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仏の子

4月29日(日)


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今日は午前中、学生時分から管長様に参禅されている

居士の方が、赤ちゃんが生まれた挨拶に、ご夫婦で

いらっしゃいました。

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隠寮(管長様のご住まい)の庭に咲く牡丹です。

ちょうど、子どもバッタがのっていますね。

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かなちゃん、最近どこでも寝ている姿を目にします。

疲れ気味なのかな。




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GW舎利殿特別公開

4月28日(土)


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ゴールデンウイーク中(5月3日~6日8:30~16:00)

神奈川県で唯一の国宝建築「円覚寺舎利殿」が

特別に一般公開されます。舎利殿の中には

入れませんが、間近で拝見することができます。

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普段は、周辺が修行道場として使用されているため

立ち入ることはできないところですので、この機会は

貴重です!

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連休中、お出かけを考えている方、ぜひ、どうぞ!

(入り口で通常の拝観料をおさめていただくだけで、

だれでもお参りすることができます。)










人の心は変わらない。

4月26日(木)攝心最終日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 昨今、人の心が変わってしまったとか宗教離れ進んだとか

いろいろと言われていますが、人間の心というものはそんな

10年や20年、数十年で変わるものはないと思います。

 我々の心はお釈迦様の頃と何ら変わっていないと

思っています。


 短い期間で人の心は変わるものではない。変わった、変わった

と言っている心は、心のほんの表面の部分であって、心の奥底は

石器時代と比べてもあまり変わっていないのではないでしょうか。


 獲物を見たら食らいつこうと飛びかかる、身内を大事にする、

日の出を見たらなんだか神々しい、有り難い気持ちになるなど

人間の心は変わっていない、また変わるものではないと思うのです。


 ただ我々をとりまく生活環境は激しく変化していますが、今の人に

私達の仏心の教えが通じないかというと決してそうでもない。

 ある30代の青年は、まさに社会の第一線で働いていますが、

仏心の教えを読んで感動した、驚いたと教えを請いに来ますし

別の人は忙しい仕事の合間をぬって、攝心に坐りに来ています。


 なあに、そんな簡単に人の心は変わらない。私達の仏の教え、

禪のお教え、仏心の教えはどんな時代になっても色褪せることは

ないのであります。


 ただ教える側に、禪のすばらしさを教えるだけの熱意・情熱が

あるかというと、それは我々が反省しなければならないこと

であります。世間の多くの人が禪はすばらしいと評価して

くれている中で、禪の修行をしている我々がそのことに

どれだけ気づいているか。


 こういう教えのために自分の一生を費やすことができて

こんな幸せなことないと思いませんか。仏心というものが

いかに尊いものであるかと身震いするくらい感激し、体感し

そのことを何とかみんなに伝えたいという情熱を持った

お坊さんになってもらいたいものであります。

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今日で入制大攝心は終了です。次の月並大攝心は

5月20日~26日です。

みなさん、一週間、有り難うございました。

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居士林の井戸のポンプを新調しました。

いろいろと便利な世の中になりましたが、

何かあった時に一番頼りになるものですね。








獅子奮迅

4月25日(水)攝心6日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 「獅子奮迅三昧」という言葉があります。勇猛に坐り、

禪定に入ることであります。獅子が威を奮うがごとく、

全身の毛を逆立てるがごとく、激しい気力を持って

坐るのであります。


 自分の心を制御するということはそれほどの気力を

要することです。ぼやっと坐っていたのでは、自分の

雑念・妄想に引きずり回されてしまうだけとなって

しまいます。


 また「獅子を飼い慣らす」という言葉があります。

お釈迦様は、心は仏心であると言っているの同時に

心は猛獣よりも恐ろしいと言われています。


 自我や欲望にとらわれた心は、暴走しどれほど

害を出してしまうかははかりしれません。ですから、

この心をととのえる、妄想が交わることのないように

しっかり「心という獅子」を飼い慣らす必要があります。


 自我・欲望にとらわれなければ、心の働きは自ずから

慈悲・いくつしみ・思いやりであります。修行をして

大慈悲心を開発していくのであります。


 いろんな人に会ってきましたがつくづく思うことは、

修業時代、獅子奮迅に真剣に鬼のように坐った人ほど

情が深い、慈悲深い、思いやりがある和尚さんになって

います。真剣に坐禅をした人ほど心配りがこまやかな

和尚さんになっているとよく感じます。


 その為には、自分の心と向き合う修行です。

心をほしいままにしないで自分を律し、獅子奮迅

の勢いを持って坐り、心の本当はなんであるか?

