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かなちゃん物語

12月30日(金)


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今日はお正月の準備に本山に行って参りました。早速、入り口でかなちゃんに

遭遇。かなちゃん、実は、人間で言えば70歳以上のおばあ様なんです。

居士林横の景福荘の軒の下で生まれたそうで今でもねぐらはそこだそうです。

弟さん、妹さんがいましたが先になくなられたそうです。妹さんは亡くなる前の

数週間姿が見えなかったのですが、突然姿をあらわし、いつもお世話になって

いた人に挨拶をしてから山へと去って行ったそうです。最近、白と薄茶の若い

ライバル猫らしきものを見かけますが、シーちゃんは押され気味のようですが

かなちゃんはまだまだ気丈のようです。何気なくのんびり生きているように

見えますがいろんな苦労をなさっているんですね。頭が下がります。

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ダルマさんの掛け軸をかけて

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「蓬莱(ほうらい)」と呼ばれるお菓子セットを作りました。お正月は

これとこぶ茶を出してお客様をお迎えします。

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こちらもお正月用掛け軸。「寿山萬丈高(寿山 萬丈 高し)」

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良い天気で空がきれいですね。明日は午後4時に総門はいったん

閉まります。そして午後11時頃から開き、元日午後4時までは

自由に出入りできます。(拝観料はありません。)

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年末・年始の行事

12月29日(木)


 今日は、黄梅院で一日、お正月の準備をしました。

松竹梅などで松飾りを作って、本堂・観音堂・山門等を

飾り付けしました。


 さて、年末・年始の円覚寺の行事ですが、

31日 14時  除夜念誦「佛殿」→「舎利殿」

     23時40分頃 国宝大鐘で除夜の鐘→弁天諷経
              
              (ただし、大鐘は一般の方はつけませんが間近で
        
               聞くことができます。数百年を経た大鐘の響きは

               歴史を感じさせてくれます!)

     同時刻に 「舎利殿のある僧堂」にて除夜の鐘(こちらは誰でもつけますが

             毎年混み合いますので108枚の整理券を事前に

             配っています。雲水さんが鐘の四方に立ちお経を
      
             読んでいる中でだいたい4人一組になってつきます。)


 1月1日 午前2時半  僧堂では新年の儀式、終わって朝課(今年始めのお経を

             読みます。普段は入れない僧堂に年末・年始は入れます

             ので、建物の外からですが雲水さんがお経を読んでいる

             姿を拝見することができます。)

        5時   祝聖「佛殿」→大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」

              (方丈の大般若が6時前くらいに始まりますので、例年
              
               一般の方はそこで待っている方が多いようです。)

   2日   6時   大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」

   3日   5時   大般若転読「舎利殿」→開基廟回向「仏日庵」

              →大般若転読「方丈」

           
   年末・年始は普段は一般公開されていない舎利殿に近くまでいく
 
  ことができ、夜はライトアップされています。方丈での大般若転読は

  誰でも建物にあがって拝見することができます。間近に見る

  お経のパラパラ読みや厄払いのため気合いの入った声を

  言いながらお経を置く姿は、独特です!

  みなさんお寺もいいですよ!

  

     





            
 



餅つき

12月27日(火)


 午後6時から、僧堂に餅つきのお手伝いに行って参りました。

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僧堂は、昔ながらのやり方でお餅を作っていきます。まずは

餅米を蒸かします。

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たくさん作りますので、蒸かし始めと終わりの時間、それと

何を作るのか(鏡 大 1とは鏡餅の大きいもの一つの意味です)

を表にして記入していきます。

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蒸かし終わった餅米は、うすに移し、まず4人一組で小さな杵で

こねていきます。

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ある程度こね終わったら、大きな杵でついていきます。

つき手と「手がえし」とが2人一組になってついていきます。

「手がえし」とはつく合間に餅に水をつけたり、均等につけるように

ひっくりかえしたりする役割です。管長様がなさっていますね。

周りに人は「よいしょ!よいしょ!」のかけ声でうち手を応援します。

雲水さん、楽しそうですね。

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つき終わった餅は、鏡餅やのし餅などに形をととのえていきます。

