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夏季学生大攝心

7月31日(日)その2


 平成23年夏季学生大攝心の日程が9月2日(金)から

9月4日(日)と決まりました。昨日から、申し込みの受け付けを

開始しました。詳しくは、円覚寺ホームページ http://www.engakuji.or.jp/

の「坐禅会」→「学生坐禅会」をご覧下さい。
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山刈り

7月31日(日)


 おかげさまで、黄梅院の山刈りは無事に終わりました。

7時半頃から作業を開始しました。管長様、檀家さんが山の斜面の

草を刈っていきました。強い湿気の中でのたいへんな作業です。

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きれい、さっぱりになりました。

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後から合流した居士林の有志の方には、苔庭などの草取りを

していただきました。

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最後は、全員で観音堂周りの草取りと木の剪定をして

ちょうど一段落したところに、雨が本降りになって

10時半ごろ終了となりました。檀家さんが持ってきた昼食を

本堂でおいしくいただいて解散となりました。

みなさん、本当にお疲れ様でした。有り難うございました。



8月の掲示板

7月30日(土)


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8月11日で大震災から5ヶ月となります。管長様がこの時期に思いを込めて

坂村真民さんのこの詩を揮毫しました。

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おかげさまで、土曜坐禅会は今日でいったん終了となり、次は9月9日から

再開されます。

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居士林では、梅を干しています。私の方は機を逸失してしまって、次に晴れが

続く日を待っています。

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明日は黄梅院の山刈りです。管長様、檀家さん、居士林の有志の方などが

お盆に向けて山の草刈りをします。山刈りが無事に終わることを

願い管長様が色紙を書かれました。

明日の土日坐禅会は休会です。

7月29日(金)


明日、明後日の土日坐禅会は、休会です。

なお、土曜坐禅会は明日は通常通り行いますが

8月中と9月3日は休会となります。

観音様と竹と扇風機

7月29日(金)


 午前中、隠寮にお邪魔しましたら管長様がたくさんの色紙を

お書きになっていました。その内の2枚を撮らせていただきました。

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観音経の言葉です。「衆生(しゅじょう)困厄(こんやく)を被(こうむ)って、

無量の苦身を逼(せ)めんに、観音妙智の力、能く世間の苦を救う」

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「あ~涼し!」事務所勤めの仲間(職柄かお顔がスマートな方)とくつろぐ居士。

その後、宗務本所(本山の事務所)に行ってきました。今年は、クーラーを

つけずに扇風機で節電に協力をしています。

これは何でしょう?

7月28日(木)


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これは、来月の黄梅院のお施餓鬼でお配りする五色旗です。

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はさみでチョキチョキと切り込みを入れてこうなります。

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棒につけて紙をふさふさとばらして完成です。

施餓鬼会の本尊は、五如来とよばれる五体の如来とされます。

本来は、五色の旗にそれぞれ五体の如来の名号を記していきます。

ですから、おそらく本尊様の役割を果たしているのでしょうか。


なが~い流しそうめん

7月27日(水)その2

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お昼頃、東京から鎌倉に帰ってくると本山で流しそうめん大会をしていました。

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「久しぶりに、わしも泳いでみようかな。」でも少し躊躇する居士。

門前の職方さんが主催して、去年から始まりました。

十メートル以上はあるかと思われる竹筒にそうめんが

流れていきます。

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「なんだ!なんだ!赤い玉も流れてくるぞ!」

そうめんだけでなく、さくらんぼやみかんなども流れていました。

職方さん、有り難うございました。

ピラミッド!?

7月27日(水)

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「ぎょえー、東京のど真ん中にピラミッドがあるぞ!」

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実は、お寺の本堂の屋根でした。

今日の午前中は、龍雲院(通称白山道場)の留守番でした。ちなみに

このお寺は、管長様が兼務をしています。月に一度、

管長様の碧巌録提唱がある坐禅会が行われています。

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玄関には、管長様がお書きになった開板がかけられています。

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本堂中に入るとまるで教会のような雰囲気の空間があらわれます。

提唱も坐禅もここで行われます。

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ご本尊様です。よくみると、居士が手前で三拝をしていますね。

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「ヒィエー、高い!うつくしい!」天井に感激する居士。

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梁の幾何学模様が芸術的です。

青大将 VS ドジョウ居士

7月26日(火)

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「いざ、対決!」緊張の瞬間です!

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あれれ、居士あっけなく、スルーされてしまいました。それにしても長い!