なるほどお釈迦様の言葉の通り、仏心であったと

気づき、慈悲心がこんこんとわき起こるところまで

坐ってもらいたいものであります。









 

何が真実か?

4月24日(火)攝心5日目


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<僧堂前>

 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 人は誰かの教え、教祖の言葉、教典に書いてあること、

昔からやっていることなどを鵜呑みにしてしまいがちですが、

何が正しいか?何が間違っていることか?何を行うことが

ふさわしいことか?それらのことは、自らが判断すべきだと

お釈迦様は仰せになっています。


 この教えがはたして自分にふさわしいか?智慧ある人や

外から見てどう思われるか?自分で判断する智慧を持つことが

大事であります。


 宗教というと何か絶対的なものにひれふすと救いを乞う

ように思われがちですが、臨済禅師は、むしろ絶対なるものを

否定して、おのおの一人一人が絶対なるものである、すばらしい

仏であると気づけと言われています。


 仏教の修行において大事なことは「信」であります。

何を信じるのか?仏や神様がてを差し伸べてくれると

待っていてもあてになりません。自らの中にある仏を

信じるのです。


 生まれてきたからには、私達はみな、生きていくだけの力

を備わっているのです。これが真理です。


 「病は不自信のところにあり」と臨済禅師は言いました。

誰もが「生きていく力」や「智慧」を生まれながらに持っているに

それが自分の中にあると信じようとしないことが迷いの原因だと。


 何が正いか?何が真実であるか?疑いの心を持ち、

お釈迦様の教えに鑑みてどうであるか?疑っていく修行で

あります。


 一呼吸一呼吸に工夫を重ね丹田に力を入れて

妄想を削り取り、自ら生まれながらに本来持っている智慧を

磨く修行です。何においても決して惑わされることのない智慧

を磨く、それが臨済禅師の教えであります。

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新緑がきれいですね。<選仏場前>

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<居士林正面>






一番近くにある大自然

4月23日(月)攝心中日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 何が苦しいか、何が辛いか。人間を一番苦しめるのは

(自分で勝手に作る)いらぬ考えであります。己の妄想が

己を苦しめるのです。


 「没可把(もっかぱ)」という言葉があります。何にも

とらえようとしてはいけないということであります。

何かをとらえようとすればするほど、また遠ざかって

しまう。ああでないか、こうでないかと考えれば考えるほど

遠ざかってしまいます。


 それよりも「坐忘(ざぼう」といいまして忘れてしまうのが

いいのであります。それでは何を忘れるのか。我を忘れ、

自分が坐っていることを忘れて大自然と一体となる。


 大自然というと、はなはだつかみ所がないように思いますが

私達の一番近くにある大自然はこの体です。一番身近にある

大自然はこの呼吸であり、これこそ大自然のはたらきであります。


 この呼吸に集中、意識を向ける。とりわけ(下腹部の)丹田・

おなかに意識を集中するのであります。


 (みなさんは坐っていると)妄想が邪魔をすると言いますが、

それはどこから出てきますか?みんな頭から出てくるんです。

おなか・丹田は余計なことは考えないのであります。


 (禪の問題は)足の裏で工夫をしろとよく言われますが

なるほど足の裏は余計なことは考えない。おなか・おへその下

・丹田に意識を集中し、足の裏に意識を持っていけば自ずから

頭の方はからっぽとなる。


 「数息観」といってはじめは、自分の呼吸を一生懸命数える

のだけれども、いきつくところは数を数えることも、はたまた

もう自分が息をしていることすらも忘れてしまって、大自然と

一つになる境地であります。


只一枚にとけ合っていく

4月22日(日)攝心3日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 人はそれぞれ理想を求め、夢を追い求めます。