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 近隣の和尚様方もご家族でお見えになりとてもアットホームな

雰囲気の餅つきでした。「もういくつ寝るとお正月」ですね。

(後記)

   今、居士林だよりの書籍化に向けて管長様の提唱と

  写真の選定をしています。だいたい提唱を40話と写真を

  40枚ぐらい選ぼうと考えています。皆さんの中でこれは選んで

  欲しいと思う提唱や写真がありましたら、コメントをお寄せ下さい。

  できる限り反映できたらと思います。

  それにしても改めて思うのは、管長様の提唱は何度読んでも

  色あせることがないですね。それが真理だからでしょうか。

  

  

  

  




出会いの不思議

12月26日(月)


 昨日の日曜説教会のお話の中で管長様が触れられた「出会いの不思議」

についての全文を紹介します。この文章は中学のスクールカウンセラーを

されている方が中学生に向けて書かれたものです。


 {鎌倉に円覚寺という、鎌倉時代から続くお寺があります。そこで、

毎月一度行われている説法は、円覚寺老師の、「生まれたこと、

今こうして生きていること、こうして巡り会うことのできたご縁に感謝

しましょう」という言葉から始まります。

 
 「ふーん」と聞き流してしまうそうなきれいな言葉ですが、たとえば今、

皆さんの教室で、となりに座っているクラスメイトと、どれだけの縁が

あると思いますか?人と出会うというのは、実は一人一人が、もの凄い

確率で奇跡的に出会っているのです。


 現在、世界の人口はおよそ69億人と言われています。つまり

地球上で特定の誰かと出会えるのは、69億分の1。仮に日本だけでも

1億3千万分の1。宝くじの1等に当たる確率は、1億分の1程度らしい

から、今までの出会いは、宝くじの1等に当たるよりも遥かに貴重な

ものなのです!


 この長い人類の歴史の中でたまたま偶然同じ時代を生きていて、

たまたま同じ地球に生まれて、たまたま同じ日本で育ち、たまたま

同じ県にいて、そのうえ同じ中学校にいて、しかも隣に座っている。


 そう考えると、人が出会うというのは「たまたま」や「偶然」という言葉で

片付けてしまうには、あまりに天文学的な確率だとおもいませんか?

今、自分の隣にいる人というのは、いわば選ぶ抜かれたよりすぐりの

精鋭なのです。AKBのオーディション合格どころの騒ぎではありません。


 「出会い」の不思議がわかってもらえましたか?自分の周りの人達は

皆、気の遠くなるような確率の中、何かしらの「縁」があって出会っています。

だからこそ、別れが待っているとしても、出会えたことを感謝し、大切に

したいと思います。これからも、いったい何人の人達と、どんな出会いが

あるか楽しみですね!}


(後記)

  今の中学校は、このようにカウンセラーの方がいらっしゃて

 悩み事の相談など聞いてくださっているようですね。そういう

 話を聞いてもらえる、相談をうけてもらえる人の存在って

 子ども達はもちろん誰にとっても本当に貴重だと思います。

 





 

達磨図

12月25日(日)その2


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 午後、隠寮にお伺いするとたくさんの墨跡が置かれていました。

管長様が末寺の方の為に揮毫されたものだそうです。

畳一畳くらいの大きさの紙にこの達磨です。

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それにしてもいいお顔をなされていますね。

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こちらも畳一畳くらいの大きさの紙に「酬恩(しゅうおん)」と書かれています。
 
 恩に酬(むく)いることです。仏様、仏祖の恩に少しでも酬いることのできるように

生きましょうということでしょうか。

 大きな字は大きな力を感じさせてくれます。管長様の大力量がこちらに

ひしひしと伝わって来ます。

真珠のように

12月25日(日)


 管長様が本日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 お釈迦様は「ただ、ひたむきにそしられる人も、ただ、ひたむきに