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午後、僧堂に行ったら、梅の木に青大将がスルスルと上り下りしていました。

それにしても、神々しいですね。

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ぺろぺろと舌を出してなかなか愛らしい顔をしています。

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梅の木から別の木へと移動して行きました。

(後記)

 蛇の苦手な方、ごめんなさい。




木に登るのは?

7月25日(月)その2


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「おや、木の上に誰かいます。植木職人さんでしょうか?」

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「まさか、もしかしてあの方では!」

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「そうです。管長様です!。」

今日は、午後に管長様が黄梅院にいらして、槙の木の剪定をしてくださいました。

暑い中、本当にお疲れ様でした。


(後記)

 夕方、歯医者さんに行って参りました。小学校の時に

行って以来何十年もご無沙汰していたのですが、最近痛みが

あったので診察していただいたら、奥歯に虫歯が見つかりました。

それと、歯ぐきも歯周病になりかけていました。歯医者さんに

教えていただいたのは、歯だけでなく歯ぐきのメンテナンスも

同じくらい大事だということです。昔の人は、塩を人差し指につけて

歯を磨いていましたが、たぶん歯ぐきもいっしょにマッサージされて

いたのでしょう。僧堂には今でも歯磨き用の塩が用意されているのを

思い出しました。

 










今日好風

7月25日(月)


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「この講座で聞いたこと覚えたこと全部忘れて、今日の爽やかな風の中

(めいめいの日常に)お帰り下さい。」

 管長様が夏期講座の閉会式で言われた言葉です。

この色紙は、講師の先生方やお手伝いくださった方に

配られました。

 

あとはおまかせ

7月24日(日) 夏期講座最終日


 管長様が夏期講座で提唱されたことをまとめてみました。

 
 すべてを観音様におまかせしていることは、一見弱いようで

実はこれほど強いことはない。観音様とはそれこそ天地一杯、

大いなる命、仏様の命、仏心そのものとも申せます。私達は

仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとります。

仏心と言っても抽象的でわかりにくいものではなく、大自然と

置き換えてもけっこうであります。大自然の中にほんの一時命を

いただいて、大自然の中で生かされて、大自然の中でまた息を

ひきとって参ります。これも事実であります。お日様の光、

空気、風、大地、お庭の草や木、周りの家族、身近な人々など

この大自然の私達はほんの一部であります。大自然の中で恵みを

いただいて生かされているということを思い直して謙虚に生きていく

ことが今非常に大切であります。

 生きるも死ぬも大自然の中、仏心の中。

死んでどこへ行くのか?わからなくてけっこうなんです。

大自然の中でこうしていただいた命を、命のある限り

最期まで精一杯明るく努めていく!

そうすれば、あとはおまかせであります。

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 (後記)

 夏期講座は、おかげさまで無事に終わりました。たくさんの方々に

お越しいただき誠に有り難うございました。




 

明るく精一杯!

7月22日(金)その2


 管長様が夏期講座で提唱されたことをまとめてみました。


 ある終末医療のお医者さんが言われた言葉があります。

「多くの人の最期を看取ってきたが終わりの美しい人、最期の

きれいな人というのは、どの道にせよ、それまで精一杯生きてきた

人である。それから何につけ人に親切に尽くしてきたである。」

 震災以来、無常ということを私達は目の当たりにして大変なことに

めぐりあい、そうしてこれからも困難なこともあるだろう。

そういう困難な中であろうと力のある限り、命ある限り、私達は

自分に与えられたこと、自分のなすべき事を精一杯明るく努めて

いかねばならない。そして周りへの思いやりの心を持って生きていく。

こういう心がお釈迦様が一輪の花にたくして示されたお心では

ないかと受け止めております。その花の心を忘れずに努めて参りたいと

思います。

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夏期講座の風景

7月22日(金) 夏期講座2日目


 夏期講座は、7時半から入場できます。

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方丈の庭園側の廊下です。

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庭園をのぞむ。

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爽やかな風と池に映える朝日。

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8時半からの管長様の講座に向けて人が集まり出しました。

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今日も、椅子席、座布団席ともに、ほぼ、うまるほど

大勢の方がいらっしゃいました。




仏心の中で

7月21日(木)


