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碧巌録51則その3

 1月31日(月)


 昨日、老師が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

 
 明治時代「ライオン宰相」と呼ばれた浜口雄幸首相が、東京駅で

凶弾に倒れたとき、担架ではこばれていく時に次の禅語を口ずさんだ

そうです。

 「南北東西帰去来(なんぼくとうざい、かえりなんいざ)

   夜深けて同じく看る千厳の雪 」

 いろんな生き方もあれば、死に方もいろいろ。

 どこでどういう死に方をしても「平等」なのだ。

 雪景色をみて死んでいくのも、ピストルで撃たれて死んでいくのも

 みんな帰るところは一つなんだ。

 人間の生き死には一枚。

 どこでどう転んでも同じところに帰って行く。

  
  「どこから生まれきて、死んでどこの行くのか?」

 ある老師は、おっしゃったそうです。

 「人の死に方は様々である。別にこだわる必要なんてないでしょう。」

みな誰しも何にも知らずにこの世に命を受け、また何にも知らずに

あの世に旅立つ。それでいいのだと思います。」と。


 わかりようのないところに落ち着く。

わかったつもりになるとかえって、限定してしまう。

何にもわからないところに落ち着く。

 何にも知らずにこの世に生まれ、何にも知らずに

あの世に帰って行く。それでいい。それでいいんだ。


(後記)

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 以前にも紹介しましたが、黄梅院の山を紅に染める夕焼けです。

16時50分に撮影しました。5分もしないうちに陰ってしまいます。

紅いカーテンが段々さがってきた感じです。山全体が真っ赤に染まるまで

あと少しでしょう。楽しみです。





 
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1月攝心提唱6日目

 1月25日(火)


 老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 今日は、幕末から明治の禪僧雪潭禅師のお話です。

後に「雷雪潭」と呼ばれるほど、厳しかった老師の

僧堂に出世される以前のエピソードです。

 和歌山県太田川は、昔河口にに船を入れるのが困難だったため、

水難事故が頻繁におこったそうです。そこで、川を見渡せる

山上に海難よけのため、雪潭禅師は法華経の経文を一字一字石に書き

埋めたそうです。

 水難事故で大切なお父さんを亡くした人や自分の大事な

跡取り息子を亡くすなどして、悲嘆に暮れている村の人々。

その悲しみを禅師は心から受け止めて、たとえ祈っても仕方がないと言われようが、

祈らずにはいられなかったのでしょう。

 
 どうか村の人々が安らかでありますように。

 どうか、もう、悲しい事故が二度と起こりませんように。


 目に見えないところで、人の悲しみを自分の悲しみとして

一字一字お経を石に書き山に埋められた禅師のお心。

 私達は、世間の人が苦しんでいるその悲しみをどこまで

本当に受け止めることができるのでしょうか?

 
 (後記)「お風呂の神様」跋陀婆羅菩薩(ばったばらぼさつ)と

    お呼びします。

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水によって悟りを開いたために、禪林では浴室にその像が

設けられています

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修行僧は、開浴前にこの御前で2回拝をし、開浴後一回拝をします。

全部で3拝をします。





 

 



1月攝心提唱

1月24日(月)

 老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

洪川老師曰く

「佛法とは別に難しいものではない。

立とうと思えば、すっと立ち、坐ろうと思えば、すっと坐る。

この他になにも込み入った分別は入らない。

なんと真実の佛法とは、こういう洒々落々としたものか!

なんとも佛法らしいものが気配すらない!

これこそ真の生粋の佛法である。」


 各々お釈迦様ともダルマ様とも寸分違うことのない

尊いものを持って生まれている。

 結局、「他物を仰がず。」

この己の他に祖師も仏もありはしない。

各々見たり聞いたりしているそこに

大光明を放っていくのが禪の宗旨である。


(後記)

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ご主人様を待っているいるのでしょうか?総門前にいました。

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日だまりの中で幸せそうです。大光明を放っています。


無門関36則

1月19日(水)


 老師が淡青会坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

 
 自分のお寺に帰る雲水に老師が必ずおっしゃることがある。

 一つめは、あいさつをすること。和尚さんをはじめ寺の中の人は

もちろん、お墓参りに来た人にも声をかけること。

 二つめは、毎朝みなさんがくる前に掃除をすること。

 三つめは、朝、本堂でお経を読むこと。

 だそうです。

  坂村真民さんの詩に

 「こちらから、頭を下げる。こちらから、あいさつをする。

 こちらから、手を合わせる。こちらから、わびる。

 こちらから、声をかける。

 すべて、こちらからすれば、争いもなく和やかにいく。

 仏様もこちらから近づいていこう

 どんなにか喜ばれることだろう。」とあります。


  相手に対して通じていくもの、訴えかけていくものは

こちらの「至誠」つまり真心である。

  本当に真心をもって相対していく、真心をもってあいさつをする、

真心をもって声をかけていけば、どんな状況であっても

おだやかに、なごやかに片付いていく。

(後記)これが、昨日紹介した「トイレの神様」除穢忿怒尊のお姿です。

    僧堂の東司(便所)入り口左上に安置されています。

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 次回は「お風呂の神様」を紹介します。




 