ほめられる人もいない。」と言われています。世の中はほめられてばかりの人

もいないし、けなされ・そしられてばかりの人もありはしないのであります。

 どんな人でもいい目にあってばかりということはないし、逆に悪い目に

あってばかりということもないはずであります。


 いずれにしても、その時一時の忍であります。


 くさらず、あきらめず、投げ出さず全部一通り受け止めてみてじっくり

練ってみるといいましょうか、待ってみる。そうすると状況は必ず変わっていく

ものであります。


 真珠という宝石があります。あれは真珠貝が自分の体に埋め込まれた

核といいましょうか石つぶをとかしてとかして綺麗な真珠の玉にしていきます。

そのように自分たちも自分を苦しめる不幸や災難をそれをどうか変えていく力

これが忍の力であります。


 いろんなことがある一年
でありましたがこれらも真珠の玉のように

変えていく。つらいこともよい出会いであったとこう変えていくことが

できるように願うものであります。



   


水仙とシーちゃん

12月24日(土)その2


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今日は居士林の水仙がお見事!でした。

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土曜坐禅会も年内は今日で終わり。一年間有り難うございました。

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総門あたりにいる猫シーちゃん(しのぶちゃん)です。

3食の他に牛乳付きだそうです。みんなにかわいがられて

だいぶおデブさんになってきています。

それでいいではないか。

12月24日(土)


 管長様が土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 我々は普段ついつい迷い・悩み・苦しみがすべてなくなって

やがて悟りがあらわれると思い描いてしまいますが、そんな迷い

などが全部なくなって安心が得られるというのは絵空ごとであります。



 そういう悩み・苦しみなど全部ひっくるめて「それでいいんだ!」と

認めていくことが大切であります。悩み・苦しみはみなすべて天地自然から

たまわったものとして受け止めていく。余計なものは何一つありはしない、

いろいろなことがあるけれど「それでいいんだ!」とこう受け止めていく。


 結局、私達は「只今の自分というものをどう受け止めていくか?」であります。

地位、財産、深い悟りなど自分には何か足りないと言い出すと切りがありません。


 只今の自分はこんなに尊い心と体をいただいている!今こうして生かされて

いるということ、ここでこうして坐っているということ、こうして話を聞いている

ということ、寒さを肌で感じているということ。そしてこの心この命を

授かっているということ。


 これ以上尊いことはどこにもありはしないのであります。


 そう徹することによって初めて安心という安らかな気持ちになれるので

あります。まあ、いろんなことがあるけれどそれでいいのではないか!

であります。


もみじの毛布

12月22日(木)


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 この時期になる苔を霜や寒さから守るため、モミジの葉を掃かずに

そのままにしておきます。そして3月頃の暖かくなってきたらそれを取ります。

苔にとってはモミジの毛布といったところでしょうか。お互いがお互いを

生かしあっているんですね。<黄梅院>

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今年の色づきは、オレンジ色っぽいですね。橙色だから橙葉とでも呼びましょうか。

これはこれで風情があっていいですね。

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観音様eyeです。黄梅院の聖観音様はいつもお見守りしています。


冬夜(とうや)

12月21日(水)


 今日は午前中、今年最後の淡青会坐禅会でした。一年間無事に

終わったこと、本当に感謝しています。


 午後四時に僧堂の冬夜(とうや)に行って参りました。僧堂が

円覚寺山内の和尚さんをお招きして一年間無事に終えことを

感謝してお膳を出しておもてなしをします。お膳は全部雲水さんの

手作りで、しょうがご飯・けんちん汁・カボチャなどの天ぷら・きのこの

蒸し物・五種盛り・春菊の和え物でした。


 冬夜とは冬至の夜の前夜のことで、ちょうど日が短くなる「陰」

から日が長くなる「陽」の変わり目です。天地自然の転換点です。


 普段は規律厳しい雲水さんもこの日の晩ははお酒を飲んだり

さわいだりすることが許されます。そしてさっぱりして新しい気持ちで

次の日を迎えるわけです。


 メリハリというか、締めるときは締める、ゆるめるときはゆるめると

いう具合に僧堂生活はよくできていまね。

本になります。

12月20日(火)


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今日は白山道場・龍雲院の留守番でした。白山のイチョウがまぶしかった!