 管長様が夏期講座で提唱されたことをまとめてみました。


 にっちもさっちもいかない、どうしようもない状況であっても、

その姿がそのまま仏心の姿であります。生老病死、思うに

任せないことも多々ございます。いくら、博覧強記の人でも

年をとり、病気をしたりてものおぼえが悪くなってしまうことがあります。

また、弁舌さわやかなであっても、何かのことでものを言えなく

なってしまうこともあると思います。たとえ、そうなってしまっても、

その人に何の値打ちもないわけでは決してありません。その人が

そこに生きている限りそれは仏心の姿であります。

 先日、南相馬市の93歳のおばあさんがお墓に避難しますと

自らの命を絶たれたという記事が出ていました。

足手まといになると言い残してだそうです。こんな悲しいことは

ありません。決して足手まといなんかではないんです。

そこに生きてくださっている、生きていること自体が仏様の

はたらきであって、仏様そのものであります。どうか仏様の命を

最期まで全うすることのできる世の中でなくてはならないと

痛切に思いをしたことであります。

 我々苦しいこと、思うようにならないこと多々ありましょう。

けれど、それはことごとくみんな仏心の中のことであり、仏心の中で

仏様の命をいただいて今息をしている。このこと自体それは

これ以上尊いことはないのであります。

 そして最期は仏心の中で息をひきとり、仏心の流れの中で

一つに帰って行くのであります。


 (後記)

  本日は、台風の中ににもかかわらず、大勢の方が拝聴されました。

 誠に有り難うございました。

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煩悩・妄想も仏様の心

7月20日(水)

 
 管長様が淡青会坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 煩悩・妄想がなくなって、そうして仏様になるのでは

決してありません。煩悩・妄想は実は仏様の心と裏表、

同じであり、どうはたらくかの違いにすぎません。

 夏になると夏草が生えてたいへんですが、それを

夏草と見るか、一つの景色と見るかです。生えすぎて

人の通れないほどになりますと「煩悩」ですし、ほどよく

生えていたら一つの景色ですから、「悟り」です。

 間違って夏草を薬剤を使って全部枯らせてしまうのは

これはよくありません。煩悩が全部なくなってしまったら

仏でもありません。草を全部枯らせてしまったら、虫も人も

住めないのと同じです。煩悩・妄想も邪魔にならない程度に

せめて人様の迷惑にならない程度にほどよくあれば、それは

一つの景色なのです。

 坐禅をしても、なかなか煩悩・妄想はなくなりません。

それでいいのであります。

 ほどよく煩悩・妄想があるからいろいろな人の苦しみ

悲しみがわかるのであります。煩悩・妄想がいろいろ湧いて

仕方がないという苦労をしているからこそ、煩悩・妄想のことで

相談に乗ってあげることもできるのであります。


(後記)

   本日は、午後から本山に、明日から始まる夏期講座の

  準備のお手伝いに行って参りました。

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「椅子もいいが、わしは座布団じゃ!」

今年から、椅子席を増やしました。約250席用意しています。

とはいえ、健康な方は、なるべく座布団席にお願いします。

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管長様の無門関提唱は、8時半から始まります。詳しくは

円覚寺ホームページまで。

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絶対になくならないものとは?

7月18日(月)


 管長様が7月16日の土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 私たちが覚えたこと、学んだことはいずれ全部忘れていくんです。

地位や名声、これもなくなっていく。全部奪い尽くされて何もなく

なったとき、一体何が残りますか?

 ことごとく奪い尽くされてもどうしても奪うことのできないもの

ことごとく消し尽くされても消し尽くすことのできないものは

何であるか?これが一番大切なところであります。

 すべてはなくなる。覚えたこと、好きな人がいてもいずれ

なくなるか、いってしまう。財産を貯めてもどうなるかわかりません。

 それでも、絶対になくならないものは、 

めいめいの心であります。

 どんな状況下になっても、私達の本心、仏心、仏性、慈悲の心、

つまりは人をいくつしみ思いやる心は決してなくなることはないのであります。

 公案でもってあらゆるものを否定し尽くして、奪い尽くしていきます。

その結果、決してなくならないものはなんであるか?私達の本心は

なんであるか?これを追求していくのがこの公案であります。

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わからないままでいい。

7月17日(日)


 管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 ある僧が尋ねました。「頭の長さが三尺、首の長さが二尺、相対して

何にも言わずに立っている。これはなにものか?」と。別の僧が曰く

「(そんなもの)私はわからない!私は知らない!」と。

 これでいいんです。これを知ろうとして、これは何であるかかんであるかと

注釈して、追求し迷いに迷いを重ねてどうしようもなくなって

とうとう三尺のばけものに食われてしまう。幽霊の正体はそういうもので

あります。「私は、わからない!私は、知らない!」の一言でばけものは

終わりであります。それで、すませばそれで良いのであります。

 ひっかかったらいかん!

