにして冷静に判断することができます。

お墓参りをするのは亡くなった人の為ばかりでなく、私達生きている

ものにとって、大きい力となってくるのであります。


 それから、仏様にお参りするのも一瞬にして私達を無心にして

くれます。私はいつも佛殿にお参りすると仏様と目を合わせます。

必ず仏様と目と目が合う場所あります。


 そうすると仏様が自分を見てくださっていると感じるので

あります。そして「自分にやましことはないか?今やっている

ことはこれでいいのか?」と内省してみる。そうすればおおよそ

間違いのない判断ができるのであります。


 仏教は一瞬にして無心してくれる方法を、一瞬にして本心・仏心に

目覚めるすべを伝えています。円覚寺・仏殿の仏様のようなああいう

すばらしいものを拝む、目を合わせることで一瞬にして本心・仏心に

目覚めることができます。


 あるいは、お墓参りをして「亡くなった人なら、どうしたら喜ぶ

だろうか?」と思えば一瞬にして本心・仏心がはたらきます。

目覚めることができたならば、私達はどんな場面やどんな場所

どんな役割であろうが「主人公」となれるのであります。

(後記)

 おかげさまで、円覚寺・夏期講座は今日で無事に終了と

なりました。たくさんの方が来山くださいましたこと、誠に

感謝いたします。また、投宿坐禅会の方、本当にお疲れ様でした。

みなさんと、4泊5日いっしょに過ごせたこと、非常に貴重な経験と

なりました。重ね重ね、有り難うございました。

 

 






 

円覚寺夏期講座

7月19日(木)


 明日より第77回円覚寺夏期講座が始まります。

明日は

第一時限(8時半~9時半)

 横田南嶺老師 「無門関提唱」

第二時限(9時45分~10時55分)

 山崎直子先生 「宇宙・人・夢をつなぐ」

第三時限(11時10分~12時20分)

 石井光太先生 「名もなき小さな神様」

以上です。

 一日聴講料1,200円 4日通券4,000円です。

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 管長様(横田南嶺老師)のDVD「精一杯生きよう」が明日より

禅文化研究所から発売されます。管長様へのインタビューや

日常の僧堂生活のご様子、修業時代の貴重な写真、

居士林などが紹介されています。

会場売店にてお求めいただけます。

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居士林だよりブログ本「いろはにほへと」も会場売店にて

500円でお求めいただけることになりました。

 宜しくお願い致します。



如意さんの純白蓮

7月18日(水)

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 円覚寺山内・如意庵さんの和尚様から白蓮が咲きましたと

ご連絡をいただき、早速、撮影させていただきました。

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お見事です!

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 関東地方も梅雨明けということで、梅干しを干しました。

今年は、塩の量をだいぶ減らしましたが、かびることもなく

なんとかここまできました。

 さて、明後日から本山で夏期講座が始まります。1年で

一番人が集まる行事です。管長様をはじめ、著名な講師

の方がお話をしてくださいます。週末どこかへ行かれるか

考えている方はぜひどうぞ。

 詳しくは円覚寺本山ホームページをご覧ください。

暑い一日でした。

7月17日(火)


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 本格的な夏日となりましたね。

かなちゃんもぐったりしていました。

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黄梅院のヤマユリが昨日からいっせいに咲き始めました。

みなさん、体調に十分にお気をつけくださいますように。

同じ心

7月15日(日)


 管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 自我という名前をつけるとたいへん悪いものように思われがち

ですが、裏を返してみれば、みんな自分中心の同じ心をもって

いるのであります。それはみんな平等であります。


 お釈迦様の時代、舍衞国の王様が、

「自分はいくらお釈迦様の教えを聞いても、自分ほど大事なものは

いないし、自分ほどかわいいものはないと思ってしまう。これほど

お釈迦様の教えを聴きながら、こう思ってしまうのは申し訳ない。」と

悩み、お釈迦様に正直に告白をしました。


 「自分がかわいいという思いがどうしても、とれまません。どうしたら

いいのですか?」と王様は尋ねました。


 そのときにお釈迦様が仰せになった言葉が有名です。

「人のおもいはいずこへもゆくことができる

されど いずこへおもむこうとも

人は おのれより愛しいものを見いだすことはできぬ

それと同じく 他の人々も自己はこの上もなく愛しい

されば、おのれの愛しいことを知るものは

他のものを害してはならぬ。」(『相応部経典』一二・八七)


 自分がかわいいというのは、その通りだ。みんなその通りであると

知りなさい。どんな人にとっても自分がかわいいのだ。それは、

平等なのだ。そのことがわかったならば、その人を傷つけては

いけない。


 様々、見たり聞いたり感じたりする、そういうものを全部否定

する必要はありません。それも全部仏心のはたらきであります。

自我意識も慈悲のはたらきとなりうるのです。

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<龍隠庵>

撫子(ナデシコ)

7月13日(金)


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昨日は、夕方から、月に一度、東慶寺さんを会場に催されている

「仏光録(円覚寺開山・無学祖元禅師の語録)を学ぶ会」でした。

管長様がご講義をしてくださっています。

 いつも、少し早めに行き、東慶寺さんに季節ごとに咲く草花を眺めるのを

楽しみにしています。今回は、ナデシコがひときわ、きれいでした!