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 さて、この居士林だよりがありがたいことに本になることになりました。

今日ここ白山で記念すべき第一回目の打ち合わせをしました。

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 白山の檀家さんでデザイン関係のお仕事をされているTさんと

居士林・学生坐禅会出身で出版のお仕事をされているMさんと

編集のMさんそして私の4人でこれからどう進めていくのかを

話し合いました。管長様の提唱と四季折々の写真を中心とした

読みやすい本を考えています。管長様の教えが少しでも多くの

人々に伝わりますように工夫していきたいと思います。

こうご期待!


睡猫図

12月18日(日)


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かなちゃんです。最近は、勅使門の前の日だまりでお昼寝を

している姿をよく見かけます。

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気持ちよさそうですね。

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円覚寺紅葉図(その弐)

12月17日(土)


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年末年始休会のお知らせ

12月16日(金)


 土曜坐禅会・土日坐禅会は、年内は12月24日(25日)が最後と

なります。来年は1月14日(15日)から再開します。

宜しくお願い致します。

居士林主事 合掌

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山内、まだまだ紅葉が美しいですよ!

円覚寺黄葉図

12月15日(木)その2

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如意庵さんの前から見上げる黄葉です。お日様の光の加減で

様々な表情に移り変わっていきます。それにしても、美しい!

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南無観世音菩薩。ありがたいですね。

成道会

12月15日(木)


 今朝は、午前6時から成道会でした。成道会というのは、

お釈迦様がお悟りを開きになった日です。本来は12月8日ですが

円覚寺では臘八明けの15日に行います。

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管長様が臘八の勢いそのままに地も張り裂けんばかりの

お声でお唱えになった偈です。

「蘆芽(あしめ)膝を透り 鵲(かささぎ)肩に巣くう

氷雪堆中 志気堅し

明星を一見して 活眼を開き

山河大地 仏光鮮やかなり」

恐れながら、意訳してみました。

「お釈迦様が6年に及ぶ難行苦行の中で、ずっと動かずに坐禅しているから

組んでいる足の間から蘆の芽がニョキニョキと生えてきてカササギが

肩に巣を作ってしまったという。

 氷雪のような寒さの中でも志は決して折れることはない。

 明けの明星を見てお悟りを開いてみれば

 まわりのあるものみんなキラキラと輝いているよ。」

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佛殿の宝冠釈迦如来像の前に「出山釈迦像」を掲げて儀式を行います。

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お釈迦様がお悟りを開かれて、修行していた山から下りてきたお姿です。

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(後記)

   おかげさまで臘八大攝心、成道会と無事に終えることができました。

  有り難うございました。

ありがたいという気持ち

12月14日(水)臘八大攝心7日目


 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 「見性悟道」といいますが、いっぺんにがらっといくのではありません。

迷いながら、つまずきながら、求めながら、失いながらであります。何か

得たような気持ちになったり、また失ってしまって失望の底に落ち込んで

だり、そういうことを繰り返し繰り返ししていくうちに覚えず知らず

「ああ!仏心の中にあった!」と気づくのであります。


 僧堂の修行は別段何年いればいいというものでは決してない。

大事なことは自分の納得がいくまでやっていくことであります。


 しいて申し上げたいのは私達お坊さんの一番のつとめはお経で

あります。であるから、人から「ありがたいなあ!」と思われるような

お経を読んでいただきたい。それは、声の出し方や技巧、理論・理屈では

決してありません。


 では、読んでもらって本当にありがたいと思われるようなお経は

一体、どこから来るのでしょうか?