トイレの神様

1月18日(火)


禅宗のお寺のトイレ(東司とうすと言いますが)にも神様がいます。

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「うすさまみょうおう」というお名前です。東司にお祀りする明王です。

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火頭金剛,除穢忿怒尊(じょえふんぬそん)とも呼ばれ、

不淨を転じ清浄にさせる徳をもつといわれています。

その形相は忿怒の相をして、頭髪が火焰の相を現すことから

この名があるそうです。

 マイナスをプラスに転じていくには、それぐらいの気合いで

物事に打ち込むことが必要な気がします。





碧巌録51則その2

1月16日(日)

 老師が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

 「猫の妙術」というお話があります。

大きな鼠が出た家の主が飼い猫や近所から強そうな猫を集めて

退治しようとする。しかし、その鼠は猫がくればとびかかり、くいつき

あまりに凄まじいものだから、猫どもはすべて尻込みしてしまい

主人は困ってしまった。六、七町先に並々ならぬ猫がいると聞いたので

早速借りてきて見れば、あまり利口そうではない。が、かの部屋にいれると

例の鼠は身をすくめてしまい動かない。古猫は何事もなげに、のろのろと

鼠のそばへ歩み寄ると難なく鼠をくわえて戻ってきたそうな。

その古猫に他の猫がいろいろと極意を尋ねていくが、自分よりも

さらに上の猫の話をする。その猫は終日眠っていて気勢もなく

木で作ったような猫であった。人々もその猫が鼠をとるのを見たことが

なかったが、その猫の行くところ近辺に鼠の姿をみることがなかったそうな。

古猫はその猫にその理由を4度尋ねたが4度とも答えなかった。

「真に知るものは言わない。言うものは知らず。」


  我があるから、敵がある。我がなければ、敵もあるまい。

 対するものがなければ争うこともない。ものと我とともに

 忘れて静かに心安らかになれば自ずと一つになる。

  古猫が縁側でぽけっとあくびして、それでいてちゃんと

 平和にものごとが治まっていく。

  あの人がいるだけで、なんとなしにその場があたたかくなる。

 あの人がいるだけで、なんだかその場の雰囲気が穏やかになる。


  それは我があるか、我がないか次第だ。

    冬日向 古猫一つ 大あくび 






 

雪見障子と御欠(おかき)

 1月13日(木)

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昨日は山内の龍隠庵に行ってきました。居士林のすぐ上にあります。

瓦屋根は居士林です。梅がきれいですね。

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庭先に何か干していますね。実はこれお正月の鏡餅を砕いたものなんです。

これを油で揚げて揚げおかきを作ります。おかきは御欠と漢字で書きます。

餅を小さく切る(欠く)からなんですね。

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これが「雪見障子」と言うそうです。目線の高さにガラスをはめ内側に

上下にスライドするすりあげ障子つけた障子のことです。

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採光や眺望が元来の目的だそうです。洒落た名前をつけますね。






成人式法話

1月12日(水)


 先日の円覚寺での成人式で管長さまがお話しされたことを掲載します。


成人おめでとうございます。
まずは心からお慶び申し上げます。
しかしながら、今朝の新聞の社説には
こんな記事がありました。

新成人を心から祝福したいが
何がめでたいのかという反発もあるかもしれない。
確かに社会保障制度の先行き不透明さと
このままでは将来のしかかってくる過重な負担。
今超氷河期といわれる就職難、雇用不安、格差の拡大を
どう乗り切ればいいのか…

上記のような記事でした。
成人を迎えてうれしいとともにこれからの将来に
不安も抱えていらっしゃると思います。

円覚寺の成人式にきていただいて
毎年管長が色紙に言葉を書いて送ることが慣例になっています。

皆さんにどんな言葉を贈ろうか、考えまして
「至誠」と書きました。

中国の古典に「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」とございます。
至誠とはこの上ないまごころです。
まごころを持って誠心誠意ものごとに当たれば、どんな人でも動かすことができる。
人が動けば、どんな世の中でも変えてゆくことができます。

また「至誠無息(しせい やむことなし)」という言葉もございます。
まごころを持ってどこまでも貫いてゆけば必ず目に見える成果が顕れます。
ただ途中であきらめてはそれまでになってしまいます。
どこまでもまごころを持ってとことんやり抜くことです。

そう願って「至誠」の二文字をしたためました。
これからいろんな困難にも立ち向かうでしょうが
この言葉をどうかこころに留めておいてください。

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1月日曜説教

 1月9日(日)