修行する者でしたら仏を求め、法を求め真理を求めます。

 いわばそれを例えて言うならば、ザルで宝の珠をすくおうと

するようなものであります。


 ザルというのは、めいめいの自我・知識です。これを得たい、

これを得たいと竹のザルですくおうすくおうとしているのと

同じであります。


 「泥団を弄する」という言葉がありますが、結局は宝の珠を

求めて泥だんごをこねくり回しているようなものなのであります。

泥だんごとは、自分の勝手な理屈、自分勝手な道理のこと

であります。そんなものいくらこね繰り返したところで宝は

遠くして遠しであります。


 なにかこれという言葉を得たい、なにかこれで納得いく道理を

得たいと求めに求め続けるのですけれど、冷静に見れば

それは自分で勝手な理屈をこねくり回しているのが

ほとんどではないでしょうか。


 「泥牛海に入る」という言葉があります。泥だんごは

海に入ったらあとかたもなくなり、海と一つになっていきます。

そうするとザルですくおうとしてもすくうことはできない。

水の中で水をすくうようなもの。ザルはもう必要ない。


 泥だんごと海と一つになっていく。

ザルを放って水と一つになる。

自分の体、今までおぼえてた知識が全部抜け落ちて

大自然のはたらきと一つになっていく。只一枚に

とけ合っていく。


 それは自分勝手な言葉で説明することも

できないし、いかなる理論であらわすことも

できないのであります。

 
  つまり、宝の珠はザルですくえるものではないのであります。

それを自我や自分勝手な知識というザルですくおうすくおうと思って

いるから自分勝手な泥だんごしか入ってこないのであります。


 自分勝手というザルを捨ててしまえば、水は辺りにいっぱい

満ちあふれて入るではないか。辺り一面、宝だらけではないか。

宝の中で宝をさがしていた、宝の中にで泥だんごをすくおうと

していたと気づくのであります。


 





真っ只中へ!

4月21日(土)攝心2日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


修行をしていけば痛みや苦しみが全部なくなって、キレイ、

サッパリとした悟りがあられてくるからと辛抱していても

残念ながら、そんな虫のいい話はないのであります。


 強いていえば、苦しみの真っ只中に、痛いなら痛いの

真っ只中に自分をひたりきる、入り込んでいく、はまりこんで

いく。そこから逃れようとすることこそ迷いや苦しみ

なのであります。そうすることしか私達の修行といものは

ないのであります。


 苦しみや楽、迷いや悟り、そのもとは一つであります。

すべてこの一心が姿形をかえて仏になったり(猫になったり)

犬になったり、木や草に、また、煩悩や菩提になっている

のであります。名前は違えどもそのもとは一つであります。


 一つのおおもとを究めていく、それが私達の課題であります。

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 本日の土曜坐禅会は初心者の部51名、2部39名

でした。大勢の方のご参加、誠に有り難うございました。





 

 


 

永永と

4月20日(金)攝心初日


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 私達は今こうして頭を剃って、坊さんのかっこをして、こんな

大きな寺に住んで、何不自由なく修行をさせていただいて

います。


 大勢の方の信心を得るということは自分達一代でできること

ではありません。代々の祖師方が何百年かけて永永と修行を

されてきた、そのたまものであります。そのおかげで

こうして今私達が何不自由なく修行ができ暮らさせてもらっつて

いるのです。


 今日、仏教に対して否定的な意見もありますが、仏の教えが

人々のよりどころとなっているのも事実であります。それも代々の

祖師方が厳しい修行をして、命をかけて仏の教えを伝えてきて

くださったそのたまものであり、我々は今、その祖師方の余徳の

おかげでこういう恵まれた暮らしをさせていただいているので

あります。


 我々がこうして祖師方の語録を学ぶのは、祖師方が真剣に

修行に打ち込んだという事実、そして命がけで仏の教えを

つたえてくださったことを忘れないためであります。


 たとえ祖師方の厳しい修行ぶりには及ばないとしても

それを胸に刻み、自分を鑑みることが大切であります。

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雨安居(4~7月の攝心月間)開講にあたっての

管長様の偈頌です。

「こうしてたいへん良い季節を迎えることができた。

 門を閉ざして(外に出ずに)坐禅に集中する。

祖師や仏様になる人材を打ち出すのが選仏場。

 修行者達みなよ。

 悟りの智慧という光は外から教わるものではなく

本来誰もが生まれながらに持っているもの。

禪の修行をして、煩悩・妄想・執着・余計なものを

取り除いて本来の智慧の光を発揮せよ。」

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提唱の様子。

明朝から・・・

4月19日(木)