 やはり、それは我々・自分自身が本当にありがたいという気持ちに

なることが一番大切であります。欲を言うならば、こうして修行をさせて

もらって本当にありがたいという気持ちが起きるまでやってもらいたい。


 禪は「おもしろいところから入って、ありがたいところに抜けてこなければ

いけない。」と言われています。


 ただこうして臘八で坐らせていただいて何とも申し訳ない、もったいない、

ありがたい。こうしてお釈迦様の弟子にしていただいてもったいない。

こうして円覚寺開山・無学祖元禅師のお膝もとで修行をさせていただいたて

本当にありがたいと。


 何見ても 何を聞いても ありがたし


 こちらがありがたいという気持ちになればもう何を見ても何を聞いても

ありがたくなってくるものであります。そうするとその人の体から

ありがたいという心が発してくるでありましょう。


 「ありがたいという気持ちに自分でひたることができる」一番目指して

もらいたいところであります。


 臘八はまだまだ暁天坐もあり、明朝は成道会とがあります。油断なきように

最後までつとめていただきたいと思います。

 
 




修行をさせていただくということ

12月13日(火)臘八大攝心6日目


 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 よく悟りとは何かといいますが、特別のことではありません。

今まで自分の迷っていた様子がわかるのが本当の悟りであります。


 何と自分は小さなことで悩んでいたか。何と自分は自分のことしか

考えていなかったのか。何と自分はわがままであったことか。

何と自分のわがままなために周りの人に迷惑をかけてしまったことか。

こう、わかり気づくことが本当の悟りであります。


 禪の問題にひたすらに取り組めば、自分の心の中にある

わだかまり、欲望、いらないものを自然と解け落ちていく、

抜け落ちていく。ただし、それは力をいれてやらないといけない。

ただぼやっとしていたのでは、いつまでたっても埒があきません。


 我々がこうして修行ができるのは、修行の世界を守ってくださる

大勢の方々がいらっしゃるからであります。うちの僧堂は幸い

みなさん大勢の方のご供養のおかげで何不自由なく坐ることが

できます。


 たいへん有り難いことの反面、あまり豊かになりすぎて有り難さが

わからなくなってしまうことをむしろ恐れています。


 何気なくいただいているものの一つ一つ、みんないろんな人々の

ご供養の上に成り立っていることを忘れてはならないのであります。


 典座がいただいたものを粗末にしないことはもちろん、我々も

大勢のご供養を決して無駄にすることのないように、一つ一つの

坐禅、一呼吸一呼吸を油断しないように最後までお願い致します。

今日の命は・・・

12月12日(月)臘八大攝心5日目


 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 いかに自分に対して正直であるか?「まあ、この程度でいいや」とか

「こんなもんでいいや」と妥協をしないこと。また、本当に自分で納得が

いくかどうか?これが修行の上では大事なことであります。


 白隠禅師のお弟子の和尚さんのもとに沖縄から修行者が見えました。

(江戸時代のお話です。)

3年間の期限を決めて一生懸命禪の問題に取り組んだのですが全く理解が

できない。修行僧は和尚さんに「自分は琉球から命がけで本土に

渡って来て禪の問題に取り組んだのですがさっぱりわからない。このまま

むなしく琉球に帰るのは悔しくてならない」と涙ながらにうったえました。


 それを聞いて和尚さんは「とにかくあと7日間やれ。」と慰めました。

僧は7日間やったけれどやはりわからない。そこで和尚さんに

「どうしたらいいか?」と聞くと、和尚さんは「「よし!もう一回7日間

やれ!7日間やればきっとわかる。」と励ましました。それでもまた

埒があかない。次は21日間だ、次は5日間だとやったがそれでも

どうしても埒があかなかった。


 そこで和尚さんは「そういうことであれば、3日間に限る。ただし

3日やって後、埒があかねば琉球に帰るのではなく、その場で

死になさい。」と言いました。


 そこで琉球の僧は火がついて身命をなげうって修行をして

禪の問題を通ることができました。


 死力を尽くすと言います。

あと何日、何年あるから大丈夫と思うのではなく

今日の命は今日使い果たす!