 理屈をつけて理解して解釈をつけようとしたらきりがありません。
 
理屈をつけてどうこう考えたりせずに、

ただ私はこのままで満ち足りている、本当に有り難いとしみじみと

感じることが大切であります。

 わからなければ何でもいかんと思いがちだが、いくら

わかろうとしても三尺のばけものは、わからないように

なっている、わかりやしないのであります。

 そうであるから、ああ、このままでいいんだと受け止めることが

できたらばけものは、自然と消えてなくなるのであります。

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「う~ん、わからない!」










龍隠の蓮

7月15日(金)


 夕方、円覚寺山内の龍隠庵に行ってきました。

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「マイナスイオン全開!」

Sさんが庭の水やりをしていました。蓮が今、ちょうど見頃で

午前中、花を開くそうです。

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「見晴らし良好!」

蓮の向こうに選仏場と佛殿の屋根が見えます。

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右手には山門が見えます。



講了

7月13日(水)その2


 先日の7月11日、制末大攝心の最終日は講了と言いまして、

簡単にいえば、雨安居(4月~7月)という集中修行期間の

いったんの区切りの日でした。提唱の最後に管長様がこの期間を

総括するような偈をお唱えになります。

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「百日安居 法筵を開き

 堂中 辱暑 只(ただ)修禪

 烏籐(うとう)一卓 残巻を収め

 清風を引き得て 脚を伸べて眠らん」


 法筵・・・説教をするところ

 辱暑・・・蒸し暑いこと

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 烏籐・・・提唱台(老師が坐って提唱をする椅子)の左後ろに

立てかけてある杖のこと。

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 一卓・・・管長様が偈を読む前にカチンと杖を八角型の板に

     打ち付けます。

 収残巻・・・これで、僧堂の講義は10月までいったん休みとなります。

       10月からまた雪安居(10月~1月)が始まります。


 恐れながら、意訳してみました。

「4月から提唱をし、雲水とともに禪堂に

 坐ってきた。この攝心はそれにしても

 蒸し暑かったわい。

 カチンと杖をたたいて 講本をとじて

 涼しい風の中で、やれやれ、脚を伸ばして眠ろうかい。」

 

命のバトン

7月13日(水)


 管長様が先日(7/11)の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 仏道の修行は、昔からどういうわけか、曠劫多生(こうごうたしょう)と

言います。実に長い間、それは5年や10年というものではなく、

生まれ変わり死に変わり修行をするのだということです。

 お釈迦様もこの道を求めて何回も生まれ変わってきたと言われて

います。山田無文老師も、やはり仏道の修行は何代にもわたって、

修行を重ねてきたとそう思わざるをえない、はかり知ることの

できないものがあると言われています。

 自分一代限りではなく、「曠劫多生」ずっと何代にもわたって

くりかえし生まれ変わり死に変わり、今度生まれてきたら仏道修行を

しようという願いの積み重ねが、(今みなさん方のように)

衣をつけ、袈裟をつけ、坐禅をしているのであります。

 「曠劫多生」今風に申し上げると、リレー競争のようなもの

であります。めいめい、いうなれば自分の命のバトンを預かって

自分の区間を走って、自分一代の間、精一杯自分なりの修行をして

自分なりに良い種を少しでもまいて、次の世代へとつなげていく。

それで良いのではないかと思われます。

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朝露と

7月12日(火)


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日天掃除をしていたら、白鹿洞前の竹に朝露がついていました。

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黄梅院玄関前、今年も山百合が咲きました。

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カマキリ君とドジョウ居士。目が似ています。


 おかげさまで、昨日で制末大攝心が終わりました。これから、

お寺は7月お盆の期間となります。



無事是貴人

7月10日(日)

 
 管長様が日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。


 「無事是貴人」(ぶじこれきにん)これは、臨済語録に

出てくる大切な言葉です。では、どういう状況を「無事」と

いうのでしょうか?それは、臨済禅師の言葉で言えば、

求める心がやんだとき。もう何も求めない心をいいます。

 私たちは、常に何かを求めながらこうして暮らしています。

幸せ、財産、知識、仕事、愛情などみなそれぞれ何かを求めている

かと思います。臨済禅師が目指すところ、究極の目的は私たちが

仏様になることであります。私たちがこうして命ある間に

立派な人格を完成させると申し上げましょうかそういうことです。

道を求めるとは、仏様になる道を求めることに他なりません。

 臨済禅師が「求めるな!」というのは、求めることをやめろと

いうわけでなく、もうあなたは(今のままで)もう求めなくても

十分足りているんだよということであります。

 それでは、(こんな私たちでも)何が十分足りているんでしょうか?

外に向かって、自分の外に仏様がいると思って求め回る

その心を断ち切りなさい。それができたなら、あなた方一人一人

そのまま仏である!

