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紅葉

 11月29日(月)


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 今一番きれいな時季ですね。

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11月攝心最終日

11月26日(金)


老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 明治時代の外務大臣陸奥宗光公のお話です。

宗光公の最愛の娘さんが不治の病にかかり死の床で

「お父さん、私は死んでどこにいくの?」と問いかけたそうです。

それに対して、宗光公は、「これから死んでどこに行くのかと不安で寂しいのは

もっともな話だ。お父さんにもどうなるかそれはわからない。

けれども、あなたのお母さんは毎日毎日観音様を拝んでいる。

あなたの死ぬのも生きるのも全部観音様にお任せしている。

それより他に私たちにはしようがない。

全部観音様がいいように取りはからってくれるから安心しなさい。」

とおっしゃたそうです。

その娘さんは、観音様の名号をとなえて静かな最期を迎えたそうです。


 坐禅の修行も観音様を信じることも無我になることにおいては同じだ。

観音様を信じる、観音様にお任せするということは、自分の都合や我が儘を

全部投げ出している。みんな観音様が良いようにしてくれると思うことで

コロッと無我になることができる。そして、どんな境遇をも耐えうることの

できる「忍」の力を自ずと備えることができる。

 人生は不可思議

不可思議だからこそ全部観音様のお任せすることで安心を得ることができる。 

 



 

僧堂攝心6日目

 11月25日(木)その2


老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 私たちの迷い悩みのおおもとは、心の向けようにある。

一心の向けようによって、仏ともなり鬼ともなる。

 普段私たちは心を内から外に向けてしまいがち。

心の外に向かって好きな音楽、おいしいものなど自分に心地のいいものを

求めてしまう。でも、実はその外に求める心が迷いの根本なのだ。

 迷い苦しみから解放されたいなら、その流れをかえよう!

流れをかえて心を外から内にむけよう。

 この聞いているものはなにものか?

 この見ているものはなにものか?

 この意識はどこにあるのか?

絶えず自分に問いかけてみよう。

 
 最新の脳科学の研究でも、いくら脳の中を解明しても意識の主体は

見当たらないとのことだ。意識記憶はこの虚空に充満していて、

私たちは個々の脳神経を通してその一部を受けているということも

言われている。

 臨済禅師も遙か昔に同じ事をおっしゃています。

その聞いているものはどこにあるのか?を追究していくと

姿形はないけれど、この世界一杯に充満しているものと。

 
 いくらさがしても、「この聞いているもの」は見当たらないと気づくと

そこは、只一枚の仏心の世界。天地一杯の自分。


(後記)先週から1週間ばかり風邪をひいて休んでおりましたが、おかげさまで快復しました。

 ブログも更新できず、坐禅会も代わっていただくなど、いろいろとご迷惑をおかけしたこと

 お詫び申し上げます。

 みなさんも体には十分に気をつけてくださいますように。

    




 
 
 

僧堂攝心4日目

11月25日(木)


老師が一昨日僧堂で提唱されたことをまとめてみました。




妄想無き時は一心是れ佛國土
妄想ある時は一心是れ地獄。

なにごとも妄想を離れることが大事。
何にもひかからぬ事だ。

妄想といっても馬鹿にならぬ
下手をすると身心をむしばむ。病気にもなりかねぬ。

昔黙雷老師の公案にある。

ある武士が幽霊屋敷に泊まった。
夜になって女中さんが飛んできて
鍋が歩き出したという。

昔の鍋はかなえの足がついていた。
武士はあわてず、なに鍋にも足がある
歩いても不思議ではないという。

しばらくすると
また女中がきて
こんどは鉄瓶がしゃべり出したという
武士はあわてず
なに鉄瓶にも口がある
しゃべっても不思議はないという。

こんどはまた女中が走ってきて
おくどさんに松茸が生えてきたという

こんどは武士は、ぐっと答えに詰まった
そこで幽霊に喰い殺されてしまったという。

松茸が出てきてそのときになんと答えたらよいかという
黙雷さんの公案だ

ひかかったらおしまいだ。


大文字草

 11月12日(金)


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大文字草といいます。言われてみると上3弁が小さく下2弁は長く

「大」の字に見えます。


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黄梅院 海会塔向かって右の岩肌にひっそりと清楚な小花を咲かせています。

提唱 碧巌録49則

 11月7日(日)


老師が提唱されたことをまとめてみました。


 坐禅の修行は (良い意味で)バカになる修行だ。

時には とぼける所が出てくると奥が深い。

「強に逢うては即ち弱」

強くでてきた相手に対して まともに相手をすればお互い傷つけかねない。

そこで とぼけたふりをしてサラリとその場を切り抜けることも時には大切。

それが 本当の掛け合い。勝負をしないという手もある。

どっちが勝ったどっちが負けたというものを超えたところ。


 にんげん あんまり賢すぎても長持ちしない。

理論理屈をたたかわすのではなく 暖簾に腕押しじゃないが

ぼやーっととぼけているようなところに味わいがある。




 
 


宝物風入(ほうもつかぜいれ)

 11月2日(火)


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「明日から5日(金)まで宝物風入をやるのじゃ。虫干しをかねた円覚寺の宝物の展示じゃ。」


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「時間は 9時から3時半までだニャン。」


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宝物がこんな身近で見られるなんて驚き!



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開山 無学祖元禅師の衣です。修復されて光輝いています。


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「待っているぞよ。」










 

11月 掲示板

 11月1日(月)


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 黄梅院の掲示板です。

 毎月老師に揮毫をしていただいています。

 言葉は、坂村真民さんの詩からです。

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