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提唱 亀鑑

     4月28日 


 老師が4月25日に提唱されたことを私なりにまとめてみました。



禅宗では信仰と言わずに「信心(しんじん)」という。


 信心とは、


   私のこの心に仏様と寸分かわらない心が

   備わっていると信じること。

   だから、やれば必ず成し遂げることが

   できると確信すること。


 坐禅をしていると、


   雑念、妄想、怒り、腹立ちや

   気持ちが沈んだり、

   こんなことやっていてなんになるのだろうと

   疑念におそわれるが、

 
 それらはすべて「我(われ)」という一念が

 姿を現して我をかきみだしている。



   坐禅の修行は、無我。


我が身をいとおしい、かわいいと思う一念を殺して


はじめて人に対して慈悲、親切になる。



  身も我も 心も捨てて 天地(あめつち)の たった一つの まことばかりに



 (追記)

次の摂心の提唱は、5月20日から26日となります。

   
    
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都忘れという名前の花

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「都忘れ」  なんとも素敵な名前の花です。

黄梅院本堂向かって左側の庭に咲いています。

提唱 武渓集

      4月27日    (4月24日の提唱)


  老師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。


 迷い、悩み、苦しみの原因は、

人のせい、よそのせいにあるのではなく、


根本は、自分の一念にある。


一念も生じなければ、仏国土

一念を生ずれば、地獄



   ひとは何にもないところから生まれて


  何にもないところに帰る。


  その短い一時(ひととき)に一念を生じて、


  苦しみ悩む。



   ドン坐り、一念も生じないところに

  どこまで深くひたることができるか?



   どのようにして念がおこり、

   どのようにして迷いをつくり出しているか?


  
  それらのよっておこるところを見据えて、


 一念の湧く端的を無字の一呼吸で断ち切れ!


 くり返し、くり返し、念を断ち切れ!
 




牡丹

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  黄梅院の玄関横にまさに大輪(たいりん)の花を咲かせています。

提唱 武渓集

        4月26日   摂心最終日


   老師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。


  アングリマーラという人を何人も殺めてしまったような

粗暴な行いの者に、お釈迦様は、どのようなこころで接せられたか?


 
 どんな罪を犯そうとも、その人の本性に罪穢れは届かない。


どんな人も例外なく皆、常に清らかで安らかな仏心を持っている。


人を傷つけない、暴力をふるわない慈悲の心を。



お釈迦様は、あらゆる人にに備わっているその慈悲の心に


声をかけ、はたらきかけた。


 
 我々も、人の本心本性は、慈悲の心であると信じ

手を合わせて拝む心を持って接したいものだ。



 その為に、無心無我に徹し

いかなる人でも例外なく、本心は慈悲の心であると

ハッキリさせることが一つの務めとなる。



 

提唱 武渓集

      4月23日    摂心4日目


  老師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。


 理想の自分と現実の自分、どちらが本当の自分か?


坐禅をして、理想と現実が一枚になる修行をする。


たとえどんな状況にいようと、今この時を生きるより仕方がない。


今ここでやっていることを自分の目指す理想とするしかない。


只今、この場所こそがかけがえのない理想の場所。


今していることが、理想のこと。


これをありがたい

   たのしい

   うれしいと心一つを改め


各々がその時その場所で精一杯努めることのほかに、


本当の自分はない。
 

  だから、願いを込めて


一坐一坐の積み重ね

一呼吸一呼吸の積み重ね。

   
   


   




提唱 鎖口訣その3

      4月22日   摂心3日目


 老師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。


法華経に曰く


  大慈悲をへやとし
  (生きとし生けるものに対する大きないくつしみの
   心をもって)
 
   
  柔和忍辱を衣とし
   (おだやかで、やさしく、そして苦難に耐え忍び)


  一切皆空を座とする
   (何ものにもとらわれない無心の心を座席とする。)


   という言葉がある。


  深慈痛悲(人の苦しみや悲しみが痛いほど感じられ、
      深くその人をいくつしむ心)は、

  無我に徹する修行をしてはじめてほとばしり湧いてくる。



  今聞いている、ここに

  今この呼吸している、この一呼吸に

  生き通しの生きものがある。



  自由無尽

  もうこれ以上得るものはどこにもないと

  決してドン坐ること


  そうして、本当に無心無我に徹したら、

 
  各々心の内から、無限の慈悲がほとばしり湧いてくる。


  誰にでも例外なく、人のこころの痛みがわかり、


  その人をいくつしむ心が自然と湧いてくる。


     そのようなことをお話しされました。
   
  