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「撫でし子」と語意が通じることから、しばしば子供や女性に

たとえられるそうです。

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風に大きく上下に揺れる草に・・・。

おかげさま

7月12日(木)


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 おかげさまで、制末大攝心は無事に終わりました。

有り難うございました。

 これから、7月のお盆、そして20日からの夏期講座

お施餓鬼と「夏本番」になります。

 かなちゃん、今朝の暁天坐禅会を扉の外から

のぞいていました。いつも、癒されますね。

 

講了

7月11日(水)制末大攝心・最終日


 今日は講了と言いまして、4月から7月まで毎月1週間ずつ

大攝心(集中的に坐禅をし、毎日提唱を拝聴)をしてきましたが、

これで講義の終了、一つの区切りとなります。次は、10月からはじまります。

 終わりにあたって管長様が偈(宗旨を含む漢詩)をお唱えになりました。

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「一夏 喃喃として 百非を論じ

却って知る 罪過天にみつることを

今朝 巻を収めて 下堂し去る

閑かに看(み)る 白雲の洞裏に帰るを」

恐れながら、意訳してみました。

「みんなに仏心に気づいてもらいたいが為に

4月から今日までいろいろと提唱をしてきたが、

やれやれ余計なことをしゃべって、かえって

罪作りなことをしてしまったわい。

 今、講本を閉じて、宿龍殿(講義場)をあとにする。

ゆったりとしてながめる、白い雲が大空を流れていくのを。」

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<宿龍殿>

明るい心

7月10日(火)制末大攝心6日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 明治時代、円覚寺管長の今北洪川老師が次のようなことを

仰せになっています。人間として生まれたものはみな明かな心

を備えている。

 
 明かな心とは、平たく言えば明るい心と言ってもけっこうで

あります。人間はみな明るい心を持って生まれてきている。


 その明るい心を儒教では「天」と言い、「道」と言い、神道では

「随神(かんながら)」とか「神様」と呼んでいます。仏教では

本来持って生まれたこの明るい心を「仏心」「仏性」と言っています。


 洪川老師は、この仏心・仏性というのはお互いのこの体に

頭のてっぺんから爪の先まで満ちあふれていると言われて

います。仏心がこの体の内に満ちあふれているであります。


 しかし、仏心はそこにとどまるようなせまいものではありません。

仏心はさらにこの天地の間に一杯に満ちあふれています。



 その証拠に春になれば梅が咲き、ウグイスが鳴き、

夏になれば卯の花が咲き、秋になれば月が冴えて、虫の声が

響き、冬になれば水仙やサザンカが咲きます。


 一年三百六十五日、二六時中、片時も休むことなくはたらいて

いるのがこの仏心・仏性であります。「至誠息(や)むことなし」とは

このことを言います。


 お互いの仏心・仏性はこの天地に満ちあふれているはたらきと

同じ、一枚であります。


白隠さんの志

7月9日(月)制末攝心5日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 そのうちに富士山が大噴火するのではないかと世間では

話題になっています。江戸後期、臨済宗の中興の祖、白隠禅師が

23歳の時に富士山で宝永の大噴火が起こりました。白隠禅師は

原の松蔭寺にいましたから、まさに富士山のふもとであります。

その時に白隠さんは大噴火からどう身を守ったと思いますか?


 大地震・大噴火が起こったとき、白隠さんは禅堂で坐禅をして

いましたが、まわりの雲水や寺の人達もみんな外に逃げ出して

しまいました。白隠さん一人禅堂内にあって動かず、周りの人が

「外に出ろ出ろ!」と言っても、坐禅をやめようとしない。


 白隠さんはその時心の中でこう誓ったそうです。

「自分がもし悟りのまなこを開いて世の中の為になるような立派な

坊さんになるのなら、この程度の大噴火でいのちを落とすはずがない!