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 今日は午前中、白山で居士林だより製本化の

打ち合わせでした。花の写真が多いのでそれを

減らしてもっと円覚寺を象徴するようなもの

載せてはどうかなどを話し合いました。

上の写真は寿徳庵さんからの眺めです。

副住さんにご案内していただき撮らせて

いただきました。手前・居士林、左奥・佛殿

右奥・山門です。

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明日20日から26日まで円覚寺専門道場では

坐禅の集中修行期間となります。僧堂師家(指導者)

でもある管長様をはじめ雲水さんは厳しい修行期間に

入ります。


大宇宙の中で

4月18日(水)


 管長様が本日の坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


「父母未生以前本来面目」という言葉があります。

両親の生まれる前のあなたはなんであったか?

あなたはどこから生まれてきたのか?ということであります。


 一番よってきたるもと、命のおおもとはなんであるか?

それは、もう仏としか言いようがないのであります。

宇宙の星のかけら、宇宙の塵といっても同じであります。


 私達は大宇宙の大きな活動の中から、ほんの一時

体をいただいて、そしてこの命をいただいて生きて

そして、また宇宙の中へ帰って行くのであります。


 宇宙という言葉を仏様と置き換えてもかまいません。

みな仏様から、このかけがえのない体とこの命をいただいて

仏様の中に一時を生きて、そして仏様の中へ帰って行く。


 あらゆる命は仏様が様々な姿・形をしてあらわれている

のであります。そのことに気づき、このいただいた命を

かけがえのない!ありがたい!と思えるようになれば

何かしら自分のなすべき道、やるべきことが自ずから

みえてくるのではないでしょうか。

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ここにも仏様が・・・。かなちゃん。

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「猫の攻防戦」

かなちゃんと新参者の猫です。名前はまだ人によって

まちまちのようです。かなちゃんにちょっかいを

かけようとしている様子でしたが、かなちゃんは

何の吹く風、全く相手にせずにどっしりと構えていました。

さすがですね!

碇草(いかりそう)

4月17日(火)


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碇草(いかりそう)です。<黄梅院>

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かつての和船では四本鉤の碇がもちいられて

いたそうで、その碇に形が似ていることから

その名が。

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種子の冠毛が丸く集まっているようすが

「たんぽ」(綿を丸めて布で包んだもの)に

似ていることから「たんぽ穂」と名づけられ

「たんぽぽ」に。


一劇の芝居

4月15日(日)


 管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 人が生きることは、一つの芝居であります。

(それぞれが、それぞれの役を演じているのであります。)

何においても私達の仏心・仏性がどういう役をやろうとも

減ることはないのであります。

 
 失敗した、うまくいかなかったと落ち込んだとしても、

それはそういう一つの役柄のつもりでおれば、

それほどのことはないと見ることはできないだろうか。


 人は仏心・仏性の一劇の芝居を一生の間演じるんで

あります。主役をやったり脇役をやったり、良い役であったり

悪役であったり・・・。

(八百屋さんであったり、主婦であったり、お父さんなど

めいめいが様々な場面で演じているのであります。)


 良い役しかできない、時には悪役もできなければ

さみしいではありませんか。(主役になったり、脇役に

なったり、その場その場で自由自在に入れ替わる

ことができればおもしろい。)


 (時代劇でいうなら)斬られる方も見事にできる。

斬られる役になったからといってその人の仏心・

仏性がかげることは全くなく見事に演じきれば

逆に一段と輝かせることもできるのです。


 何事も仏心・仏性の一劇の芝居であります。

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射干(しゃが)、別名胡蝶蘭でしす。<黄梅院>

円覚寺山内のあちこちに咲いてきました。

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こちらは、浦島草。よく見ると花の先端から

ニョキニョキと釣り糸状のものが見えますね。

 これを浦島太郎が持っている釣り竿の釣り糸

に見立てたことから「浦島草」とされているとのこと。

植物も役柄は様々です!