今日死んでもいいんだという覚悟で

臨んでこそ道は開けるものであります。

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夕日に紅に照りあがる黄梅院の山です。





 



受け継がねばならぬもの

12月11日(日)臘八大攝心中日


 管長様が本日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 以前に「法光」という冊子の中で坂村真民先生の「バスの中で」という

詩を引用致しました。大意を要約しますと坂村先生があるときバスに

乗っていました。折から核戦争の危機が叫ばれていた頃でしょう。この

地球はこれからどうなるのか、明日はどうなるのか不安に思っていると

一人の少女がきれいな花を自分よりも大事そうに高々と差し上げて乗り

こんできました。


 幼い少女ですから、混んだバスの中で押し合って花を傷めてはいけないと

思って高々と差し上げていたのでしょう・その姿を見て坂村先生は、

ああ、これでよいのだと思いました。たとい明日、地球がどうなろうとこの

ような愛こそが、人の世の美しさなのだと。


 たとえ核戦争で、この地球がどうなろうとそのぎりぎりの時まで、

こうした愛を失わずにゆこうと涙ぐましいまで清められるものを

感じたと詠われています。


 その冊子を見た坂村先生の娘さんが、「いろいろな人に様々な詩が

引用されてきましたがこの詩を引用する人はほとんどなかった。

この詩を引用する人は父・坂村真民の詩を熟知する人である、

父の詩人たる感性を理解されている方だ。」と感動されました。


 そこで、来年3月に開館する坂村真民記念館に管長様の書を

ぜひ掲げたいと管長様にお手紙をお寄せになりました。管長様は

一瞬にして迷わず次の詩を思い揮毫され、高校生の時からの先生との

親交などをつづった長い手紙とともに郵送されたそうです。

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「衆生無辺誓願度」は平たく云えばみんなの幸せを願う心であります。

人間だけではなく、あらゆる生き物が命を全うするように願う心であります。

人の迷い苦しみを自分の苦しみとして受け止めてどうか救ってゆきたいと

いう心が火のように燃えているというこであります。


 この心を私達も自分の心として「人に為に自分は一体何ができるのか?」

をよく考えて、それぞれがそれぞれの立場で「何かをしよう」ではありませんか。

(後記)

   今月も先月に引き続き説教会後に、スジャータ・プロジェクト

 (お坊さんによる被災者支援組織)の手ぬぐいを販売させて

  いただきました。売り上げは、すべて被災者復興支援活動に

  当てられます。最近、避難所に暖房器具を届けたそうです。

   
   管長様がお話の中で、

  「被災地の人にとりこれからの問題は「忘却」と「孤独」になる
  
   だろうと言われています。私達は被災者のことを忘れはしない

   という気持ちでご支援ください。」と仰せになっていました。


    そのおかげもあって、今月もたくさんの方々にご厚意を

   いただきました。誠に有り難うございました。

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自分を信じて・・・

12月10日(土)臘八大攝心3日目


 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 何においても忍の一字です。どんなことでも耐え忍ぶのがこの修行です。

足が痛かろうが、何をしかられ怒られ怒鳴られようが、眠たかろうが耐えて

耐えて耐え抜いていくのであります。


 それには腰骨をグッとたて、呼吸をととのえてそして気力を下腹・丹田に

満たしめる。


 「大信根」とよくいいます。まず、最初に信じる力が大切であります。

こういう厳しい修行に対して「自分もやり通せる力があるんだ!」と

信じることです。とうてい無理と思ったらだめであります。自分も

必ずできるんだ!と信じることです。


 人間には何十兆もの細胞があって総力をあげてがんばって

この命を保ってくださっています。あらゆる命あるものは生きようする

素晴らしい力を持っています。それは仏心・仏性といっても同じ事であります。


 私達も例外なく誰もが仏様の命一つを生まれながらに持って生きています。


 「やればできるんだ!」その力を生み出して掘り出していくのがこの

私達の坐禅であります。


 眠い、足が痛い、しんどくて辛い状況の中で、そこをさらにもっともっと

深く深く掘り起こしていって、コンコンと気力が湧いてくる、そこまでやれば

できるんだと自分を信じてやっていただきたいと思います。


 

