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白山の紅葉

11月30日(水)


今日は、午前中、白山道場・龍雲院の留守番でした。

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東京も塩害の影響を受けているものの、場所によっては綺麗に色づいて

きていますね。

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青空のブルーと紅葉のオレンジとピラミッドの屋根。

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お日様の光を一杯に受けて、燃え立つ炎のようです!

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南無観世音菩薩。ありがたいですね。
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一番恐ろしいのは人の心

11月29日(火)


 管長様が先の僧堂攝心(11/25)で提唱されたことをまとめてみました。


 一番恐ろしいのは、なんといっても人の心であります。どうやってこの心を

調(ととの)えるか、この自分の心を飼い慣らしていくのかが重要であります。


 心の恐ろしいことは猛獣のごとくであります。大勢の動物を殺したり山を

削ったり、むしろ猛獣よりも人間の心のほうが恐ろしいのかもしれません。


 どうやら、人間の心は時代とともに発達するものでないそうです。というのも

人間の脳が石器時代とあまり変わっていないという説があるようです。つまり

石器時代の脳みそのままでこの現代社会をいきているわけであります。

石器時代の心のままで、今を生きているわけだから、なるほど凶悪犯罪も

男女の問題もなくならないわけです。


 お釈迦様はこの心を調えることは猛獣を飼い慣らすようだと言われています。

そういう気持ちで慎重に自分の心を調えなさいと言われました。


 各々おとなしそうな顔をしていますが、自分の中に猛獣・狂象を飼っている

ようなものであります。荒牛を飼い慣らすようちょっとでも道をそれて他へ行こうと

したら鼻をグッとひっぱり引き留めることが大切であります。


 坐禅の要領も同じで、心が呼吸に集中することから逸れて余計なことを

考えだしたら、牛の鼻面をひくようにまた、呼吸に意識を戻します。そうすると

また逸れる、また戻す、その繰り返しであります。


 長年修行をしているとおとなしい牛(心)になるのかというとそれほど変わらない。

本質恐ろしいのはかわりませんが、ただその心をいかに手なずけていくのかの

手段が上手になってきます。よそへ行こうとしたのをグッと引き戻す力は強くなる

ことは確かであります。


 修行をやればやるほど心がいかに恐ろしいものかがわってきます。逆にいえば

その恐ろしさを自分でよく知っていれば間違いは少ないのであります。大丈夫だと

たかをくくるのが一番危ない。


 この生身、この心がある限り、いつ迷い、とりとめもないことをしてしまうかは

誰にもわかりません。ですから、命ある限り牛を飼い慣らすがごとくにこの心を

慎重に調えていかなくてはなりません。

(後記)

   マスコミなどで連日様々なおぞましい事件が報道されいます。「自分には

  関係のないこと、自分には全く理解できないこと」と思いがちですが、そういう

  私達の心の中にも犯罪を犯してしまった人と同じ「おそろしいもの」が潜んで

  いるかもしれないと、自分の心に慎重に対処していく心構えを持つことが

  大事なのかもしれません。
 



弁天諷経(べんてんふぎん)

11月28日(月)


 今日は夕方4時からの弁天諷経に行って参りました。

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弁天堂は、国宝大鐘の隣にあります。弁天様は、インドの神様を起源とした

仏教の守護神です。時宗公の子・北条貞時公が江ノ島の弁才天に参籠し

天下泰平・万民和楽を祈っている時に霊夢を感じて大鐘を鋳造されたそうです。

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円覚寺・当山鎮守として弁天堂をお建てになりました。

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毎年、本日11月28日に円覚寺山内の和尚様方が集まりお経をあげます。

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普段、お経は木魚・魚鱗でリズムをとるのですが、この時はこちらの

どらのようなものをたたいて、独特のビートの中で観音経を唱えていきます。

タララン・タララン・タン・ターラン・・・

祈祷太鼓というか高揚感をともなう不思議な感覚です。




満員御礼

11月27日(日)


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昨日、土曜坐禅会で居士林にいくと、水仙が咲き始めていました。

