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大用国師毎歳忌

6月28日(木)

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 今日は、僧堂に於いて行われた大用(だいゆう)国師毎歳忌

に出席して参りました。

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大用国師の頂相です。

 大用国師は、江戸時代後期、その当時退廃していた円覚寺を

立て直し、僧堂(専門修行道場)を再建された「中興の祖」というべき

お方です。

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大用国師が浄写された掛け軸です。

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現在の円覚寺は、立派な伽藍がそびえ、管長様のような

方がご指導をくださり隆盛でありますが、長い歴史の中で

はやはり何度も「存亡の危機」を乗り越えてきています。

 
 火事による全山焼失や明治時代の廃仏毀釈など「法難」と

呼ばれる危機が起こる度に、今北洪川老師のような方が出て

周りの和尚様方と一致協力して危機を克服してきました。


 そんな「危機」の中でも、江戸時代後期の円覚寺は、当の

お坊さんが寺で博打などするほど、堕落してしまって、

「外」からではなく「内」からの危機状態のありました。


 そんな中、師匠の月船禅師から円覚寺再建を命じられた

のが大用国師・誠拙周樗禅師でありました。誠拙禅師は、

命じられた通り、円覚寺に行きますが、そのあまりのひどさに

挫折し、師匠のもとに帰ってしまいます。


 帰ってきた弟子に師匠である月船禅師は「お前を見損なった」

と言いました。そこには、「お前にはどんなひどい状況の円覚寺

でも再建できる力があるとわしが認めたから、それを命じたのに

おめおめと帰って来おって!自分で自分を見限るな!

」という思いがあったんだと思います。


 それをきいた誠拙禅師は、発憤し円覚寺に戻り、博打打ちを

するお坊さんたちにお茶だしをすることから始めて、徐々に

周りを感化していき、見事に円覚寺の再建を成し遂げます。


 ちなみに今でも燦然とそびえる山門は誠拙禅師の時に

再建したものであります。


 こういう方のご苦労があって、今の円覚寺があると思うと

身の引き締まる思いがします。



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半夏生・半化粧

6月27日(水)


 おかげさまで、無事に半制大攝心を終えることができました。

また、ブログ本に関するたくさんコメントをいただき、深く感謝

申し上げます。お返事をすることはなかなかできませんが、

お寄せいただいた感想等は、すべて有り難く拝読させて

いただいています。そして、管長様にお伝えしております。

様々な方々が様々な思いを持たれてブログを拝見して

くれていると思うと、有り難いのと同時により一層、励もう

という気持ちになりました。また、たくさんの人に共感して

いただいたことは、この上ない喜びです。みなさん、

これからも宜しくお願い致します。

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<黄梅院> 半化粧(はんげしょう)

名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°になる日)

の頃に花を咲かせることに由来する説と、葉の一部を

残して白く変化する様子から「半化粧」とする説があるそうです。

また、葉の片面(表面)だけが白くなることから古くはカタシログサ

(片白草)とも呼ばれています。この白さは絶妙です!


理想を言えば

6月26日(火)半制大攝心・最終日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 正しい法、真理というものは、「これが正しい法である!」

「これが真理である!」と意識するようなものが、ほんのわずか

でもあれば、それは本当の真理ではありません。


 正しい法・真理が特別にあると思ってしまいがちですが

決して外にあるのではありません。本当のところを言うと

「正しい法」という言葉もなくなったところが本当の

「正しい法」なのです。


 「禅」だ「坐禅」だとこの頃世間でわりに注目されて坐禅会に

みえる人も多いようですが、では、「禅」というものに特別何か

あるか?というと別段「これが禅である!」といものがあるわけ

ではないのです。


 最近、多くの人が円覚寺に坐禅に来ますが、それがを単純に

有り難いかどうかというと少し複雑であります。世の中では宗教の

名を借りて人をだますような、いかさまなの教えのところに行くよりは、

ただ、無心に坐禅をしたほうがいいのかもしれない。あるいは、誤った

教えに触れたために、大勢の若者がせっかくの人生を棒に振るって

しまう事件がありましたが、そうなるより、静かに坐ったほうがいいの

かもしれません。


 しかし、理想をいえば、みんなが本当の自己、本当の自分に目覚めて

毎日の暮らしを生き甲斐を持って、いきいきと働いていることであります。


 そして、特別なことをせずとも、各自それぞれが、それぞれの生活の中で

明るく楽しく生きることができる、理想を言えばそれが理想であります。


 私達はついつい「正しい法」と「仏心」とかの言葉を聞き、学んだりして

すばらしいものがよそにある思いがちですが、そのようなものさえ

殺し尽くして、各々一人一人がいきいきと活動することが本当の

「正しい法」「真理」なのであります。

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<方丈> 久しぶりの青空、気持ちいいですね。






 