 

 

種智を円かにせんことを

4月14日(土)


 管長様が土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 お釈迦様の最後の教えは何ですか?と問われたとき

鈴木大拙先生は「依頼心を捨てよ。」と答えられました。

何かに頼ろうとする心を捨てなさいということです。

お経に「自灯明 法灯明」とあります。自らを灯とし

自らをより所とせよということであります。


 何かに頼ろうとする限り、人は本当の安らぎを

得ることはできない。そこで「自灯明 法灯明」

なのであります。


 無我の教えを説く仏教が自分をより所とせよと

言うのは、一見矛盾しているようですが、その

より所とする「自分」とは、いったい何でありましょうか?


 それは、自分だ!オレだ!と主張するこの小さな肉体の

かたまりでもなければ、外の出来事に反応するわずかな

精神のはたらきでもありません。たったこれだけのものが

本当の自分なのでは決してありません。


 本当の自分は、より所となる自分は、もっと深く

大いなるものなのです。もともとは私達の命は

大自然と一枚、大自然の一部、ほんのひとかけらで

あります。そのことは、大自然と私達の命は地続きで、

ここからここまで自分のものと区切りをつけるものは

ありはしないのであります。この大自然・大いなる命を

より所とするのであります。


 坐禅をして心を静かにすると智慧が出てきます。

自分と他人との関わり合いがよく見えてくる。

小さな自分ではなく、周りと全部一つにつながっている

自分が見えてきます。そうすると他人の苦しみや

悲しみを自分のことのように感じ察する慈悲の心が

育ってきます。その慈悲の心が一番のより所と

なるのであります。


 お経の最後に「種智を円かにせんことを」と

祈りの言葉を唱えます。種の中では必ず芽を出して

葉を伸ばして花開くだけのものがすべて備わっています。

そのように私達めいめいの心の中にも、心を静めさせて

智慧の花を開き、慈悲の心をはたらかせることのできる

力をみんな生まれながらに持っているのであります。


 「円かにせんことを」とはその誰もが持っている

素晴らしい能力を十分に発揮することができますように

ということであります。

(後記)

  本日の土曜坐禅会は、強い雨の中にもかかわらず

 初心者の部55名、2部56名と大勢の方々に

 ご参加いただき、誠に有り難うございました。

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円かにされてますね。しいちゃん。



 








 


利休梅

4月13日(金)


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利休梅です。<黄梅院>

名前は、茶花としてよく利用されたことからだそうです。

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謎の生物と思いきや・・・。

「武蔵鐙(むさしあぶみ)」と言うそうです。

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馬具の鐙(あぶみ)に似ていることからのようです。

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山桜、きれいですね。

 明日の土曜坐禅会2部では、管長様に無門関提唱を

していただける予定となっております。

花海棠(はなかいどう)

4月12日(木)


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 木瓜(ぼけ)です。<文京区 龍雲院>

うっすらピンクが美しいですね。
 
 今日は午前中、白山で「居士林だより」の製本化の

打ち合わせでした。Tさんなどのご尽力でだいたいの

文章は決まり、後は写真をどこに配置していくかの

作業に入っています。6月中には仕上がる予定です。

皆さん、こうご期待!

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花海棠が咲き誇っていました!

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「棠」とは梨のことで、海棠とは海外から来た梨という意味だそうです。

中国では古く牡丹と並び称されて人気の高い花で美人を表す言葉

でもあったとのこと。

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花蘇芳(はなずおう)です。

花弁の色が蘇芳(すおう)で染めた色に

似ていることからその名がついていますが

蘇芳とは別種だそうです。

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勇み足。しいちゃん。

山吹

4月11日(火)


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山吹が一気に咲いてきました!<黄梅院>

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山の中に咲いて花の色が蕗(フキ)に似て

金色で美しいことから「やまぶき」とも。また

しなやかな枝が風に揺れる様子から「山振」の

字があてられ、じきに「山吹」になっとも言われている

そうです。

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餌おねだり中。かなちゃん。

気づくこと

4月11日(火)


 今朝、山内・如意庵さんで暁天坐禅会の方々との

粥坐会があり、管長様にご出席いただいて参加者との

質疑応答の時間がありました。それをまとめてみました。


 参加者の方から次のような質問がありました。
 
「感謝をしなければいけない、ありがたいと

思わなくてはいけないとわかっているにもかかわらず

なかなか、身近な人にそれができない。それどころか

悪い感情を抱いてしまいます。それが自分にとっても

良くないこととわかっているのですが・・・。」


 管長様がお答えになったことは

「心というものは、どうしようもない面もありますが、

流動的なものですので、(感謝や思いやりなどの)