忍の一字

12月9日(金)臘八大攝心2日目


 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

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 「忍(にん)を懐いて 慈(じ)を行ず」 羅云忍辱経の言葉であります。

 
 自分自身に向かっては、どんなことがあっても忍の一字です。どんな

目に遭おうが、どんな境遇に置かれようが忍の一字だけを守る。


 外に向かってはあわれみ・いくつしみ・思いやりの心を持って

やっていく。


 お釈迦様の実子の羅睺羅尊者が、仏教をこころよく思わない人たちに

棒で打たれて血をはらはらと流されても、「自分のこの痛みは一時の

ものであるが、あのような怒りに任せて私を棒で打ちそえた彼の苦しみは

未来永劫続くであろう。気の毒なのはむしろ彼の方だ。」と逆に相手を

思い・いくつしみ・思いやっていくのであります。


 我々の修行もまさしくこの忍の一字であります。


 修行をする上で良い条件は2つあるといます。


 一つめは、不快・不遇・不如意であります。世間的には

快適・好遇・思うようになることを求めます。修行の上では、

逆に自分にとって不快で嫌な状況であればあるほど修行になる

のであります。


 二つめは、命がけ、あとがないことであります。

何もかもなげうって時には死んでもかまわないという

そのくらいの覚悟で修行に臨んでこそ本当の宝をうること

ができるのであります。


 忍ぶことこそこの上なき安らぎなり お釈迦様のお言葉であります。










 

真価を試す時

12月8日(木)臘八大攝心初日


 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 人間の本当の値打ち、真価をはかる目安は二つあるといいます。


 第一は、その人の全知全能・自分のあらゆる気力能力を一瞬かつ

一点にどれほど集中することができるのかであります。


 もう一点は、睡眠を切り詰めても精神の力によってどこまでそれを

乗り切ることができるかです。


 これはなんの道においても、どんな仕事のおいても共通すること

であります。われわれの臘八の摂心は、自分の真価を試す修行で

あります。


 この摂心を乗り切るために、大切なことは次の3つであります。

腰をたてる、あごをひきつける、下腹の力・お腹の力を二六時中

ぬかない。


 腰をたててお腹に力を入れることによって気力が湧いてきます。

下腹の丹田は、気力が湧く田んぼであります。そこからかぎりない

気力が湧いてきます。


 その気力によって自分の全身の能力を一瞬に一点に、そして

この一呼吸にどこまで集中することができるか?

 
 一週間ぐらい寝なくてもいかに自分の気力によってそれを

乗り切ることができるか?


 おのおの自分の真価を試すつもりでこの臘八に臨んで

いただきたいと思います。


大いなる命の流れ

12月7日(水)その2


 管長様が本日の淡青会坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 「葉っぱのフレディー」という物語があります。フレディーという名前の葉っぱが

いよいよ散るときに「自分は散るのがこわい、おそろしい」と言いますと別の葉っぱが

フレディーに説くのであります。「命あるものはみな移り変わっていく。私だってそうだ。

春、新芽として芽生えて、夏、若葉・青葉となり、晩秋になると紅葉する。みな移り

変わるのだ。春から夏、新芽から青葉になるとき君はこわかったか?夏から秋

青葉から紅葉になるときこわかったか?何もこわくないはずだ。これから散って

いくことも、同じ変わることにすぎないのだから、何もこわがらなくてもいいだよ。」


 散った葉っぱは地面に落ちて、大地の養分となる。また新しい木の養分として

新芽を育て青葉として生まれ変わる。


 ずっと命というものはめぐりめぐって移り変わっていく。この移り変わっていくことが

無常であります。無常ということは決して否定的でも消極的でもありません。

この大きな命の流れであります。


 ずっと流れていく命の中で私達は一時この体とこの心を拝借して、最期は

お返しいたします。大きな命の流れの中に帰って行くのであります。


 この大いなる命の流れを仏様、仏心、阿弥陀様というのであります。

無量劫(今風にいえば生命誕生以来の130億年)の命が、只今のこの

私の命であり、只今のこの私の命がまた無量劫の命に帰って行くの

であります。

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(後記)