 老師が日曜説教で提唱されたことをまとめてみました。

 
 ダライラマ法王が来日されたとき、ある人が質問をしました。

「人は何のために生きるのですか?生きる意味はなんですか?」

 法王はお答えになりました。

「それは、幸せになるためです。幸せの人生を送ることが

 生きる目的です。」と。


  みんなが幸せになりますように、そう願う心それこそ仏様の心だ。

 私達も自分はもとより家族、身内、近所、普段接する人が幸せでありますように

 、そう願うことによって仏様の心と一つになる。相手の幸せを祈り願う心が

 仏教の究極である慈悲の心だ。

  それには、普段から貪り、怒りが増長しないように気をつけて

 すべてのものははかなく、永遠に自分のものなどなに一つないという

「空」の教えを学ぶ。そして、はかない、空であるからこそ、もっとお互い

いたわり思いやりあって、お互い生きていることがすばらしく、かけがえのないもの

であると実感し、安らかな安寧な世の中にしていきたいと願う。


(後記)今日も大勢の人々が日曜説教を拝聴にいらっしゃっていました。

さて、明日は午前6時より佛殿で臨済忌がございます。

1月10日はわが臨済宗の祖臨済義玄禅師がご遷化された日です。

一般の方もご覧になれます。

 

  


無門関29則

 1月8日(土)


老師が土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 「一行三昧」・・・我も忘れて今自分がやっていることになりきっていくこと。

 時は今 ところ足下 そのことに 

     うちこむ命 とわの御命 という歌があります。

 本当の自分はよそにあって、現実の自分、今やっていることは違うと

 思いながら、いやいややるのではなく、

 自分が置かれている「その時」「その場」を一行三昧でする!

 自分が今やっていることに自分の全力を没頭する。それこそ、永遠の命であり

 仏心である。

  坐禅をしたら、姿勢を正して自分の呼吸と一つになっていく。

 そして呼吸していることも忘れて、ただ呼吸一枚になる。

 ただ坐っていく。ただというところが本当の一行三昧。

 そして、生きるということをただ生きていく。

 その時その場自分の精一杯の限りを尽くして

 ただひたすらに生きていく。

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(後記)居士林の庭です。水仙の花の香りが辺りにただよっています。

明日は、第二日曜なので9時より大方丈で管長様による日曜説教会が

あります。一般の方も拝聴できます。


 

   
  



梅の花

 1月7日(金)

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 居士林と佛殿の間にある梅です。はや多くの花を咲かせていました。

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 明日は今年初めの土曜・土日坐禅会となります。
 



冬晴れとネコ

1月6日(木)

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 土曜日の午前中に法要があるので、それの準備に門前に行ってきました。

空が本当にきれいでしたので、パチリ。

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途中、本山によると、本山の「主」かなちゃんがお食事中でした。いつもは、

なかなか近寄れないのですが今日は大丈夫そうです。

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職員のAさんが「かなちゃん!こっち!こっち!」とカメラの方に向かせてくれました。










水剣大明神

1月5日(水)

水剣大明神(すいけんだいみんじん)とは水の神様のことです。

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水剣さまにも鏡餅をお供えしたのですが、その日の夕方にはみかんがなくなり、

今日見てみたら、すっかりなくなっていました。(野生動物でしょう。)

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黄梅院には本堂裏に井戸があり、その右斜め上にご覧のように水剣さまが

まつられています。僧堂では、毎月28日水剣祭といって水剣さまにお経をあげる

儀式が行われています。こうして、私たちがお水をいただけることに感謝する

儀式なのでしょうか。蛇口をひねれば、当たり前のように水が出てくる生活を

していると忘れてしまいがちになりそうですが、水剣さまをおまつりすることに

よって、改めてありがたいと感謝する。貴重な習慣です。

 



キノコのお地蔵さん

 1月4日(火)

以前に紹介したキノコのお地蔵さんの現況を報告します。

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 なんだか、キノコがさらに大きくなっています。そこに、参拝の方がお賽銭をのせていきます。

その他にも、頭の上、手の上、足下・・・。


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千手観音様もこの通り。

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おもしろい習慣ですね。




1月の掲示板

 1月2日(日)

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老師に揮毫していただいています。(詩は坂村真民さんです。)


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 この写真は、黄梅院の山に夕焼けが反射してこう見えるそうです。昨日の夕方4時頃でした。

2月頃になると、本堂の屋根まで真っ赤に染まる現象が年に数日、それもほんの数分だけ

起こるそうです。まさに、自然の神秘ですね。







大晦日から元旦の風景

1月1日(土)

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国宝大鐘を管長さんがつき、除夜の鐘が始まります。

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 そして、弁天堂でお経を読みます。大勢の方がいらっしゃっています。

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 元日、午前五時佛殿で儀式が始まり、続いて舎利殿に移動。ここにも、かなり冷え込む中、

多くの人がご覧になっています。

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舎利殿すぐ後ろの開山堂での大般若会の様子です。

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 大方丈での大般若会です。大般若経を転読して除災招福や護国を祈ります。

(後記) 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

ブログを開設してはや一年となりました。昨年は大勢の方にアクセスしていただいて、

誠にありがとうございました。これからも、精進してまいりますので

宜しくお願い致します。(今回の写真は、Sさんにお願いしました。)









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