土坐は初心者の部も2部も「満員御礼」でした。入りきれなかった方には

たいへん失礼致しました。なるべく全員参加できるようにしていく所存です。

宜しくお願い致します。

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管長様には、摂心中にもかかわらず無門関提唱をしていただきました。

有り難うございました。

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こちらは、居士林横です。椿でしょうか。美しいですね。

(後記)

   おかげさまで、月並大攝心(11月20~26日)は無事に終了しました。

  有り難うございました。僧堂では、次にはすぐに臘八大攝心(12月8~15日)が

  ひかえています。臘八は別名「雲水殺しの摂心」と呼ばれるくらい

  1年で1番厳しい摂心です。そのほかの摂心と何が違うのかというと


  ○起床が午前3時から2時になる

  ○普通の摂心ですと独参(僧堂の指導者でもある管長様と1対1で

   禪の問題についての問答をすること)回数が4回ですが、それが

   5回になります。

  ○普通の摂心との一番の違いは、寝るときでも横になることができないことです。

   12月8日の初日に布団をしまうと15日までもう出しません。では、夜

   どう寝るのかというと「坐睡(ざすい)」です。坐禅の姿勢のままで休みます。

  

   11月の摂心が始まると臘八が終わるまでが一つの摂心と考えて、1年の内で

   最も引き締まった時期となります。

この命!

11月26日(土)摂心最終日


 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 臨済禅師が繰り返し繰り返し伝えようとしたことは、「祖仏・仏が

いったいどこにいるのか」であります。仏教の本の中にいるのではありません。

それは今ここでこの話を聞いている「それ」であります。それでは、今おのおの

この話を聞いている「それ」はなにものであるか?それは、


 (私達めいめいの)この命であります。



 この命は、無量寿・無量光であり、過去・現在・未来の諸仏もみなここに

坐っています。日本国中の八百万の神ここにましましています。極楽浄土の

阿弥陀様もいらっしゃいます。


 みなこの命・この一呼吸の様子であります。


 「赤肉団上に一無位の眞人あり」と臨済禅師は言われました。

これは、誰でも例外なくその赤い血のかよっている体の中に

すばらしいものがあるということであります。これに気が付け!と

説いて説き尽くしているのが臨済録であります。


 誰でもそのすばらしいものを持っているのに煩悩・妄想・執着

あるいは、学問や知識にくらまされてしまっています。しかし、

もう一度、この命はすばらしいものだと体得してもらいたい。


 命の尊さを百万遍唱えたとしても、それを本当に実感することは

難しいものであります。それがどういうときに尊さに気が付くのかいうと

死に瀕したときであります。病気・大けがなどでもう死ぬかもしれないと

直面したとき、その刹那に人は本当の命の尊さに気が付くのであります。


 命の尊さを本当に実感するための修行であります。


 

水仙 咲きました

11月25日(金)その2


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黄梅院では、今年一番咲きの水仙です!

う~ん、いい香り!

鹿の王

11月25日(金)摂心6日目


 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 円覚寺は瑞鹿山(ずいろくさん)と言いますが、鹿と仏教とは昔から

深いご縁があります。お釈迦様が初めて説法された場所は鹿野苑(ろくやおん)

といいます。なぜ、鹿野苑といわれてるのかといいますとこれもまた、

深い因縁があります。


 お釈迦様は、過去世において菩薩の修行をしていた時、大きな群れの

鹿の王でありました。その国の人間の王が、狩り好きの若い王にかわると、

大勢の家臣を連れて鹿を狩猟して殺してその肉を喜んで食べました。


 困った鹿の王は、人間の王に直訴しました。「どうか聞いてください。

我々は畜生の身、餌食になることは仕方ありません。今500頭で暮らして

いますが、どうかご慈悲の心を持って、あんまりいっぺんに殺さないでください。

代わりに、毎日1頭ずつ献上致しますからそれ以上手を出さないでください。

それで王様は安心して肉を食べられますし、我ら鹿も残りの命は安心して

暮らせます」と懇願しました。


 王様はそれを承諾し、鹿の王は約束通り1日1頭献上して、

王様も約束を守り猟をやめました。


 そしてある日、お腹に子どものいるお母さん鹿が献上される順が

来てしまいました。鹿の王は、王様に「しばらく待ってください。今日は

私が王の食事になります。」と申し出ました。王様は「お前は、鹿の王

なのにどうしてだ?」とたずねました。鹿の王は「お腹に子どものいる

お母さん鹿が死んでしまったら、子どもまで死んでしまいます。私が

代わりになります。」と答えました。そうするとお母さん鹿も「(鹿の)

