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12月25日(水) 冬季学生大攝心 最終日


横田南嶺管長が冬季学生大攝心で提唱されたことをまとめてみました。


 みんな仏様、観音様と寸分違わぬ心を持って生まれてきている。

仏様、観音様の心が私たちめいめいの本心なのです。本心を見失うのが

迷いであり、それに気づくのが悟りであります。


 修行の本質というのはその本心に目覚めることに他なりません。

その為に腰骨を立ておなかにグッと力を入れて長い呼吸をする。そ

そうすると心の様々なみだれ、心の表面のざわつきもおさまってくる。


 水の表面が波立っていると底が見えない。しかし、表面がおさまると

底まで透き通って見える。そのように心の表面のざわつきがおさまると

見えてくるのは、私たちの本心というのは仏様、観音様の心である

ということなのです。


 あらゆるお経というのは、私たちの本心とはいかなるものかを説いています。

あらゆる仏像などもその姿を見れば私たちの本心が何なのかわかるように

できています。

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 最近、あるお寺からこの観音様のお軸をいただきました。

明治時代にご自身坐禅を経験された方が描かれたもので

高い精神性がうかがわれます。


 これも、私たちめいめいが持っている本心を姿・形に表したものなのです。

(後記)

 おかげさまで、平成25年冬季学生大攝心も無事に終了しました。

一番寒さの厳しい時期に最後までご参加いただき、誠に有り難う

ございました。
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突然の訪問者

8月13日(火)


 今日は黄梅院の盂蘭盆会塔婆供養2日目でした。40名くらいの

お檀家さんが法要に参加されました。皆様、たいへんお暑い中を

ご参加いただき誠に有り難うございました。


 また、本日は横田南嶺管長のところに5人の若い訪問者たちが

お見えになりました。その方たちは、立腰(りつよう)教育で有名な

森信三先生のお弟子の寺田一清先生が主催する読書会に参加している

人たちで、現役の教師をされているそうです。


 突然の訪問、しかも、法要直前でしたが、横田管長は5人の方に上にあがって

いただきお茶差し上げて話しを聞き、法要の時間になると5人にも法要に

参加していただき、終わってから管長ご自身で舎利殿の案内までされていました。


 この5人の先生方は、明後日、鍵山秀三郎先生が主催する奉仕の掃除の参加し

それが終わってから靖国神社に参拝するとのことでした。


 志を持った若い人達の突然の訪問を横田管長はたいへん歓迎している

ご様子でした。


 

 

4月15日(月)


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今、黄梅院では藤が一番の見頃です。

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 今朝は立班(りっぱん)と言いまして、平たく言えば雲水さんから和尚さんになる

儀式に出席して参りました。円覚寺派に2人の新しい和尚さんが加わりました。

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3月25日(月)


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朝からの雨にもかかわらず、桜は満開です。

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妙香池に初めてお目にかかる来訪者。うでしょうか。

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山吹 <黄梅院>

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 黄梅院の山では、山桜が見頃です。散り始めると黄梅院を包む谷に

桜吹雪が舞い落ちる光景が見られます。

(後記)

今日は、午前中、居士林で合気道(関係者)坐禅会でした。

12月3日(月)

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<龍隠庵参道>

(後記) 今日は、午前中、海上自衛隊坐禅会でした。28名の

    自衛官が参加されました。

     
    午後からは本山で教学委員会に出席して参りました。

    円覚寺派和尚さんの為の住職研修会の日程(6月7日に決定)・

    内容(法話の実践)や来年の夏期講座の講師の推薦などの

    ついて話し合われました。

     
     また、管長様から直々にいくつかの提案がありました。

    一つは、拝観券のデザインを四季おりおりで変えること。
    
    2つ目は、総門で配布しているパンフレットをそろそろ

         新しくすること。

    3つ目は、円覚寺のホームページをもっと活用できるように。

    などです。

     出来る限り、皆様により親しんでいただける円覚寺と

    なるように精進して参りたい所存です。

    