良い心を伸ばしたいという気持ちを持っていれば

必ず変わるものであります。一変には無理ですが

徐々に少しずつ移り変わっていくものであります。


 坐禅をして、自分は今こういう状況にあると客観的に理解し

自覚し続けることを継続すれば、徐々にではありますが

感情の振幅の差が狭まってくるのではないでしょうか。


 生身の体である限り完全に感情がなくなるということ

はありません。また、感情があるということは元気のもと

にもなるうるわけです。雑草そのまま肥やしになるでは

ありませんが。ただし、度を超して人に迷惑をかけるのは

いけません。自分の感情を冷静に自覚して活力のもととして

生きられれば良いのではないでしょうか。


 「忍辱(にんにく)」という言葉は、「忍」は「認」で認めること・

気づくこと・そのことがよくわかることを意味しています。

只堪え忍ぶ、自分を抑えるというよりもそういう状態に

気づくことであります。


  「懺悔(さんげ)」も、自分がどれだけまわりのものに

迷惑をかけたことかが、よくわかるということであります。


 仏陀とは「気づいた人」という意味であります。ですから

仏教の一番の核心は気づくことにあるのです。


 そして、気づけば理性の反応が自然と

働いてくるということであります。

 
 耐えるというよりも自分の感情に気づけば

自然と自制することができるのです。」








 







鈴蘭水仙

4月10日(火)


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 今日は穏やかな良い日になりましたね。

大待雪草(おおまつゆきそう)、別名鈴蘭水仙(すずらんすいせん)

です。花弁の先端の緑の斑点がかわいらしいですね。<黄梅院>

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木瓜(ぼけ)です。実が瓜に似ており、木になる瓜で

「木瓜(もけ)」と呼ばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)

したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したとも

言われているそうです。

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三葉躑躅(みつばつつじ)

枝先に三枚の葉がつくことから。

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椿と山吹。

黒文字

4月9日(月)


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あの楊枝になる「黒文字」の花です。<黄梅院>

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若枝の表面にでる斑紋を文字に見立てたことから

その名が。

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桜が満開で、大勢の観光客で円覚寺境内は、にぎわっています。

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北鎌倉駅

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ヒマラヤ雪の下<龍隠庵>

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見返り美人(猫)。かなちゃん。

降誕会

4月8日(日)


 
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管長様の偈です。

「花咲く藍園  降誕の辰

周行七歩 自ずから天眞

今朝捧げ出す 香湯の杓

灌沐す 如来の浄法身」

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「天上天下唯我独尊!」

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 本日の降誕会には大勢の方がご参加いただき誠に

有り難うございました。

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管長様が儀式で使われた香箱です。復刻版とのこと。

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心の宝

4月8日(日)


 管長様が本日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 新聞に被災者の方へ向けての手記が載っていました。

それは、平成9年に起きた神戸連続児童殺傷事件で、

その当時小学4年生だったわが子を惨殺された

お母さんからのものでした。そのお母さんは次のような

ことをおっしゃっています。

「(命より大切なわが子を亡くして)悲しみ苦しみは時が

癒してくれるとよく言いますが、5年、10年と経とうとも

大事な家族を失った悲しみ苦しみは、いつも新しく

よみがえってきて、心の区切りをつけられるものでは

ありません。

 しかし、一歩一歩積み重ねてきた時間の恩恵は

想像以上に大きい。苦しんだ五千数百日を経て、

ゆったり高いところにたって眺めることのできる

力を与えてくれた。今、あの子がいた頃と同じように

くったくなく笑い、心の底から喜ぶことができるように

なった。

 自分のこの体験を通して被災地で悲しみ苦しんでいる

人に伝えたいことがあります。

 それは、どんな困難に遭ったとしても心の宝は

こわれることはないということです。この15年間

私達家族は、絶望や目の前の壁の挑んできましたが

しかし、どんなに苦しくてもあきらめなければ必ず

笑顔や幸せを取り戻せる。

 心の宝がある限り、人は何度でも立ち上がることが

できる。このことをこの度、被災され悲しみ苦しんでいる

人すべてに、私の体験から身をもってお伝えしたい。」


 このお母さんが言われたことはお釈迦様の教えと一つ

であります。お釈迦様は、誰でも例外なく心の宝を持って

生まれてきていると仰せになっています。

 「天上天下唯我独尊」とはこの心の宝のことであります。

私達はめいめい一人一人、天にも地にもかけがえのない

心の宝を持って生まれてきていると言うことであります。

 
 人はどんな苦難に遭遇しようとも、心の宝は

決してこわれることはないのであります。そして

何度でも立ち上がることができるのであります。

 