王様が犠牲になってしまったら、群れは成り立ちません。私が・・・」

とお互いかばい合いました。それを見ていた王様はその気持ちを深く

察して鹿を食べることをやめました。


 鹿の王がお釈迦様の前世であります。その後、この場所では鹿が殺されず

たくさん増えたため、「鹿野苑」と呼ばれるようになったそうです。


 「身を殺して仁を為す」慈悲といいます。慈悲の極みでであります。

己を捨てて人の命を救おうという心であります。


 私達の坐禅の修行は、己を捨てて、己を殺す修行であります。

いとしい、かわいい、楽をしたいという自分を殺す修行であります。

自分を殺しきってなんにもなくなったところに、本当の慈悲の働きが

出てくるのであります。慈悲を実践し、身につける修行であります。


(後記)
    犠牲になる鹿がいるから、他の鹿達が安心して生きているという

   のは、私達も例外ではないのだと思います。直接的にも間接的にも

   誰かの犠牲があるからこそこうして私達は生きていられると思うと、

   この命、大切に使っていかないと犠牲になった人たちに顔向けが

   できないと痛切に感じます。



 


一日作さざれば・・・

11月24日(木)摂心5日目


 管長様が僧堂攝心(11/23)で提唱されたことをまとめてみました。


 「一日作さざれば、一日食らわず」という百丈禅師の有名な言葉があります。


百丈禅師は晩年に到るまで、一生懸命、みんなといっしょに作務(畑仕事など)を

していました。(ご高齢にもかかわらずあまりにがんばっていますので、)

周りの人が、気の毒に思って作務の道具を隠してしまいました。そうすると

禅師は食事をしなくなってしまいました。「どうして、お召し上がりにならないのですか」

ときくと、「一日作さざれば、一日食らわず」とお答えになりました。


 その言葉は、「仕事をせんヤツは、飯を食うな」と人に向けてとやかく

言う言葉では決してありません。「今日仕事をしなかったならば、申し訳ない」

「今日一日、精一杯生きないならば、せっかくこの仏様の命をいただいているのに

申し訳ない」という気持ちであります。


  今日限り 今日を限りの命ぞと 

   思いて 今日のつとめをぞする


 これが「一日作さざれば、一日食らわず」であります。

 
 古人も「今日一日と思えば、どんなに辛いことでも辛抱できるであろう」

 といっています。いつもきょうが最期である、これで終わりであると思って

 、もっと言うと、この一呼吸で自分の命が尽きてもいいと思うくらい一生懸命

 今を生きてもらいたい。自分のこのいただいた力をすべて出し切るくらい

 真剣に物事に取り組んでください。

 











月落ちて天を離れず

11月24日(木)


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昨日、ご紹介した禅語の色紙を管長様からいただきました。

「月離れて天を離れず」は

「水流元入海(水流れて元海に入り )

 月落不離天(月落ちて天を離れず)」という禅語の後半の

 言葉です。


 それぞれの川が最後は海に流れいるように、人もそれぞれの

人生を歩んでいきますが、行き着くところはみんな同じ所に帰って行く

という意味でしょうか。深い深い言葉です。


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紅葉(黄葉?)したマンサクを背景にした侘助です。<黄梅院>