11月15日(木)

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もう長く使われていない古井戸です。この錆(さび)具合が

何とも寂(さび)を感じさせてくれます。 <正伝庵>

インタビュー記事

9月14日(金)


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管長様の故郷の「熊野新聞」(9月12日付け)に管長様への

インタビュー記事が載りました。全文を紹介します。


 「災害でも自然を恨むことなく、精いっぱい生きよう」

新宮市出身・臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師(46)


 わが熊野では臨済宗において二人の名僧を持つ。お一人は

本宮町四村生まれ、1961年96歳没の妙心寺派管長・山本玄峰老師

もう一方は新宮市出身、現在46歳の円覚寺派管長・横田南嶺老師

である。まさに、郷土の誇りと言えよう。

 9月4日、台風12号犠牲者慰霊供養に来新された横田老師。老師を

新宮駅でお迎えし、その高潔で穏やかなたたずまいに`おおいなる

ありがたさ`を心に抱く。そして、熊野川町田長での供養後に

インタビューをさせていただいた。


 {老師の子ども時代、そして発心のことなどをお聞かせ願えますか?}

ー人は死ぬ、その様子が私の記憶の始まりです。満2歳の時祖父が亡くなり

火葬場で祖父の棺桶が焼かれ白い煙が昇っていきました。母は私に

「おじいさんは、あの白い煙になってお空に昇っていくの」と教えて

くれた。さらに、新盆になって、ちょうちんを載せた船で御霊送りを。

この時も「おじいさんは、あの船に乗ってあちらの世界に帰るの」。

いずれも、おじいさんはどこに帰っていったのか実に不思議で不安に

思いました。


 この不安は、小学生の級友が白血病で突然亡くなり、さらに強い

ものになりました。そんな頃です、菩提寺である清閑院の座禅会に

参加したのは。そこで、由良・興国寺の目黒絶海老師にお目に掛かる

ことに。絶海老師がご本尊にご焼香されて礼拝される姿に、私は

子供心に身震いするような感銘を受けました。`ここにこそ、

生死の問題を解決する道がある`と確信いたしました。


 そこで、由良の老師の元へ独参するようになりました。中学生の

頃です。興国寺では、はっきり印象に残っていることがあります。

老師が色紙に富士山の絵をちょこんと描かれ、その讃に

「すべってもころんでも登れ ふじの山」。そして、「禅の修行は

始めたら最後まで成し遂げなければいかんぞ」とお言葉を掛けて

くれた。今でも心に刻んでいるお言葉です。


{大学時代~僧堂時代のことなどを。}

ー高校時代にラジオで偶然、松原泰道先生の講話を聞いてお手紙を

出しました。そのご縁で先生から勧められ、大学時代には東京文京区

にある小池心叟老師に師事。剃髪して出家いたしました。現在は

ただその延長線上で修行をする身です。

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トラノオ <龍隠庵>

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今月の言葉

7月1日(日)


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管長様揮毫。坂村真民さんの詩。

仏の子 その2

5月3日(木)