天の神々が守るはずである。

悟り開けず、たいしたことのない坊さんになるのなら、今ここで死んでも

かまわない!」


 そう誓って坐禅をしたまま動かなかった。自分を試した。

そして、自分のいのちを天に任せた。


 しばらくして、揺れも止んでどこにもかすり傷一つなかった

そうです。そして、翌る年24歳の時に大きな悟りを開き

あれだけの働き、活躍をされたのでした。


 まねはしなくとも,その志だけは少し心にとどめて

おいてください。

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<黄梅院>

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置かれた場所で咲きなさい

7月8日(日)制末大攝心・中日


 管長様が日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 最近、話題の本に「置かれた場所で咲きなさい」とう題のもの

があります。これはキリスト教の方が、わずか36歳で大学の学長

になり、若くして重責を背負われた体験をお書きになったものです。


 「置かれた場所で咲きなさい」その置かれた場所が自分にとって

つらい場所、また、理不尽をうけることもあるかもしれません。

こちらはそんなつもりではないのに憎しみ・怒りの的となり

仇・かたきのように思われるかもしれません。そして、一番

信頼している人に裏切られることもあるかもしれない。


 そんな時、そんな場所の置いても花を咲く、花を咲かせる

心を持ちなさい。そんなことがこの本には書いてあります。


 また、その本の中にはキリスト教の詩人八木重吉さんの

次のような詩が引用されています。


「神のごとくゆるしたい

ひとの投ぐ(げ)るにくしみをむねにあたためて

花のようになったらば神のまえへささげたい」


 つらいこと、いやなこと、苦しいことを自分の

胸に秘めて、それらを花束にして神に捧げたい。

あたえられた物事の一つ一つを有り難いと両手で

受け止めてそれを花束にかえて笑顔で神様に捧げたい

と本の作者の渡辺先生は書かれています。


 こうなりますとキリスト教も私達の仏教も一つであります。

お経にも「どんなにののしられても、どんな仕打ちを受けようとも

相手の心にも仏様の心があると信じて拝む心を持つ。


そうすれば、私達の心に花が咲く。そうなればどこにいても

いる場所が浄きところ、お浄土であると説かれています。


 なるほど、ここまでくると教えは一つであると実感される

のであります。

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<勅使門>










 




仙さん

7月7日(土)制末大攝心3日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 仙和尚というと飄々としていておもしろい逸話がたくさん

伝えられています。軽妙とか洒脱と言う言葉で表現されて

います。


 しかし、改めて仙和尚の修行の様子を学んでみると

師匠の月船和尚のもとで実に命がけの修行をしている

のであります。悩みに悩んで最後は自らいのちを断つ

ところまで思い詰められました。


 仙さんは、そういう苦労の体験を経てのあの軽妙

洒脱な禅風なのであります。


 こんな逸話があります。菊を大事にしているお殿様が

いました。その菊を身分の低い小姓の武士が誤って

折ってしまい、それがわかってしまったらその小姓は

打ち首になってしまうかもしれない状況になりました。


 それを聞いた仙さんが夜、こっそり城に忍び込んで

お殿様が大事にしている菊をすべて切ってしましました。

そして、翌日、お殿様はもちろん「何をするんだ!」と怒りましたが、

仙さん「たとえ小姓であっても、菊とどちらが大事でありますか。」

と諫められたそうです。いくら、仙さんとはいえ死罪になりかねない

状況の中で身を投げ出して小姓を救ったのでありました。


 「身を殺して仁をなす」とありますが、自分一身を投げ出して

仁を行う。己を殺して、慈悲を行う姿であります。


 この己を殺す、自我意識を殺す、もうどうにもならなくなるくらい

絶望の淵に自分を追い込む。


 その悩み苦しみ、苦悩をした分だけ人は本当の慈悲というものが

身についてくるのではないでしょうか。

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一つの念に

7月6日(金)制末大接心2日目


 管長様が僧堂接心で提唱されたことをまとめてみました。


 今、科学の世界では「一つの塵の中に大宇宙がある、宇宙は塵で

できている」というところまでようやく到達しましたが、仏教の世界では

「この宇宙はこの念によってできている」とお釈迦様は説かれています。

仏教・華厳の深いところは、人間の心・思いのところまで踏み込んで

いることです。


 まだ、科学は人間の意識や心や思いの領域には至っていません。

お釈迦様の教えは、唯心、私たちのこの一念一念に大宇宙が

こもっているということ。十方世界の仏が私たちの一念一念に

表れているということであります。この真理に科学がだんだんと

近づいてきている状況にあるように思われます。


 ですから、私たちはこの一つ一つの念を清らかにしていく、

正しくしていく。一つ一つの行いに念をこめていくことが大切

なのであります。


 その一つ一つの念によって、この世の中、そして宇宙全体を

清らかに飾っていくのが華厳の教えであります。

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うとうとと。<かなちゃん>



 

