スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

彼岸花

  9月24日(金)


blog-016.jpg


 今朝、やっと黄梅院にも彼岸花が咲きました。





    


スポンサーサイト

カエル

 9月20日(月)


blog-015.jpg


 朝、独参から帰るとき、白鹿洞横の坂をすごい勢いでのっしのっしと

上っていました。シャッターチャンスは逃しましたが、その面構えは

撮影させていただきました。





提唱 碧巌録48則

 9月19日(日)


老師が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 ありがとう! すみません。という言葉が素直に出てくるのが

修行の一番大切なところ。


 長年修行をするとどこか自分が偉くなったと思いがち。

そうすると素直にすいませんということがなかなか言えなくなってしまう。


 それは、自分は修行して偉い、他人はそうではないという差別の心。

でも、仏心は平等!

本当に修行した人は、誰であろうがみんな平等に看る。


 まちがい、あやまちは誰にでもあるのだから、

そういう時に素直に受け止めること。

 どこでどういう姿をしていようが、どう転んでもそれが仏心の中に

あるとわかると素直に受け止め、認めていくことができる。


 粗相をしてしまっても、大きな目で見ればそれも一つの景色

しまったとうろたえるのも一つの景色

そう思っておれば、うろたえたって平気になる。

休会のお知らせ

  お知らせ


 10月2日(土)は、本山開山忌のため土曜坐禅会、土日坐禅会ともに休会となります。

 
   宜しくお願い致します。


  

トンボ

 9月13日(月)


blog-011.jpg


 やっと、秋ですね。

玄関先に咲いた花

 9月12日(日)その2


blog-020.jpg


 明け方つぼみだった花がふと気づくと大きく花びらをひろげていました。

日曜説教会

 9月12日(日) 

 老師が日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。

  
 生まれたことの不思議

 今こうして生きていられることの不思議

 今日もこうして巡り会うことのできたご縁に感謝いたします。


  日曜説教は、老師の提唱で、会場の方すべての人の合掌で始まり合掌で終わります。

両手をきちんと合わせて心の中で冒頭の言葉を唱えます。


 仏教の教えの一番大切なところは、

ここに、こうして生きていられることがいかに有り難いことだと

心の底から受け止めることができるかだ。


 「もったいない」という言葉。

それは、本来ある姿がなくなっていくことを惜しみ嘆く心のこと。

こんな時代、私たちはものを粗末にしがち。

 でも「ものにも命がある!」

 ある主婦の方は、穴の開いて使えなくなった靴下を捨てるとき、

ただ捨てるのではなく、きちんと縫い直して洗濯してから捨てたそうな。

捨てるにしても、それまでお世話になった靴下への感謝の気持ちを込めて捨てる。


 坂村真民さんの詩に

「散っていくから、美しい

こわれるから、いとしい

別れるから、深まる

一切は無常 

それゆえにこそすべてが活きてくるのだ。」

 私たちの命と同様、こわれやすいもろいものだからこそ大切にしなければならない!






 

提唱 無門関23則

 9月11日(土)


 老師が土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


  私の心は、もともと本来清らかであった!

 このことに本当に気がついて納得がいった。

 頭も剃っていない坊さんでもない青年が、この一つのこと、事実に気づいたことで

だるま様から第6代の法(おしえ)を継承した。

 お経が読めるとか礼儀作法がしっかりしていることも大事だが

自分の心の本来はどういうものか?

それは、本来清らかであるという本質に気づく方がはるかに大切だ。


 金剛經は、繰り返し「無我」を説く。

これが自分のもの、これが自分の身体というものはどこにもありはしない。

一度徹底的に坐禅をして、さがしさがしさがし抜いたときに

これが自分だなんてものはどこにもないと気づくことが重要。


 この島が無人島とわかるには、隅から隅まで徹底してさがすしかない。

とことんまでさがし抜くしかない。

誰かいると思うと不安でビクビクしていなければならないが

この島には何にも誰もいないと気づいたとき

 
無人島が我が家になる!そこのあるものは全部自分のもの!