 昨日の新聞のコラム欄に、昭和天皇と戦災孤児

との次のような逸話が載っていました。

 陛下が昭和24年に佐賀県に行幸された時の

お話です。


{寺では境内に孤児院を造り、戦災孤児40人を

養っていた。陛下は部屋ごとに足を止められ、子供

たちに笑みをたたえながら腰をかがめて会釈し、声を

掛けて回られた。ところが、最後の部屋では身じろぎも

せず、厳しい尊顔になる。一点を凝視し、お尋ねになった。

 
 「お父さん、お母さん?」 少女は2基の位牌を抱きしめて

いた。女の子は陛下のご下問に「はい」と答えた。大きく頷かれた

陛下は「どこで?」と、たたみ掛けられた。


「父は満ソ国境で名誉の戦死をしました。母は引き上げ途中で

病のために亡くなりました。」「お寂しい?」と質された。少女は

語り始めた。


 「いいえ、寂しいことはありません。私は仏の子です。仏の子は

亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土に行ったら、きっと

また会うことができるのです。お父さんに、お母さんに会いたいと

思うとき、御仏様の前に座ります。そして、そっとお父さんの、

お母さんの名前を呼びます。するとお父さんも、お母さんも

私の側にやってきて抱いてくれます。だから、寂しいことは

ありません。私は仏の子供です」


 陛下は女の子の頭を撫で「仏の子はお幸せね。こらからも

立派に育ってくれよ」と仰せられた。見れば、陛下の涙が畳を

濡らしている。女の子は、小声で「お父さん」と囁いた。

陛下は深く深く頷かれた。}


 心の奥底まで響くお話ですね。



祝一周年

2月26日(日)


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 今日は午後から「蔦禪会(ちょうぜんかい)」という坐禅会でした。

ちょうど一年前の、梅が咲いている今頃、第一回目を行いました。

あれから時が経つのは早いもので一周年を迎えることができました。

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蔦禪会とは変わった名前ですが、英語のアイビーの日本語訳が蔦(つた)です。

アメリカ東部のハーバード大などの名門私立大学8校からなる連盟を

アイビーリーグといいます。みな伝統的な大学で、校舎が蔦に覆われている

ことが多いことからその名がついたそうです。

 たまたま、円覚寺の別の坐禅会に参加されていた、アイビーリーグ出身の

Bさんから坐禅に関心のある同窓生向けの坐禅会をやりたいとの

お話をいただき「蔦禪会坐禅会」が生まれました。

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 始めた時は、これ一回限りでまさか一年も続くとは全く想像も

していなかったのですが、毎月1回ずつ重ねて、今日の日を

迎えられてなかなか感慨深いものです。

 参加者はBさんやJさんがアイビーリーグの同窓会にネットで募集

して来る方とあとは縁故の方で様々です。会は、最初に坐り方の説明

をして15分くらいの坐禅を2回と途中「歩く坐禅」をして最後に30分くらい

円座になって参加者の自己紹介と質疑応答をします。BさんやJさんが

通訳をしてくださる中で会が進んでいきます。毎回15名ぐらいの方が

参加くださり国籍も様々です。

 今日、参加された中に、外国人向けのガイドをしている方がいて、

「欧米の方で禪に関心のある人は多く、禪について尋ねられる

ことが多いので参加しました。」とおっしゃていました。


 本当にこれからが楽しみな坐禅会です。

 



第3回居士林だより編集会議

2月22日(火)


昨日は白山道場・龍雲院で居士林だより製本化の編集の

打ち合わせでした。Tさんが装丁案を作成してくださいました。

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今朝、管長様にタイトルについて相談したところ、

「いろはにほへと」(ある日の法話より)がいいだろうとの

ご助言をいただきました。

 短くまとめた約30編の法話と円覚寺の風景や花などの

写真がたくさんちりばめられている内容となっています。

 順調にいけば6月中には出来上がる予定です。




第二回居士林だより編集会議

1月30日(月)



 今日は、午前中、白山道場・龍雲院で「居士林だより製本化編集会議」の

2回目の会合でした。今まで居士林だよりに掲載した管長様の提唱

三十数話とそれに写真を織り交ぜていく方針です。

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 白山の檀家さんであり、デザイン関係のお仕事をされている

田中さんがサンプルをいくつか作って下さいました。

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 これから提唱の内容になるべく合うような写真を選んで

どこにどう配置するかなどの作業にはいります。

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なるべくシンプルに提唱(お話)と写真だけが基本となっています。

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 こちらも田中さんが作って下さった表装のサンプルです。

  会議には、管長様も途中から出席くださいましていろいろと

 助言をいただきました。有り難うございました。

  
 遅くとも、7月の夏季講座には間に合うように作業を進めています。

皆さん、こうご期待ください!