     

新緑

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居士林の中からの風景です。

新緑が眩し。

提唱 仏光録(鎖口訣)その2

       4月21日    摂心2日目


  老師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。


 別峰老師曰く、

「人は、仏心の中に生まれ
 
    仏心の中に生き

    仏心の中に息をひきとる。

   
    生まれる前も

    生きている間も

    寸分も仏心と離れることはない。」と。


  どんなに時代が移り変わろうが、

  仏心の真理は、色あせることはない。


  ただし、それをどれだけ自分のものとして実感できるか?



   その為に、綿密で隙のない無字(という呼吸の)工夫が大事。


  腰を立て、下腹に力が抜けないように、

  呼吸を細く長く

  お腹の奥で練るような気持ちで

  下腹がゴムまりのように張るように坐る。


  そうすると、

  坐ったら、ドッシリ

  歩いたら、自ずと重厚となる。


 そのようなことをお話しされました。

  
   

シャクナゲの花

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仏殿脇にさくシャクナゲの花です。

提唱 仏光録(鎖口訣)

        4月20日   摂心初日


   老師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。

「深慈痛悲」(じんじつうひ)・・・人の悲しみや苦しみが痛いほど、
                 わかるという慈悲の心。


本来誰でも、生まれながらにもっているその心に気付くために


自分を殺し、自分を尽くす修行をする。


どれほど無字三昧(無我無心)になったか。

どれほど骨をおって修行にうちこんだか。

どれほど自分を尽くしたか。


それが、人としての値打ちにになる。


自分の我(が)や欲を殺し、

精一杯何かにうちこんで自分を尽くして、

平等一枚になってはじめて、

自分にも「深慈痛悲」の心が備わっていることに気付く。








 

   


 

攝心前夜

4月19日

僧堂(専門道場)では、明日から摂心(集中修行期間)が始まります。

老師が雲水(修行者)に向かって話されました。


 辛く苦しい修行に耐え抜いて、

世の中の人に「宝」と思われるようなひとになれ!

ラクをするな。


 辛く苦しいことに耐えた経験が、

自分にとっても、本当の「宝」となる。

だから、精一杯うちこめ!


碧巌録44則提唱

4月18日

 
 老師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。

坐禅をしていると、迷いの様子が客観的にわかるようになる。

自分の小さな頭の中で、小さいことをクヨクヨと考え、

問題をおこしている。


理屈をつけようとするから、問題になる。

わけのわからないことは、わけのわからないで構わない。

 
ドドーンと太鼓がなったら、自分がドドーン。

花が咲けば、自分が咲いている。


小さな自分とらわれることなく、

頭をからっぽにして

大千世界(限りなく広い世界)をひっくるめた坐禅をしたいものだ。


そのようなことをお話しされました。

無門関16則提唱

4月17日

老大師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。

 
 世界は、広い。小さなことに何もくよくよすることはない。

さとりとは、ひっかからずにサラサラとすること。

朝起きたら、気持ちよく「おはようございます。」

ごはんができたら、心から手を合わせ「いただきます。」

お茶をいれていただいたら、「ありがとう。」

天気には、洗濯物を干せばいい。

雨が降ったら、本でも読もう。


さとりとは、ひっかからずに、サラサラと。


そのようなことをお話しされました。

梅の実

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4月16日

冷たい雨の中、まだ幼い梅の実の姿。

えびね蘭

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黄梅院の庭にえびね蘭が咲いているのを

見つけました。

居士林の堂内の風景

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土曜座禅会、土日座禅会では、ここで坐禅をします。

窓から見える見える風景は、四季折々様々。

坐禅をするには、一番気持ちのいい時期です。

日曜説教会(4月11日)

4月11日

日曜説教会において老師が提唱されたことを

私なりにまとめてみました。

(ちなみに、老師は、今回が前管長様に代わり初めての
 日曜説教の法話となります。笑いあるなど、和やかな
 中にも深遠な仏の教えのちりばめられたお話でした。)