 

意識のおおもとへ

6月25日(月)半制大攝心6日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


みなさん方の本心は、仏心です。そして仏心というのは

慈悲の心です。


 しかし、現実は本心を見失しなってしまうことのほうが多い。

「自分だ!他人だ!」と、自分を中心にして外のものを比較対象に

している。そこから、百般の悩み・苦しみ・煩いが生じてくる。

この自我意識というものが悩みの根本でありますが、それと同時に

自我意識がなければ何もわからないのです。


 この自我意識を手がかりにしてこそ仏心というものにふれることが

できるのであります。


 お互いが常に頼りにしている意識そのものには実体はありません。

パッと浮かんではきえていくだけのものであります。しかし、「この

見ているものは何ものか?」「この聞いているものは何ものか?」と

意識のおおもとを尋ねてみる。ちょうど、坐禅で丹田に意識を集中

していくのと同じ気持ちで、意識をさかのぼる、追究していく。


 そうすると、意識の尽き果てたところに永遠に変わることのない、

始めも終わりもない広々とした世界があることに気づきます。


 そこには、自分だ他人だとのへだてはありません。それを

般若心経では「空」と言っています。その「空」のところは

あらゆる命は平等であります。


 平等でありながら、それでいて個々光り輝いている。

もうこうなってくるとただ手を合わせて有り難いと拝む

世界です。仏心の世界です。そして「あらゆる命あるものは

仏心の姿であった」とこう気づくのであります。


 この仏心にめいめいが目覚めて、気がついて仏心の中に

いる喜びを実感し、さらに人々に仏心の尊いことを説いていこうと

いうのが私達の務めであります。

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大樹のごとく

6月24日(日)半制大攝心5日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 樹木というものが二酸化炭素を全部吸い込んで、きれいな

酸素を出すがごとく、一切衆生の悩み・苦しみを自分が全部

吸い取ってあたたかい慈悲の心をはき出していこうというような

気持ちで修行に打ち込んでほしい。


 自分の小さな悩み・苦しみだけを解決しようという小さな根性

ではなく、大きな大木、それも大宇宙を覆い尽くすような大木が

二酸化炭素を全部吸って新鮮な酸素を吐くがごとくの気持ちで

やってもらいたい。


 みんなの悩み・苦しみを全部受け止めてあげるくらいの気持ちで

坐っていただきたいと思います。

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 <黄梅院>未央柳(びようやなぎ)

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天下の陰涼とならん

6月23日(土)半制大攝心中日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 大木というものは、円覚寺の方丈にある柏槇(びゃくしん)

もそうですが、観光客がみな足を止めます。何もものを言わず

人を癒していく大きな力を持っています。


 妙心寺開山・関山慧玄禅師に「柏樹子の話に賊機有り」

という言葉がある。賊というのは泥棒です。しかし、悪い泥棒

ではない。人々の悩み・不安・苦しみを奪い取ってくれるはたらき

です。人々の心を癒してくれるはたらきのことであります。


 大木があればたくさんの鳥たちが羽根を休めて実をついばみ

憩うことが出来る。「天下の陰涼」という言葉があります。一本の

大木があると涼しさを得ることが出来る。木は無言で何も言わない

けれど、人や鳥などに大きな恩恵を与えてくれます。


 「柏樹子の話に賊機有り」とはこの大木のはたらきであります。

私達もあの一本の木に成り切って坐る!

あの大木のごとく大地に根を下ろして、どんな風や雨、嵐があっても

微動だにしない!あの大木のごとく坐れ!