 


百丈忌

1月17日(火)


 今日は、百丈懐海禅師がご遷化された日です。今朝方、

佛殿での百丈忌の法要に行って参りました。百丈和尚は

、日本で言う奈良時代から平安時代の頃の、中国・唐の

禅僧です。そのような昔の方の法要がなぜ今に至るまで

禅宗寺院で行われているのでしょうか?


 それまでの仏教教団はものへの執着・所有欲・蓄財を断つために

生産行為や労働行為を戒律で禁じていました。托鉢などの信者さんからの

ご供養で成り立っていたのですか、教団が大きくなるとなると

それではまかえなえなくなるという問題に直面しました。

 
 そういう状況の中で百丈和尚は、畑仕事をして自ら食料を

生産することや、それまで「雑用」と考えられていた掃除・洗濯

炊事などを、お経を読むことや坐禅をすること同じように

大切な修行であると「意識改革」をして問題を解決したのでした。


 ある人が百丈和尚に尋ねました。「今までの戒律に背いて

草を斬り木を伐り、地を堀り土をたがやすことは、罪の報いを

うけることになりませんか?」と。答えて云く

「罪があるか罪ないかはそれは本人の心がけ次第だ。」と。


 そしてそれまで戒律で禁じられていた労働行為等を修行として

認めるのと同時に、「ならば何でもあり」とならないように

はどめとして「百丈清規」という生活規則を定めました。


 それが僧堂・専門道場で生活規範となり現在に至るまで

脈々と守られています。僧堂の生活はお経を読むことや

坐禅をするはもちろん、食事の仕方やお風呂の入り方に

いたるまで、普通でしたら「当たり前」のことが、ほとんど

「儀式化」、つまり作法にのっとって行われます。


 「儀式化」することで食事など一つ一つの行為が

おざなりにするのではなく意識して丁寧にするようになります。


 食事をする、お風呂に入るなどの日常の「当たり前のこと」が

大切な行為として再発見されるような気がします。確かに作法に

慣れるまでは非常に窮屈に感じるかもしれませんが。


 百丈和尚が仰せになったように同じ事していても

心がけ次第でそれが「修行」にもなり、はたまたたんなる

「雑用」になる。まさに私達めいめいの心がけ次第であります。


 百丈和尚がご遷化されてから千年以上経ってもなお

その精神は今・現在に生き続けています。本当に

すごいことですね。


 




 






 


 

出会いの不思議

12月26日(月)


 昨日の日曜説教会のお話の中で管長様が触れられた「出会いの不思議」

についての全文を紹介します。この文章は中学のスクールカウンセラーを

されている方が中学生に向けて書かれたものです。


 {鎌倉に円覚寺という、鎌倉時代から続くお寺があります。そこで、

毎月一度行われている説法は、円覚寺老師の、「生まれたこと、

今こうして生きていること、こうして巡り会うことのできたご縁に感謝

しましょう」という言葉から始まります。

 
 「ふーん」と聞き流してしまうそうなきれいな言葉ですが、たとえば今、

皆さんの教室で、となりに座っているクラスメイトと、どれだけの縁が

あると思いますか?人と出会うというのは、実は一人一人が、もの凄い

確率で奇跡的に出会っているのです。


 現在、世界の人口はおよそ69億人と言われています。つまり

地球上で特定の誰かと出会えるのは、69億分の1。仮に日本だけでも

1億3千万分の1。宝くじの1等に当たる確率は、1億分の1程度らしい

から、今までの出会いは、宝くじの1等に当たるよりも遥かに貴重な

ものなのです!


 この長い人類の歴史の中でたまたま偶然同じ時代を生きていて、

たまたま同じ地球に生まれて、たまたま同じ日本で育ち、たまたま

同じ県にいて、そのうえ同じ中学校にいて、しかも隣に座っている。


 そう考えると、人が出会うというのは「たまたま」や「偶然」という言葉で

片付けてしまうには、あまりに天文学的な確率だとおもいませんか?