降誕会紹介

4月6日(金)


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今日で円覚寺山内の桜も八部咲き位になりました。

日曜日あたりが一番の見頃ではないでしょうか。

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 さて、4月8日(日)は、お釈迦様がお生まれになった日で、

それを祝う降誕会が円覚寺仏殿に於いて10時から行われます。

 法要はの流れを簡単に説明します。

一、てんぐ・・・真前に数人の僧が

手渡しで伝送してお膳やお茶などのお供物を捧げます。

二、出班焼香・・・最も丁重に敬意を表し真前に近づいて
 
焼香します。

三、列拝(れっぱい)・・・参加の僧侶が列をなしていっせいに

礼拝をします。

四、拈香法語・・・導師(管長様)がお香を拈じながら偈(漢詩)を

お唱えになります。

五、疏(しょ)・・・降誕会にあたっての表白文をお山流と呼ばれる

円覚寺に代々伝わる美しい節にのせて唱えます。

六、浴佛偈(よくぶつげ)・・・誕生仏像にひしゃくですくって甘茶を

かけますが、これは甘露水に擬した甘茶をかけることがゆあみを

させることを象徴しています。その際に読む偈。

七、楞厳呪(りょうごんしゅう)というお経を読んで回向があって終わりです。

大きな儀式の流れはだいたいこのようなものとなっています。

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日曜日は、また、9時から管長様による日曜説教会(総門入り口で

通常の拝観料を納めた方なら誰でも拝聴できます。)です。

ぜひ、お出かけ下さいますように。

白木蓮(ハクモクレン)

4月5日(木)


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円覚寺山内・仏日庵さんの白木蓮です。

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花が蓮の花に似ていることから「木蓮」と呼ばれるように

なったそうです。

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青空に向かって精一杯咲いていますね。

 4月8日(日)10時から円覚寺佛殿に於きまして

降誕会の行事が行われます。人数が可能な限り、

佛殿の中で間近で拝見することができるようです。

桜開花情報

4月4日(水)


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円覚寺山内の桜は、昨日の春の嵐を乗り越えて、

二分から三分咲きといったところです。

法堂跡近くの桜です。

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日曜日あたりが満開でしょう。ちなみに日曜日は

9時から管長様による日曜説教会(於 方丈)、

10時から降誕会(お釈迦様が誕生された日を祝う儀式

於 佛殿)があります。桜を見て、お話を聴いて、儀式に

参加する、なかなか、もりだくさん1日になると思います。

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糊こぼし椿がやっと咲きました!<黄梅院山門前>

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誤って紙の上に糊(のり)をこぼしてしまったかのような

斑点があるので「糊こぼし」とよばれているそうです。

雪椿

4月3日(火)


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雪椿です。(造花ではありません。)

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本物です!

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同じ木に2色の花。

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「爆弾低気圧」なるものが近づいているそうです。

爆発的に発達する温帯低気圧をいうそうです。

超大型台風並みの勢力があるとのこと。皆さん、十分に

ご注意くださいますように。

モクレン

4月2日(月)


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居士林脇のモクレンです。今、仏日庵さんのモクレンも

きれいですね。青空に大輪の白い花がよく映えています。

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早咲きの桜です。僧堂の山門の近くに咲いています。

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黄梅院の椿。

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居士林の庭の花ニラ。

 円覚寺山内の桜は、だいぶつぼみもふくらんできて、

もう少しで開花するのではないかと思います。

楽しみですね。

念ずればまんじゅう

4月1日(日)

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管長様揮毫。坂村真民さんの詩です。

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居士林の花ニラです。せい一杯さいていますね。

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 先日、管長様が四国の坂村真民記念館に行かれた

折に「念ずれば花ひらく」まんじゅうをお土産に買って

来てくださいました。
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