 そして天下の陰涼たらん。世の人々の涼しい木陰となる。

人々のより所となる人材になって欲しい。大木にたくさんの

鳥たちが集まって羽根を休めるように、大勢の人達に涼しい

木陰を与えるような坊さんになって欲しい。


 「賊の機」というのは「衆生無辺誓願度」のことであります。

人々の苦しみ・悩み・不安、これがなくなりますように、

そして、穏やかになりますようにと願う心に他なりません。


 その為には己のわがまま・煩悩を殺して、人境一如です。

大自然と一枚になっていく。一枚になったところが、

「賊のはたらき」であり、それは慈悲心と言っても同じで

あります。


 慈悲心と一枚となっていく。それが関山慧玄禅師の教えで

あります。

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<方丈> 柏槇

(後記)

    おかげさまで、今日の土曜坐禅会初心者の部も

   先週に引き続き、(居士林の収容人数ぎりぎりの)90名

   以上の参加者が来林してくださいました。みなさん、

   有り難うございました。











 


全細胞の総力をあげて

6月22日(金)半制大攝心3日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 私達は一念迷いの心を起こして様々な煩悩に振り回らされて

迷いに迷いを重ねてしまう。しかし、そんな私達でも、本来、仏であり

みんなまごうことなく仏として生まれてきてあるのが道理であります。


 人間の体の細胞というものは、何十兆もあるとのことです。人の体は

その何十兆もの細胞達が総力をあげて生きようとしている。私達は

その生きる力を信じていくのだ。それこそ仏といっても結構で

ありましょう。


 みなさん方の体の細胞で「オレが、オレが」「自分さえよければいい」と

自我を主張しているものがありますか?そんなものはありません。

何十兆もの細胞が全総力をあげて生きようと活動しているのです。

それこそ成佛の様子です。


 公案(禅の問題)は、頭の片隅でゴチャゴチャ考えたって埒があかない。

この体、全身丸ごと、打ち込むのです。今日の言葉で言えば、

この体の全細胞の総力をあげて修行に打ち込んでいく。


 自ら仏であると信じてやってもらいたいと思います。

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<黄梅院> 未央柳(びおうやなぎ)

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四弘誓願文の実践

6月21日(木)半制大攝心2日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 仏道というのは、毎日我々が読んでいるあの「四弘誓願文」の

実践に他なりません。これが修行の根本です。修行道場にいる間

だけなのでは決してありません。


 「衆生無辺誓願度」生きとし生けるもの、命あるものの悩み・苦しみは

限りがない。その限りない悩み・苦しみを自分は、誓って救っていきたいと

願う。これが仏道であれば、これでいいということはありまえせん。

人々の悩み・苦しみが尽きることのない限り、私達の修行も尽き果てる

こともありません。ですから、大勢の人の悩み・苦しみに真摯に

耳を傾け、謙虚な気持ちをまず持たねばなりません。


 「煩悩無尽誓願断」あらゆる悩み・苦しみの根本は煩悩であります。

その煩悩のおおもとは{自分さえよければいい}という思いです。

お互いが自分さえよければいい、楽な暮らしができればいいと

安易なことに手を出したとしたら、そこで反省をすべきであります。


 「法門無量誓願学」問題があるときに、どういう原因でそうなるのか?

やはり学ばなければならない。いろんな立場があって結構なんです。


 「仏道無上誓願成」生きとし生けるものがみんな楽しく安らかに

それぞれがそれぞれ、生き甲斐をもって命を活かせていけるような

世の中の実現を目指します。


 この4つの願いが仏道のすべてであります。この仏道の為に

自分の身を捧げて修行をするのであります。


 単蒲団(坐禅用の蒲団)の上で、眠たいから眠ってしまう、嫌だから

余計な雑念・妄想の中に逃げ込んでいてどうして仏道の実践が

できますか?

 
 単布団の上、身を捨てて無字三昧にならずして、己を捨てて

人の為に尽くしていく四弘誓願文の実践がどうしてできますか?

根本は一つであります。蒸し暑かろうが、足が痛かろうが、

辛かろうが己を捨てて成り切ってくださいますように。




 


 


 






 

底のない桶で

6月20日(水)半制大攝心・初日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 こんな話があります。あるお金持ちが自分の財産を譲ろう

としたが跡取りがいない。そこで跡取りに孝行息子を選びたい

と試験をしました。「底のないつるべ・桶で井戸水を汲め」という

問題を出しました。


 ほとんどの人は「そんなことはできやしない」とはじめから

やめてしまった。ただ一人の青年だけは「自分のお父さんに

なる人がそう言うのであればとたまろうがたまるまいが

一生懸命やりましょう!」と夜を徹して底なしの桶で水を

汲み続けました。


 そうなるとどうなりますか?底がある桶のようにザブザブとは

たまらない。けれども、底なし桶でも一生懸命やれば、しずくが

たまっていく。ほんの数滴のしずくがたまっていく。それをひたすら

続けていくうちに気がつけば、とうとう水が一杯にたまっていた。


 この話は禅の修行のたとえとして実によくできている。公案

(禅の問題)の修行は、大判小判がザクザクととれるようなもの

ではない。底なし桶で水を汲むがごとく一見何にも入らない。


 けれど、何事も一生懸命やっていれば自分でも気がつかない

ところにほんの一滴でもたまっているものが必ずある。ふと、

気づいたならば、その何かたまっていたものに自分の心が

潤されているのであります。

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<龍隠庵> 鬼灯(ホオズキ)