今、自分の隣にいる人というのは、いわば選ぶ抜かれたよりすぐりの

精鋭なのです。AKBのオーディション合格どころの騒ぎではありません。


 「出会い」の不思議がわかってもらえましたか?自分の周りの人達は

皆、気の遠くなるような確率の中、何かしらの「縁」があって出会っています。

だからこそ、別れが待っているとしても、出会えたことを感謝し、大切に

したいと思います。これからも、いったい何人の人達と、どんな出会いが

あるか楽しみですね!}


(後記)

  今の中学校は、このようにカウンセラーの方がいらっしゃて

 悩み事の相談など聞いてくださっているようですね。そういう

 話を聞いてもらえる、相談をうけてもらえる人の存在って

 子ども達はもちろん誰にとっても本当に貴重だと思います。

 





 

本になります。

12月20日(火)


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今日は白山道場・龍雲院の留守番でした。白山のイチョウがまぶしかった!

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 さて、この居士林だよりがありがたいことに本になることになりました。

今日ここ白山で記念すべき第一回目の打ち合わせをしました。

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 白山の檀家さんでデザイン関係のお仕事をされているTさんと

居士林・学生坐禅会出身で出版のお仕事をされているMさんと

編集のMさんそして私の4人でこれからどう進めていくのかを

話し合いました。管長様の提唱と四季折々の写真を中心とした

読みやすい本を考えています。管長様の教えが少しでも多くの

人々に伝わりますように工夫していきたいと思います。

こうご期待!


如意団摂心

11月18日(金)


 今晩から明日の午前中、居士林で如意団単独攝心が行われます。

如意団というのは、一橋大学の坐禅会のことです。昔、一橋の学生が

円覚寺山内のお寺・如意庵に寄宿して参禅をしていたことからその名が

つけられたそうです。


 夕方に居士林に集合して、坐り方や基本的な作法を説明してから、

坐禅をして10時前には就寝します。翌朝は4時に起きてお経を読んで

坐禅。終わっておかゆを食べて朝の掃除です。9時から管長様のお話を

拝聴します。終わって、管長様と参加者との座談会のようなものがあり

解散となります。


 一時期は円覚寺でこうして攝心をすることも途絶えていたのですが、

数年前から今の形式の一泊の摂心会として復活しました。


 今回の参加者は13名です。先月、管長様がわざわざ国立の一橋大学まで

赴いて坐禅の指導や交流をされました。それの効果でしょう、例年よりやや参加者

の人数も多いです。管長様が「これからの時代は、人が坐禅に来るのを待っている

のだけではだめだ。こちらからも積極的に行かないと。」とおっしゃられていました。


 若い世代にも坐禅を広めていくことが、これから本当に重要になってくるのだと

思います。そして、若い人の中にも坐禅をしてみたいという「需要」があることは

最近、土曜坐禅会などを通してひしひしと感じます。


 「次の世代に坐禅というすばらしいものをどう伝えていくか?」とても重要な

課題です。






 




  

住職研修会

11月17日(木)


 今日と明日と円覚寺に於いて四派合同住職研修会が行われます。

四派は、建長寺派、方広寺派、向嶽寺派、円覚寺派のことです。

これらの和尚様方が集まっての勉強会です。

 

 「震災後の日本・世界を考える」をテーマに講師の方をお招きし

お話を聞いて、これから私達はどうあるべきか?を考えていきます。


 13時半から開会式でお経をあげます。そして、管長様が始まりにあたって

垂示をなさってくださいます。


 ちなみに今回の講師は、元NHKのキャスター・宮崎緑さんです。

  講題は、「いざ鎌倉から世界をみる」(仮題)です。


 また、建長寺派能満寺住職 松本隆行師がスジャータプロジェクトという

被災者支援のNPO法人の報告を行います。被災現場で活動をされている

和尚様です。


 お話を聞いた後、質疑応答・ディスカッションなどがあります。





 








仏心

11月9日(水)