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それにしても、今日は、風が強いですね。

願い

11月23日(水)摂心中日


 管長様が11月20日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました


  「何を願うか、どういうことを願って生きてきたのか」願いを持つものと

持たないものでは同じ事をしていても大きな違いが生じてしまいます。


 生きる上で一番根本に「どんな願いを持つのか?」もう一度はっきり

確かめた方がいいのであります。


 人間どういう願いを起こしているか・持っているかで顔・形・姿いろいろな

ところに現れてくるものであります。


 我々が毎日当たり前のように唱えている般若心経は、三蔵法師が

中国に仏の教えを伝えたいという願いのたまものであります。その為に

文字通り命がけで、砂漠を越え、険しい山脈を乗り越えてインドに渡り

中国に持ち帰ったのであります。


 願うことがなければ物事は決して実現しないのであります。


 世の中を平和にしたい・人々が安らかでありますように。


 様々な仏様がありますが、苦しんでいる人・悩んでいる人を救っていきたい

という願いがああいう姿・形で表されているのであります。


 観音様は、世の中の音・声、世間の人の声をよくきいてあげる

苦しみを早く観じて・見て取ってその人を救ってあげたいという

願いがああいう姿・形になったものであります。


(後記)

 本日は、初日の提唱を掲載させていただきました。

 今日は、日中、管長様とお檀家さんの家に一周忌法要に行って参りました。

 管長様は「月落不離天(月落ちて天を離れず)」と書かれた色紙を

 お仏前にお供えになりました。そして、法要後次のようなお話をされました。

 「お月様は、満月だ三日月だと姿形を変えています。

 また、見えないときもあるけれど常に私達を照らしてくれています。

 それと同じように亡くなった方の笑顔は、もう二度と見ることはできないけれど

 亡くなった方は、姿形は見えねども、必ず私達を見守ってくれています。

 残された私達がいつまでも悲しんでばかりいたら、亡くなった方も悲しむでしょう。

 ですから、悲しみは尽きませんが、できるだけ明るく元気に生きることが

 一番の供養なのではないでしょうか。」

 

 




みんないただきもの

11月22日(火)摂心3日目


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 いつのころからか、自分たちの見たり聞いたり感じたり触れたり

したものに愛着を起こして、「これはいい!」「これはおいしい!」と

それを「自分のもの」としてとりこみ、「自分のもの」と執着し、それが

強ければ強いほど、生老病死・得たものを失っていくときはますます

つらいことになるでありましょう。


 私達が「自分のもの」と思っているものは、何一つとして「自分のもの」

ではありません。みんないただいたものであります。それを一時だけ、授かり、

お預かりさせていただいて、必要なものを使わさせていただいて

いるだけであります。


 この「我」というものも大自然からのお預かりもの・いただいたものであります。

決して自分でこしらえたもの・自分のものではありません。


 「あるものは みな吹き払え 大空の

   なきこそ もとの姿なりけり」


 これが「自分のもの」だというものはどこにもありはしないのであります。

「自分の知識」にしても、他の人の知識の寄せ集めにすぎません。



 どこにも我というものが塵一つ見当たらないと体得することが禪の

修行であります。「我がない」ことに不安になったり、恐れたりすることは

ありません。逆に「我がない」ことは何ともいえない安らぎであります。

何とはなれば、もうこれ以上失うものはないからであります。


 「雲もなく 月も桂も木もかれて

   はらいはてたる うわの空かな」


 そういう世界を体得する修行であります。


(後記)

   11月20日から26日まで僧堂では月並(つきなみ)大攝心です。

 なかなか更新できずに失礼致しました。未更新中もたくさんの方に

 アクセスしていただき申し訳ない気持ちで一杯でありました。

 これからも、宜しくお願い致します。


如意団摂心

11月18日(金)