(後記)

 確か、NHKの番組だったと思います。芸能人の方が

短い期間、まったく別の職業を真剣に体験する企画のもの

でした。お笑い芸人の方が中華料理のチェーン店のコックに

挑戦されていました。大きな中華鍋で、ひたすら、レバニラを

作ろうとするのですが、何度も失敗して、芸人さん気がめげそうに

なる。そこでプロのコックさんが言われたのが「あなたにとって

レバニラを作れるようになることが、これからのあなたの人生で、

役に立つかどうかわからないし、意味のないことかもしれない。

だからと言って、いい加減になったり、手を抜いてしまったら、

それこそ今やっていることが意味のないものとなってしまう。

意味があろうがなかろうが一生懸命やれば、それはあなたの

人生の貴重な財産になる」というようなこと諭していました。

なるほどと感銘を受けました。先のたとえ話と相通じるものが

ありますね。











 


半制大攝心

6月19日(火)


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明日から円覚寺専門修行道場・僧堂では、「半制大攝心」

(はんせいおおせっしん)と言いまして、1週間の集中修行期間に

入ります。半制大攝心は、別名「夏の臘八(ろうはつ)」と呼ばれ、

普段の攝心より特別、厳しいものとなります。

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攝心中の時間表です。僧堂の廊下などに張り出されます。

「午後10時」解定とありますが、もちろん、それで終わりでは

ありません。雲水さん、そこからさらに坐りに坐ります。

 円覚寺全体がピーンとした緊張感に包まれる1週間と

なります。




観音懺法(せんぽう)

6月18日(月)


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 今日は、16時から、山門で本山行事・観音懺法でした。

「この儀式は、観世音菩薩の広大な霊感を請い、祈祷・報恩

・追悼のための行う」と辞典には説明されています。

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2階に上がる階段を上から撮影しました。

結構、急なんです。

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山門上から総門方面を望む。

人が小さく見えますね。

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2階部分の空間には、十一面観音、十六羅漢、

十六神将が安置されています。

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<十一面観音>穏やかなお顔をされています。

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<十六神将>「喝!」

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<韋駄天>

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<十六羅漢> 持鉢からニョキニョキと龍が・・・

(後記)

   居士林だよりのブログ本「いろはにほへと」ですが、

 有り難いことにたいへんな反響で、どこで手にいれる

 ことができますか?との質問を多くいただいています。

 只今、検討中ですのでもうしばらくお待ちくださますように

 お願い申し上げます。

 

 

人はどうなるかわらない。

6月17日(日)


 管長様が昨日の土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 先日、禅文化研究所のDVDの撮影がありまして、次のような

質問を受けました。「今、日本では年間3万人の自殺者がいますが

、この状況をどう見ますか?」それに対して次のように答えました。


 3万人というのはたいへんな数でありますが、そういう状況に

あって、では自分が何をすることができるか?であります。

考えてみると、まず、確実にできることは、この自分が死なない

ようにすることが第一番です。


 今、幸いに私は死のうとは思っていないし、そういう状況には

ありません。けれど、絶対に自分は死なないといえますか?

人はどうなるかわからいのが真実であります。


 自分の意図せずに事件に巻き込まれ、自分が消えなくては

状況が解決しないほど追い込まれたら、私もどう判断するか

わからない。今はこうして健康な体でありますけれど、この先

どんな病気になるかわかりません。そして、たくさんの薬を

もらって副作用に苦しめられた時、私はどういう判断をするか

わかりません。


 大切なのは何もああいう自ら死を選んだ人は特別な人ではない、

われわれもどうなるかわらないと認識することではないでしょうか。

お互いどうなるかわからないということが一番根底になければ

ならないと思うのです。


 先日、本を見ていましたら、あの松原泰道先生も、若い頃、自殺を

考えて四国の室戸岬まで行って身を投げて死のうとしたことがあると

書かれていました。先生は崖っぷちまで行って、大海原や悠大な波を

見て、大自然の大きさに比べて自分はなんとちっぽけなことを考えて

いたんだと気がついて、死なずに帰ってきたとありました。


 私はそんな話を聞くと正直、ほっとしました。「あんな立派な先生でも

そういうことがあったのか。」と。迷いの深い人を導いて行くには、やはり

こちらも迷いがなければ導いていくことはできない。悟りきって何の不安も

ない人が悩み・苦しみを持つ多くの人を救っていくことができるかというと

そうとばかりは言えません。


 自分も悩み苦しむ体験をし、そういう人の気持ちがよくわかる人こそ

本当に人を導くことができるのであります。

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 <黄梅院>白い紫陽花

(後記)
 