 心もそう。

自分らしいものがごそごそしているように思えるが

それがいったいどこにあるのか徹底的にさがしてみると

自分らしいものなんてどこにもないんだと気づく。

「己なきとき、己ならざるはなし。」


 大千世界 我が家!

 この世界全部 我が家なんだ!


(後記)土曜坐禅会が1ヶ月ぶりに再開しました。

    一部39名二部54名と大勢の方が参加されました。
 
     なお、明日は日曜説教を掲載する予定です。

 

提唱 白隠禅師坐禅和讃その2

 9月6日(月)


老師が学生坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 ある禅師が言いました。

「人間は、ご飯を食べて出しておれば、それでいいんです。」


 坐禅の修行は、そんなに難しくはない。

坐禅をしているときは、ただ呼吸をしているだけ。

そして、ご飯を食べて出しているだけなんです。


 でも、そのことがどれだけすばらしいことか。
 
    どれだけ尊いことか。私たちは気づかずにいる。


 坐禅をして偉くなってやろうとか、立派になってやろうとか

いろいろと欲を出してしまいがちだけれど、

 最後は、呼吸をしていればどうにかなるわ。

     ご飯を食べて出しておれば十分だと気づくと

     多少のことでは、へこたれなくなる。

 
 時には坐禅をして、一呼吸をすることがどれほど有り難いことか。

 ご飯を食べて夜寝ることがそれだけでどれだけ有り難いことか。

 そういった本来のところに一度立ち返って、

 そこから、穏やかな顔、暖かい笑顔、思いやりに満ちた言葉が

 ふつふつとわき出てきて、こういうことが自分ばかりではなく、

 身近な人たちもいっしょに幸せにしていく。


 こういうことが、私たちの目指す坐禅の修行だ。


 (後記)本日で学生坐禅会は、無事終了となりました。

    

 

提唱 白隠禅師坐禅和讃

 9月5日(日)


老師が学生坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。


 迷い多き私たちは、もともと仏である。もともと救われている

そう悟ったのが、お釈迦様。


 でも、現実の私たちは、妄想執着のためそのことに気づけないでいる。

今やっていること以外のことをあれこれ考えるのが妄想。

今やっていることに一つ一つ集中意識すべきだ。


 坐禅をしているときは、この呼吸に集中する。

呼吸をしているこのはたらきは、いったいなんであるか?

そのエネルギーはどこからくるのか?

よく観察してみよう!


 すると、呼吸は意識するしないに関わらず、自然と自ずとしていることがわかる。

スッと吹いてくる秋風と自分の呼吸が本来一つと気づく。

大自然の風と自分のこの呼吸は一つなんだ!


 大自然を離れて、自分があると思いこむのがまちがい。


 食事をいただくときは、大自然の恵みをいただき

大自然と自分が一つになると感じたい。

 寝るときは、大地と自分と一枚になると感じたい。



 










提唱 無門関23則

 9月1日(水)

 老師が淡青会坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

仏様の称号の一つに「調御丈夫(じょうごじょうぶ)」がある。

それは、上手に調えることができる人ということ。


 坐禅は、調身(ちょうしん)・・・まず、この身体を調え

     調息(ちょうそく)・・・そして、呼吸を整え

     調心(ちょうしん)・・・心を調える。


この生身の身体がある限り、煩悩・欲望がすべてなくなることはない。

また、煩悩・欲望は生き残る爲に必要なものでもある。


 坐禅をすることは、それらをなくすというよりもよく調えること。

誰もが持っている煩悩・欲望を調える術を訓練していくのが坐禅。


 また、禅は一超直入(いっちょうじきにゅう)・・・いっぺんに仏様の悟りに到る。

悟りとは、我無しと気づくこと。

我と思いこんでいるものはどこにもない、自分だ自分だと思ってしがみつくものは

どこにもないと気づくこと。

 自分は、この小さな肉体ではなく、大自然のいのちそのもの。

自分は、永遠に移り変わる、大きな天地活動の中の一部なんだ。

つまり、生き通しの大きないのちにめざめる。

 大自然と自分と一枚なんだ!




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。