 今晩から明日の午前中、居士林で如意団単独攝心が行われます。

如意団というのは、一橋大学の坐禅会のことです。昔、一橋の学生が

円覚寺山内のお寺・如意庵に寄宿して参禅をしていたことからその名が

つけられたそうです。


 夕方に居士林に集合して、坐り方や基本的な作法を説明してから、

坐禅をして10時前には就寝します。翌朝は4時に起きてお経を読んで

坐禅。終わっておかゆを食べて朝の掃除です。9時から管長様のお話を

拝聴します。終わって、管長様と参加者との座談会のようなものがあり

解散となります。


 一時期は円覚寺でこうして攝心をすることも途絶えていたのですが、

数年前から今の形式の一泊の摂心会として復活しました。


 今回の参加者は13名です。先月、管長様がわざわざ国立の一橋大学まで

赴いて坐禅の指導や交流をされました。それの効果でしょう、例年よりやや参加者

の人数も多いです。管長様が「これからの時代は、人が坐禅に来るのを待っている

のだけではだめだ。こちらからも積極的に行かないと。」とおっしゃられていました。


 若い世代にも坐禅を広めていくことが、これから本当に重要になってくるのだと

思います。そして、若い人の中にも坐禅をしてみたいという「需要」があることは

最近、土曜坐禅会などを通してひしひしと感じます。


 「次の世代に坐禅というすばらしいものをどう伝えていくか?」とても重要な

課題です。






 




  

住職研修会

11月17日(木)


 今日と明日と円覚寺に於いて四派合同住職研修会が行われます。

四派は、建長寺派、方広寺派、向嶽寺派、円覚寺派のことです。

これらの和尚様方が集まっての勉強会です。

 

 「震災後の日本・世界を考える」をテーマに講師の方をお招きし

お話を聞いて、これから私達はどうあるべきか?を考えていきます。


 13時半から開会式でお経をあげます。そして、管長様が始まりにあたって

垂示をなさってくださいます。


 ちなみに今回の講師は、元NHKのキャスター・宮崎緑さんです。

  講題は、「いざ鎌倉から世界をみる」(仮題)です。


 また、建長寺派能満寺住職 松本隆行師がスジャータプロジェクトという

被災者支援のNPO法人の報告を行います。被災現場で活動をされている

和尚様です。


 お話を聞いた後、質疑応答・ディスカッションなどがあります。





 








カラスウリ

11月15日(火)


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少し体調を崩してしまいブログの更新が滞ってしまい、失礼致しました。

おかげさまで、だいたい快復いたしました。

季節は滞りなく秋がますます深まってきましたね。

カラス瓜も見事に秋色に!<黄梅院>

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海会塔前のサザンカもまるで造化のような美しさで咲いています。

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朝露にぬれたサザンカのつぼみ。

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元気に咲く花に元気をもらっていきましょう!

みなさん、これからますます寒くなりますから、

体調には十分気をつけてくださいますように。

木瓜(ぼけ)の花

11月10日(木)

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木瓜(ぼけ)です。実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが

「ぼけ」に転化したとの説があるそうです。原産地は中国で、平安時代に帰化。

<黄梅院>

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目が覚めるような白さ!きれいですね。

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更級升麻(さらしなしょうま)です。ふっさふさで、愛らしいですね。

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昨日、東京の白山で撮りました。「なんだよ!昼寝の邪魔を

しないでくれよ!」って顔をしています。ごめんなさいね。

(後記)

   急に冷えてきましたので、みなさまお体には十分お気をつけに

  なってくださいますように。

仏心

11月9日(水)