 昨日の土曜坐禅会初心者の部だけで、ここ数年では最高の

94名の参加がありました。居士林が文字通り、もう坐る場所が

ないほどの盛況ぶりでした。ご参加された方、誠に有り難うございました。

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本、出来ました!

6月15日(金)


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 様々な人達のご尽力のおかげで、「居士林だより」が

やっと本になりました。本当に有り難うございました。

題名は「いろはにほへと」。表紙は、寿徳庵さんから

撮影させていただいた円覚寺鳥瞰図です。

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だいたい、見開き右に管長様の提唱を短くまとめたもの、

左に円覚寺の風景、花などの写真が配置されています。

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 明日は土曜坐禅会です。2部は管長様に法話(無門関提唱)を

していただける予定となっています。2部終了後に「いろは」を

参加者の方に配布する予定です。

 宜しくお願い致します。






住職研修会

6月12日(火)


 今日は午後から円覚寺派の住職研修会でした。お二人の

講師の先生をお招きして、地方からも多くの和尚さん方が

集まってお話を拝聴しました。管長様のご垂示のあと、気仙沼市

地福寺住職・片山秀光師が震災時の体験について語られました。

 人は本当に追い詰められた時、祈ることしかできないが

その祈ることが大きな力になるとおっしゃられていました。

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これは、その和尚様が描かれた布巾です。

「めげない にげない くじけない」を合い言葉に

復興活動をしておられます。


 第二講は、石巻ママ・サポーターズ代表の八木純子先生でした。

先生は、津波で家も仕事も失い生きる目的すら失いかけていた

宮城県女川町高白浜仮設住宅の女性達に、支援物資で余ったTシャツ

を使って布草履を制作・販売することを提案し、それを実践されて

いる方です。

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これがその「布草履」です。次のメッセージが

添えられていました。

「津波で、家も、家族も、仕事も流されてしまいました。

小さい小さい仮設住宅の中で、これからの生活に

不安を覚える毎日。でも、最近生きる喜びを

見つけられました。それが布草履。

 このお陰で、みんなとつながっている。

自分が必要とされている。そんな気持ちに

なれました。おかげで、薬を飲まなくてすむ

ようになりました。一日中ひとりで家に居ることも

なくなりました。

 ちょっと不細工かもしれませんが、私達の希望が

詰まっています。ぜひ手に取って見てください。」

 
 みなさん、ぜひ支援してくださいますように。

 「高白浜草履組合」 TEL070-5626-7211

1足1500円(送料500円・10足以上は送料無料)













青空と伽藍

6月7日(木)


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本当に、空がきれいでいたね。<方丈>

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<参道>

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<山門>

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<山門>

自分で判断せよ

6月5日(月)


 管長様が企業の坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 お釈迦様がある村に説法に行った時のこと、その村の人は

「私はあなたの言うことを聞こうという気にならない。どうしてかと

いうと、この村にはいろいろな宗教者、哲学者、教祖などが来て

どの人も自分の説こそ、正しい・真実であると言う。そこで私達は

一体、誰が言うことを信じたらいいか、わからない状況にあります。

だから、あなたが説いても、私達は受け入れることができない。」と

申し上げました。


 それに対してお釈迦様は「あなた方が言うことは正しい。

人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。昔のしきたりだからと

鵜呑みにしてはいけない。権威ある人が言ったことだからと

鵜呑みにしてはいけない。古い教典に書いてあるからと鵜呑みに

してはいけない。立派な教祖の言葉だからと鵜呑みにしてはいけない。

何が正しいか、間違っているかは自分で判断しなさい。」と言いました。


 何がわたしにとってふさわしいのか?これを実践したら、世の中

どうなるのか?周りの人、良識ある人はこれをどう見るであろうか?