 では、仏様とはどういうものであるか?

 臨済禅師曰く、今ここで、こうして話を聞いている

それこそが仏であると。

 ここで今皆様方が暑い中、話を聞いてくださっている、

その聞いているものが仏様ですよ。と。

目で見る、耳で聞く、舌で味わう・・・、この働きは、

一秒たりともとまったことはない!これこそ仏であると

気づく。その人こそ「無事の人」と呼ぶのであります。

 命あればこそ、目で見、耳で聞くことができる。

その命こそ仏様の命である。それ以上にすばらしいものはない!


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「今日も暑いなあ~」










 

本当の遊び

 7月9日(土)


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 「一鉢千家の飯、孤身、万里に遊ぶ。」

(この言葉は、)よく墨跡で目にすることがあります。

これは、あの布袋和尚の偈です。雲水が托鉢をしている絵の

讃によく使われます。一つの持鉢をもっていれば、千軒の家から

次から次へとご飯をもらうことができる。私たちのこの体一つを

見ても、どれだけ多くのお布施をいただき、点心をいただき、

ご供養をいただき、みなさんの体がそこにあることか。

 千軒、万軒のご供養のかたまり、たまものがこの体で

あります。この体をもって「弧身、万里に遊ぶ。」

どこへでも、自由に遊んでいく。

 観音様が「遊於娑婆世界」この娑婆世界に於いて遊びたもうと

あるように、この体が多くの檀信徒の方のお布施、ご供養の

たまものであるのだから、この体をもって、観音様があらゆる

人々を導いていかれるように、どこへいっても苦しんでいる人が

いたら、常にその人の所にいってあげようという願いがこの

「万里に遊ぶ。」という言葉である。

 観音経では、苦しんでいる人々がいると観音様は必ずその声を聞いて

その人の前に姿をあらわすとあります。そういう働きを観音経では、

「遊於娑婆世界」と表現しています。


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今年の布教標語です。「今いのちあるは ありがたし」

管長様がお書きになられたものです。




天然!

7月5日(火)


 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 (円覚寺初代管長の洪川老師曰く)「わが宗門においては、

他仏を仰がず。」自分の他に仏を仰ぐことはない、各々、

尊い個有の仏を持っている。そこに何の疑いを差し挟むことはない。

 立とうと思えばすっと立ち、坐ろうと思えばすっと坐る。

これ以上に尊いものはない!

 お釈迦様ともダルマ様とも寸分違わぬものがあり、

天然として尊いものがそこに満ちあふれている。

 寒山・拾得と言っても、遠い古い時代の我々とは別の人と

思いがちだが、そんなことはない。私たちも寒山・拾得と同じ

その天然の心を持って生まれてきている。その天然の心こそ

仏であり、祖師であり私たちの最も大切なより所となるものである。


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今日から11日まで7月の攝心(制末大攝心)です。

 本来は、20日から26日までなのですが去年の猛暑など

を考慮して少し早めに始まりました。

 管長様は、午前中は僧堂で提唱、午後は本山で企業の

坐禅研修会の方々にお話をされています。

 本当にお疲れ様です。


 



7月の掲示板

7月3日(日)その2


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管長様揮毫。坂村真民さんの詩です。


謙虚に慎ましく。

7月3日(日)

 
 管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

 
 原子力の問題もそう、わからないことをさもわかった気持ちになることは、

いかにおろかなことか。いかにおろかなことになってしまう

ことか。わからない中に謙虚に暮らしていく知恵が必要だ。

 北の国からというドラマがあり「遺言」という回でお父さんが

子どもに語っている。「ここには、何もないが自然だけは多くある。

自然はお前えらを死なない程度には毎年食わせてくれる。自然から

頂戴できる。だから、謙虚に慎ましく生きよ。これが父さんの

お前たちへの最後の遺言だ。」

 
 大自然の中で我々は何を知っているのか?本当に知っているもの

など何もない。(原子力もそう。知っているつもり、理解しているつもりが、

ああいう大惨事になってしまった。)いかにわからないものであるか

ということが、(物事を追究すればするほど)やればやるほど痛感される。

 なるほど、やればやるほど大自然の中でいただくものをいただいて、

生きていくんだというものの見方の大切なことがなおのことわかる。

説明のしようがない、わからない中で、わからないままに生かされている

ことの尊さにもう一度目覚めるべき時ではないか?


(後記) 管長様は、午前中だけでも居士林提唱を行い

    本山での法要、黄梅院での法要に出席されていました。
    
    本当に、お疲れ様です。





 

 

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