 前回に引き続き、朝比奈宗源老師の提唱から「仏心」についての

お言葉です。

「われわれは良いことをした時だけ仏心の光だと思うが

そうじゃない。本当は、仏心からいうと、全部良いんだ。」


「だからどんな失敗をしたって、われわれはこの(仏心という)根源から

はずれることがない。また、どんな良いことをしたってほかの人を他所へ

放り出して、自分だけそこに入るなんていうわけにはいきはしない。

<蝦踊れども斗をいでず>という言葉がある。蝦は海老です。蝦が桶の中で

いくら跳ねても、やがて落ちれば同じ桶の中へはいる。人間は、仏心の中で

生まれ仏心の中に住み仏心の中で息を引き取る。生まれる前も仏心、

生きている間も仏心、死後も仏心、絶対に仏心からは離れませんよと、

私がいうのもそこです。」


「きれいな富士山や、美しく咲いた花だけが仏心じゃない。犬の糞も蕗の薹

も仏心だ。慈善をほどこし人に拝まれるような人だけが仏心の所有者か、

そうじゃない、(悪いことばかりしている人や大きな失敗をしてしまった人も)やっぱり仏様だ。

根本は同じじゃ。この世で(どうであっても)この生をおえて還るべきところへ

還ればみんな同じだ。禪とはこういう図太い教えです。」


「人間生きている間は、とかくいわゆる煩悩といわれる意識分別が動く。

ああじゃないか、こうじゃないかなとこう思う。がしかし、ひとたび(死に臨んだら)

どうなるか、一切のはからいも迷いも捨てて、往かんならんです。否応もなく

捨てるのです。捨てるときがくる。法然上人は、人間が生きていればいろんな

煩悩がおこるが、それはお浄土へ往く妨げにはならんと言っておられます。」


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至誠(しせい)息(や)むこと無し

11月7日(月)その2


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向かって右から「至誠無息」{至誠息(や)むこと無し}と書かれています。

円覚寺212世・堯道慧訓老師が揮毫されました。<黄梅院>

 
 至誠(まごころ)には休息が無く、その働きは永遠であり、至大の

ものであるという意味です。

 
 「中庸」という儒教の聖典の言葉ですが、仏教では「至誠」を「仏心」と

呼んでいます。


 堯道老師の法を継がれた朝比奈宗源老師は「仏心」を説かれました。

○「誰にも生き通しの大生命が具わっている。」

○「お釈迦様のお悟りの当体、即ち、今あなた方がそこで聞いている

 心の根本は、仏心です。それには生き死にはない。仏心は永遠に

 生き通しである。仏心には罪や汚れというものがない。だから仏心は

 いつでも浄らかであり、静かであり、安らかである。お互いの心の大本は

 そうだというのです。」

○「人間はこの素晴らしい仏心の中に生まれ、仏心の中に育ち、住み

 仏心の中で息を引き取る。生まれる前も仏心、生きている間も仏心、

 死後も仏心。仏心とは一秒時も離れないのです。

○戦争直後の戦死者や戦災で亡くなった人たちの遺族に向けて

「人間は因縁によって、どこでどういう死に方をするかもしれない、たとえ、

シベリアや満州で凍え死んでも、南の海に沈んで死んでも、仏心から見れば

仏心の真只中である。必ず仏心にかえって智慧と慈悲の塊りの尊い仏様に

なるんだ。地獄なんか断じて行かない。」

 





熏習(くんじゅう)

11月7日(月)


 今日は、午前中、居士林で海上自衛隊の坐禅会でした。

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やわらかな秋の日差しが堂内に入り、坐るには一番いいときです。

坐らせていただける有り難さを実感します。

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「居士林の建物は、今まで多くの人が坐禅をしてきた場所だから、その思いや

祈りが壁や床や柱に自然としみこんでこのような雰囲気の空間を作り出して

いる」というようなことを、以前、管長様からお伺いいたしました。

まさにそうですね。

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今の時期、ちょうど、建物すぐ裏のがけからドングリが落ちてきて、堂内に

転がり込んできます。 坐っていると「コロン!コロン!」と。

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玄関から外を見る。

察してあげること。

11月6日(日)


 管長様が本日の土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 例えば、みなさん方が人には言えないような悩みや苦しみを