一つの塵の中にだも

7月5日(木)制末大摂心・初日


 管長様が僧堂摂心で提唱されたことをまとめてみました。


 「毛 巨海を呑み、芥に須弥を納(い)る」という禅語があります。

この大千世界すべてが一本の毛すじの中に収まるということであります。


 私たちのこの念の中に、この思いの中にもう無限の仏様が

そこにこもっている。仏というものは、常に活動している、

動き続けている。私たちの心の中に、一つ一つの思いの中にも

仏様が活動をしているのであります。


 「ヒッグス粒子」というものが発見され、これによって、宇宙の

始まりとそして終わりが解明されるかもしれないと今日の新聞

記事に載っておりました。今の宇宙は何もないと言われていましたが

実は素粒子に満ち溢れているそうです。


 お釈迦様は、はるか昔に「宇宙は塵だ。」とおっしゃっています。

そして、「その一つ一つの塵の中に無限の宇宙が存在している」と

お悟りになられました。それが華厳の教えであります。


 かたじけな 一つの塵の中にだも

         よもの仏の こもらぬはなし

 この歌は、たった一つの塵の中に大宇宙の仏様がこもっている

ことを表現しています。


 山本玄峰老師は掃き掃除の時に「たとえ、塵、ほこりでも丁寧に

扱え」とご指導されたそうです。たとえ、今塵やほこりであっても

もとをたどれば、私たちの衣服などであったのだから、丁寧に

大事に扱えと仰せになったそうです。


 ほんの一かけらの塵の中でも大千世界の御仏がこもっている。

もっと日常の中でも、たとえば、一粒のお米、一杯の水・・・を

丁寧に扱っていく。一念一念、何事においても心をこめて

感謝していく。それが華厳の具体的な実践であります。

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梅花甘茶 <黄梅院>

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ソバナ 

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明朝より

7月4日(水)

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 明朝より11日まで、円覚寺専門修行道場・僧堂では、

「制末大攝心」(せいまつおおせっしん)という、

1週間の集中修行期間に入ります。雨安居(4~7月)

最後の攝心です。

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カンゾウです。オレンジが何とも言えませんね。<黄梅院>

ヤマユリ・ダルマ・クチナシ

7月3日(火)


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 隠寮(管長様のお住まい)の庭にヤマユリが咲き始めました。
 
もう、そういう季節になりましたね。

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 管長様が末寺の和尚様に頼まれて描かれたダルマ図です。

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 黄梅院に咲くクチナシです。その高貴な香り、本当に

有り難いですね。

(後記)

   平成24年度夏季学生大攝心の日程ですが、

  8月31日(金)17時集合~9月2日(日)正午・解散

  を予定しています。応募等、詳しいことは7月下旬に

  改めてお知らせします。

千の風になって

7月2日(月)その2


 管長様が昨日の土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 一時期、「千の風になって」という歌がはやりました。

 それを聴いた人がお寺の和尚さんに「墓の中にいないのなら

どうして線香をあげるのか?」とたずねたり、また、

「千の風 聞いて買おうか 迷う墓」という川柳も詠まれました。


 亡くなった方々がどこあるのか?と理論理屈を言ってしまったら

きりがありません。また、風になって世界を飛び回っていると

言われてそれで割り切れるものでもありません。そこのところを

うまく詠っている川柳があります。


 「お帰りと 風を迎える 墓の前」


 たとえ千の風となって世界を飛び回ってきても、今日は家族が

お墓参りに来てくれるからと帰って来てくれるという心を詠って

います。また、


 「風鈴を ならすあなたは 千の風」


 チリンチリンと風鈴がなっている。ああ!あの風鈴をならして

くれているのは、あなたであろうという俳句です。


 こういう俳句等は、墓にあるのか、ないのか?という理論理屈を

越えているところであります。


 「千の風になって」という平等一枚、無字三昧、天地一枚の世界は、

当然私達が体験すべきもので、私達のおおもとでありますが、

そればかりにとらわれてしまっては、これまた窮屈であります。


 平等の体験をしたら、やはり、現実差別の世界に立ち戻り

お互い相手の言い分を聞き合い、譲り合い、分かち合い

ながら暮らしていく。平等と差別が交互に入り交じりながら

はたらいていくことが大切であります。

 

夏到来!

7月2日(月)

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今日は、気温も上がり、日中の日差しも強くなりましたね。

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<洪鐘参道>山門周辺でCM撮影をしているとかで、久しぶりに

         洪鐘参道に迂回して帰りました。木陰が有り難い

         季節となりました。

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<参道脇の滝壺>浅そうに見えても、長い年月積み重ねで

          1メートル以上の深さにもなります。(掃除の時、

          誤って穴にはまったことがある人が証言されて

          いました。)

         

今月の言葉

7月1日(日)


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管長様揮毫。坂村真民さんの詩。
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