 前回に引き続き、朝比奈宗源老師の提唱から「仏心」についての

お言葉です。

「われわれは良いことをした時だけ仏心の光だと思うが

そうじゃない。本当は、仏心からいうと、全部良いんだ。」


「だからどんな失敗をしたって、われわれはこの(仏心という)根源から

はずれることがない。また、どんな良いことをしたってほかの人を他所へ

放り出して、自分だけそこに入るなんていうわけにはいきはしない。

<蝦踊れども斗をいでず>という言葉がある。蝦は海老です。蝦が桶の中で

いくら跳ねても、やがて落ちれば同じ桶の中へはいる。人間は、仏心の中で

生まれ仏心の中に住み仏心の中で息を引き取る。生まれる前も仏心、

生きている間も仏心、死後も仏心、絶対に仏心からは離れませんよと、

私がいうのもそこです。」


「きれいな富士山や、美しく咲いた花だけが仏心じゃない。犬の糞も蕗の薹

も仏心だ。慈善をほどこし人に拝まれるような人だけが仏心の所有者か、

そうじゃない、(悪いことばかりしている人や大きな失敗をしてしまった人も)やっぱり仏様だ。

根本は同じじゃ。この世で(どうであっても)この生をおえて還るべきところへ

還ればみんな同じだ。禪とはこういう図太い教えです。」


「人間生きている間は、とかくいわゆる煩悩といわれる意識分別が動く。

ああじゃないか、こうじゃないかなとこう思う。がしかし、ひとたび(死に臨んだら)

どうなるか、一切のはからいも迷いも捨てて、往かんならんです。否応もなく

捨てるのです。捨てるときがくる。法然上人は、人間が生きていればいろんな

煩悩がおこるが、それはお浄土へ往く妨げにはならんと言っておられます。」


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入制大攝心

10月19日(水)


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 明日20日から26日まで、円覚寺僧堂(専門修行道場)では

「入制大攝心」となります。僧堂の門には、その看板がかかげ

られています。攝心とは、心を攝(おさ)めるという意味です。

いわば、集中修行期間となります。

ちなみに、10月20日~26日 入制大攝心

      11月20日~26日 月並(つきなみ)大攝心

      12月 8日~15日鶏鳴 臘八(ろうはつ)大攝心

       1月20日~26日 制末大攝心 と呼んでいます。

  攝心中と普段の時では、次のことが変わってきます。

 ○普段は、日中、托鉢や畑仕事などの作務をしますが、攝心中は

  それらをせずに、坐禅に集中します。

 ○普段は、だいたい午前4時に起床ですが、攝心中は3時(臘八は

  2時)となります。

 ○普段は、独参(老師との一対一での禅問答の時間)が朝晩の2回ですが

  攝心中は3~4回となります。管長様は、僧堂師家(修行僧の指導役)も

  兼ねていますので、居士も含めると20人以上の人との参禅を指導されて

  います。

 ○攝心中は毎日、管長様による提唱があります。「武溪集」を提唱されています。


管長様は、攝心中も朝晩、雲水とともに禪堂に坐られています。僧堂を出た

 和尚さんの中にも遠い所から提唱を拝聴に来られたり、禪堂に坐る方もいます。

 現役の修行僧ともども、修行の身であることは、和尚になっても変わりません。

  身の引き締まる時期の到来です。
  

彼岸花と・・・

10月1日(土)


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彼岸花とチョウ。<居士林>

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彼岸花と落ち葉。これ、よく見るとおもしろいんです。

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おそらく、つぼみの上に落ちた葉っぱを突き抜けて花を

咲かせているようです。強いですね!