お持ちになることがあるだろうと思います。それについて、誰かが

手助けしてくれる、手を差し伸べてくれることがあったとしても

やっぱり、ギリギリの所は自分で解決するより他に無いんであります。


 そういう時、自分がどれだけ苦しんでいるか・どれだけ悩んでいるかを

わかってくれる人・察してくれる人が、もし、いたらどれだけ大きな力と

なりましょう。余計な手・余計なことをしてくれるより、自分が悩みを

抱えている状況を察してくれる人の存在がどれだけ大きいことか。


 「あなたもたいへんだなあ。」「あなたも苦労しているんだなあ。」と

言葉には出さずともわかってくれるだけでどれだけ救われることか。


 神社やお寺に行くと私達は手を合わせます。それは、神様・仏様が

全部私達のことを見てくださっているから、全部私達のことを知って

下さっているからだろうと思います。そう思うことが大きな救いの力と

なるのです。


 坐禅のねらいは大慈・大悲といいますが、それこそ自己の心の鏡を

磨いて目の前の人のわずかな苦しみや悩みを察してあげることであります。

そこにこの人を「なんとかしてあげよう」とか「どうにかしてあげよう」と自分の

考えが交じるとかえってその人を行き詰まらさせてしまいかねません。


 それより、自分の心を何でも映し出す明鏡のようにしてその人のことを

よくわかってあげることが大事であります。それが一番の慈悲なのではないかと

思います。

宝物風入 最終日

11月5日(土)

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「どどどん!」宝物風入の終了を知らせる太鼓がなりました。

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「今年も、おかげさまで、大勢の方々がきてくださったのう。」

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「3日間、無事に終わってなによりじゃ。」

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「来場された方、一人一人に感謝申し上げます。

ありがとうございました。また、来年も宜しくお願いします。」

宝物風入2日目

11月4日(金)


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「おーい!そこの君、聞いているか?

昨日、今日で風入の来場者がなんと約3000人じゃ。」

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「お越しいただいた方、誠にありがとうございます。」

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「とうとう、明日で風入も終わりじゃのう。わしも会場に向かっている

途中じゃ。それにしても、もう少し速く動いてくれんかのう。間に合わんと

いかんなあ。」

<明日は、9時から15時までです。>

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「あれ?御朱印どこでもらえるんだったけ?」

<風入期間中は特別に総門・方丈・舎利殿の3カ所でそれぞれ

別の御朱印をもらうことができます。>

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「待ってまーす!」

宝物風入初日

11月3日(木)


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「今日から、円覚寺の宝物風入が始まったのう。」

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「これこれ、寝ている場合ではないぞ。5日(土)までじゃ。」

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「熱い熱い!会場も人で盛況じゃ。」

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「猫じゃないです。かわいいトラです。」

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「伝・雪舟の水墨画もあります。」

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「明日あたり、わしも行ってみようかな。」

(後記)

  今日は、休日だけあってたくさんの方がいらっしゃいました。

 ご来場された方、誠に有り難うございました。やはり、じっくり見学

 したい方は、9時から10時半か14時以降が良いのではないかと

 思います。

 




宝物風入(ほうもつかぜいれ)

11月2日(水)


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「11月3,4,5日と大本山・円覚寺で宝物風入

(虫干しをかねた宝物の展示)が始まるそうじゃ。」[目力全開]

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「時間は、9時から15時半(5日は15時)じゃ。」[ヨーダのよう]

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「この期間中だけ、特別に国宝・舎利殿を間近にみられるぞ。」

[針に糸、なかなか通らんわい!]

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「風入拝観料は、大人500円、子ども300円じゃ。」

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「ゆっくり見たければ、9時から10時か、14時以降、

4日(金)の平日なら、なお、いいかな。」[こんな気持ちで

見てみたい。]

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「耳かいていま~す。」[お顔が素敵]

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「歯垢とってま~す。」[動物愛護週間です。相手はトラ。]


 あなただけの「お宝」を発見できます。

ぜひ、ご来場ください。お待ちしております。

見返り草

11月1日(火)その2


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<見返り草>です。先日、黄梅院の庭で撮影しました。やはり、「見返り美人」の

ように振り返ってしまうほど美しいからその名がついたようです。

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垣根のサザンカです。白とうすいピンク、綺麗ですね。

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<石蕗(つわぶき)>です。今、円覚寺境内のあちこちで見かけますね。

艶葉蕗(つやはぶき)、「艶のある葉のフキ」から転じてこの名前になった

と考えられているそうです。ちなみに津和野町の名前の由来は「石蕗の野」

からだそうです。

11月の掲示板

11月1日(火)

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管長様 揮毫。坂村真民さんの詩です。



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