 地下鉄サリン事件の実行犯が供述したそうです。地下鉄に乗って

最後にサリンの入った袋を傘で突く時に「こんなことをしていいの

だろうか?」と思ったと。「何の関係もない周りの乗客をいっぺんに

殺傷してしまっていいのか?」と一瞬思いをかすめたと。


 それが本心なんです。しかし、残念なことに次の瞬間、「尊師の

仰せになったことはいつわりはない。」と自分の本心を打ち消して

サリンをついてしまった。


 尊師の命令だ、何だと、これだけ心が汚染されていても

「こんなことをしていいのだろうか?」と人間の本心ははたらく

のです。


 何が正しいことで何が間違っているかを判断することの

できる心を私達は生まれながらにみな持っているのです。

ただ、それを貪瞋痴によってくらましてしまっているだけ

なのです。


 このいのちを傷つけるもの、暗くさせてしまうものは避けた方が

いいし、間違っている。逆にめいめいのこれほど尊いいのちを

明るく活かすもの、活きたはたらきをすることは正しいことで

あります。それは、その基準ははっきりしているのです。




色づくあじさい

6月4日(月)


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円覚寺佛殿脇のあじさいです。だんだんと色づいて

きましたね。

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「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する

「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われているそうです。

「紫陽花」は唐の詩人・白居易が別の花に名付けたもので

平安時代の学者・源順がこの漢字をあてはめたことから

誤って広まったといわれています。

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<洪鐘参道>

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久しぶりに総門でしいちゃんに遭遇。

苦労の分だけ

6月3日(日)


 管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 (1年で一番厳しい)臘八大攝心にずっと来ていた(居士の)

上野二郎さんという方がいました。この方は、傷痍軍人で

岩手県の雫石から、毎年、臘八になると一週間、修行に

来ていました。


 当時は豊かではないから、鎌倉への旅費を作るのに、

春ウサギを買って、それを育てて秋に売っていたそうです。

一週間分のお米を持って居士林に来て、そこから僧堂に

つめていました。一週間の修行が終わると、残ったお金で

居士林の下駄や傘を直して帰られました。


 上野さんが帰っていく様子をある和尚さんが見ていると

円覚寺境内の杉の木、1本1本に丁寧に合掌低頭されて

いたそうです。その様子をその和尚さんは、「上野さんの

心境の深さ、禅の深さを見た」と表現されています。


 1年を一週間の修行、その為に尽くす。全身全霊、坐り

抜いて、「なるほど、草も木も1本1本が有り難い!」と

気づく。これは理屈ではないんです。そういう気持ちなんです。


 それには体究錬磨して自分で「ああ、なるほど!」と気づくしか

ない。自分で苦労した分だけ、骨を折った分だけ自分の心境に

なるのであります。

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<居士林・堂外>







 

土曜の晩に

6月2日(土)


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今日の土曜坐禅会は、初心者の部71名、2部46名でした。

大勢の参加、誠に有り難うございました。さて、先週から、

まだ試験的ですが、土曜の晩坐れる坐禅会を始めました。

 夕方17時半に集合し、(土日坐禅会の人とともに坐り)

21時過ぎに解散します。

土曜坐禅会2部の方に呼びかけて、初回は6人、今回は8人で

した。(ただし、この坐禅会は初心者の方を対象としていませんので

初心者の方は、土坐初心者の部にご参加ください。)詳しいことは、

土坐2部終了後、お尋ねくださいますように。
 
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山法師。

円覚寺夏期講座

6月1日(金)その2

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 今年の夏期講座の日程表です。

期間・・・7月20日(金)~23日(月)

場所・・・円覚寺大方丈(JR北鎌倉駅下車)

聴講料・・・1日 1,200円 (当日受け付け)

       4日間通券 4,000円


  意外と知られていませんが、期間中、投宿坐禅会を

行っています。19日(木)の夕方集合し、23日(月)の午後

解散します。朝晩は、坐禅やお経を読み、日中は各自自由に

夏期講座を拝聴します。

 「坐禅会」ですので、食事は作法にのっとり行うなど

規律正しい生活をしますが、厳しすぎず、緩すぎず、なかなか

充実した坐禅会だと思います。希望される方(ただし、65歳までの方)

には、案内を交付しますので、来山するか80円切手貼り付けの

返信用封筒を同封して本山(TEL 0467-22-0478)

に請求してください。(定員に達し次第締め切りますので、

ぜひという方はお早めに。)




今月の言葉

6月1日(金)

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管長様揮毫。坂村真民さんの詩。

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柏槙(びゃくしん)<方丈>
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