老師は、出家の機縁を話されました。二歳に時、
かわいがってもらっていたおじいさんが亡くなり
焼き場(火葬場)で「おじいさんはどこにいったの?」
と尋ね、お母さんに「白い煙となって空にかえっていった。」
といわれたこと。仲の良かった友達が白血病で亡くなり、
精進落としの席で全く箸がつけられなかったこと。

そして、座禅会に通うようになり、興国寺目黒絶海老師との出会い。
絶海老師は、お寺に集まった方にこう言われたそうです。

「今日ここにお集まりの皆様は、みんな仏様です。」

当時まだ幼かった老師はその言葉に疑問を持ったそうです。
「なんで自分がほとけさまなんだろう?」と。

今になってその言葉の意味が実感されるようになってきたそうです。

それは、各々みんな仏様の心を持っているということ。
天上天下唯我独尊は、なにもお釈迦様だけでなく、
生きとし生けるもの、めいめいすべてが、かけがえのない
尊い心をもっているということ。
 
すでに仏の心をもって生まれてここにいる。

それでは、仏様の心とは何か?

(それは、前管長様が提唱されていた)

一、 ありがたい(感謝の心)

二、 もったいない(受けとめる心)

三、 お気の毒に(思いやりの心)

だそうだ。

その心に気付くために、坐禅をする。

腰骨を立て、おなかに力をいれて、

ゆっくりと静かに呼吸をする。

呼吸は、只今の呼吸に心をこめてする。
 
そうすると、今生きていることがはっきりしてくる。

今を精一杯大切に生きればいいんだと思うようになる。

  以上そのようなことをお話しされた。


たんぽぽ

blog-たんぽぽ

居士林の庭にたんぽぽが咲いていました。

この生命の力強さ!

碧巌録44則の提唱

4月4日

 土日座禅会 碧巌録44則 禾山解打鼓 

老大師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。

昔、ある老師が大きな石の上に小さな石をのせて

雲水達に「さあどうだ」と迫ったそうだ。

多くの雲水は、ああだこうだと考えていたところ

ひとりの雲水が「そんなものは、なんでもない。」

と言ったそうな。そしたら、その老師は、

「それでいいんじゃ。」とおっしゃったそうな。

悟りとは、ひっつかかったら、いかんのだ。

人は、何でもないことにひっかかりがちだが、

何でもないことをなんでもないとわかり、

サラリサラリとやっていく。

ドドンと太鼓がなっつたら、ドドンと自分一枚。

花にら

blog-花ニラ

近くで見ても、可憐です。

花にら

blog-山門と花ニラ
  

今、居士林では花にらが真っ盛りです。

提唱

4月7日

無門関提唱 第27則 不是心仏

淡青会坐禅会において、老大師が提唱されたことを

私なりにまとめてみました。

  「不是心、不是仏、不是物。」

心にあらず、仏にあらず、物にあらずとは、

それらにも限定されない大いなる心のこと。

本来は皆大いなる心を持っているのに、欲望などで

自分で自分を限定して小さくしてしまっている。

自分で限定しなければ、無限な心を皆が備えている。

大いなる心は、無心無我の心。

無心無我の人にして、初めて人を安心(あんじん)せしめることが

できる。救ってやろうとか、安心させてやろうとかのはからいを

超えて、無心無我になったら、自然と自ずからまわりの人は、

安心する。その為に、自分を殺す修行をする。

自分の欲や我儘を殺して少しでも無心無我になれるように

精進することが大切。




提唱

4月3日  

無門関第15則 洞山三頓

老大師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。

 
 「飯袋子(はんたいす)、江西湖南便ち恁麼にし去るか。」

この雲門の言葉で、洞山は気づいた。

求め求めて、悩み苦しみ抜いた末に、このままでいいんだと気がついた。

飯を食って糞をすること。ただ呼吸をし、

ただ座ることがどんなに貴いことであることか。

うろうろしていた自分も含めて、

そのままでいいんだと。


山吹が満開です。

blog-DSCN2466.jpg
 

山吹が満開です。

黄梅院から見た山吹

blog-山吹
  
黄梅院山門から見た山吹です。


二輪草

二輪草が咲きました。
二輪草が咲きました。
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