  明朝より、僧堂では15日まで臘八大攝心です。気が引き締まります。

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猫図

12月7日(水)


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暁天坐禅会から帰って来ると本山宗局の入り口にかなちゃんが

いました。寒いせいでしょうか、毛がふさふさで姿がまんまるです。

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かわいいですね。癒されますね。

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階段下に隠れてしまいました。

徧界一覧亭(へんかいいちらんてい)

12月6日(火)その2

 今日は、山内の和尚様を中心とする五百羅漢研究会の方々と瑞泉寺さんに

徧界一覧亭を見学に行って参りました。普段は一般公開はしていないのですが

今回は特別に瑞泉寺さんのご好意で拝観させていただけました。

徧界一覧亭は、瑞泉寺が建てられた錦屏山の頂上に位置し、「徧界」とは

すべての世界のこと、それを見渡すことができることから

その名がつけられたそうです。

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瑞泉寺は夢窓国師が53歳の時に建てられました。夢窓国師は

庭園作りでも有名でこの庭もその一つです。

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大きな洞窟は天女洞、別名・水月観道場とよばれ坐禅修行の場所で

あったそうです。

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この橋を渡って崖にほられた階段を上って山頂の徧界一覧亭に

行きます。

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険しい山道を5分ほど登ると着きました。これが徧界一覧亭の

建物です。

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今日は曇り空で富士山は見えなかったのですが、目の前に広がる

山々や鎌倉市街、海は見ることができました。夢窓国師は山野自然を

愛されました。まさにそんな心を象徴するような景観です。

国師も絶景を眺めながら坐禅をされたのかと思うと感慨深く

なります。

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この場所は、五山文学の時代、禪僧達によってしばしば

詩会が開かれ文化サロン的なところとなったそうです。

 下山後、瑞泉寺さんでお抹茶をご馳走になりました。

書院の掛け軸に前管長さんが揮毫された夢窓国師の漢詩が

掛かっていました。徧界一覧亭を詠んだ漢詩です。


「天は尺地を報じて 帰休することを許す

遠を致し深さを鉤(さぐ)りて 自由を得たり

此に到って人々 眼皮綻(ほころ)ぶ

河沙の風物 我焉(いずく)んぞかくさん」


恐れながら意訳してみました。

天は私(夢窓国師のこと)にこの小さな徧界一覧亭が建つ

わずかな土地を休息する場所として与えてくださった。

ここで坐禅をして自己探求をしているうちに心の自由を得た。

この場所にくると誰でもハット目が開かれる。

目の前に果てしなく広がる光景が仏様の真理そのものだ。



海晏河清(かいあんかせい)

12月6日(火)


 朝、隠寮にお伺いすると、管長様は来年の干支・辰の色紙を

書いておられました。

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 すらすらと龍の絵を描き、「海晏河清」の文字を揮毫されている

のを目の前で見ていると、まるで職人さんが一つ一つ丁寧にかつ手際よく

作品を作るようでした。短い時間で数枚が仕上がっていました。


 「海晏河清」は、海やすらかに河きよらかにの意味です。

今年の大震災での津波の被害に遭われ方々のことを思うと

来年が平穏無事であることを切に願わざるを得ません。

イチョウの黄葉

12月5日(月)


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総門の駐車場脇にあるイチョウです。 まるで西洋画のように美しいですね。

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お日様の光の具合で本当に様々な表情になりますね。

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この黄色!

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モミジもいい色になってきましたね。

円覚寺の紅葉

12月4日(日)


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如意庵さん前です。ちょうどお日様が紅葉と竹に照り、

青空を背景にしたオレンジと黄緑のコントラストが絶品です。

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山内は朝から大勢の人、人、人です。

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円覚寺の紅葉

12月2日(金)


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今日は、朝から冷えますね。雨もしとしとと。

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居士林前のモミジも色づいてきました。

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温かいと思うと急に寒くなったりと天候不順が続いています。

どうか体調にはくれぐれもお気をつけくださいますように。
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