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居士林の庭に咲く一輪の花。スカッとした気持ちになります。

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先週、土日坐の方が居士林のお風呂場を片付けてくれました。

改めて見ても、趣のある五右衛門風呂です。

(後記)

   明日の開山忌宿忌(前日の行事)は、15時に佛殿で始まります。

 


地球のことは自分のこと

9月3日(土)


 午前中、管長様のところへ行きましたら、坐禅に来ている人から

管長様に送られてきたという新聞記事を見せていただきました。

管長様は誠に正論だと共感されていましたので、記事の一部を

紹介したいと思います。<朝日新聞9月1日 >

元サッカー日本代表監督岡田武史さんと養老孟司さんの対談です。

 養老「{環境}はどうしてできたかを考えると、{自分をたてた}から。

自分を区切ると、自分の外に環境がある。昔の人はそうは思っていなかった。

死ねば、土に返ると。今の学生に田んぼは将来の君だといっても通じない。

田に稲が育って米がとれて食べると体になる。だから、田は自分の一部。

大気も同じで、なければ即座に死んでしまうのも自分じゃないのか。大気は

自分ではないと、どうしていえるのか。」

 岡田「人類と地球を分けているうちはだめ。人間と自然を分けているうちは。

人間は自分のことでないと必死になれない。」

 養老「自分をたてるというのは脳みそがやっている一種の勝手な区分です。

私というのは意識がないとない。・・・

 岡田「地図があっても、現在地がないとわからない。」

 養老「だから、脳の空間定位の領野に私の定義、つまり現在地が

入っている。地図の矢印(↑)が自分です。そこに環境問題がある。

人間は↑をつけてこれが俺だとやって、その中は無意識にエコひいきする。

・・・」

 岡田「それが自我ですね。宗教でいう悟りというのは、↑が取れたような

状態になると。」

 養老「自分なんて案内板の↑なんだと考えたら楽でしょう。自分は案内板の

一部だと意識しておけば、あまり過大評価も過小評価もしないで済む。」

 岡田「おもしろい。みんながてこずっている自我というものは、地図の中の

ほんの↑なわけですね。」・・・

なが~い流しそうめん

7月27日(水)その2

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お昼頃、東京から鎌倉に帰ってくると本山で流しそうめん大会をしていました。

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「久しぶりに、わしも泳いでみようかな。」でも少し躊躇する居士。

門前の職方さんが主催して、去年から始まりました。

十メートル以上はあるかと思われる竹筒にそうめんが

流れていきます。

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「なんだ!なんだ!赤い玉も流れてくるぞ!」

そうめんだけでなく、さくらんぼやみかんなども流れていました。

職方さん、有り難うございました。

熱が出たときに

6月27日(月)


 おかげさまで、病気もあとは鼻声だけと快復して参りました。

先週の日曜日の夜から熱が出始め、だいたい熱が治まるまで

丸3日かかりました。医者の先生からは、いろいろと為になる

アドバイスをいただきました。熱がでたら、我慢して汗をかけと

ありますが、1回そうすることで、劇的によくなることもあるが、

何度もそれを繰り返していると逆に体力が消耗してしまい良くない。

それは、ケースバイケースとのこと。時には、無理して汗をかかずに

静かに体を休めた方が良いとのこと。前回熱が出たとき、「我慢方法」で

劇的に良くなった経験があったので、今回もやってみたのですが、汗を出して

着替えてを数時間おきに繰り返しているうちにすっかり身も心を消耗しきって

しまいました。

 また、熱があるとき食欲がどうしてもなくなってきますが、そんなとき

何を食べたらいいか聞いてみました。梅干し入りのおかゆとお味噌汁だそうです。

あと、スポーツドリンクなどで水分を十分に補給して、ウイダーインゼリーなども

おすすめだそうです。ヨーグルトなどの乳製品は控えた方が良いと言われました。

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養生しているドジョウ居士。



療養中

6月22日(水)


 一昨日より熱を出してしまいまして、病気療養中です。

また、治りましたらブログ更新を再開します。

ご迷惑をおかけします。


三老師合斎会の偈

 5月31日(火)

管長様が儀式の中でお唱えになった偈頌(宗旨をあらわした漢詩)です。


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 五十年兼(と)三十三年

 三翁 此の日 清談を弄す

 合斎 謂うこと莫れ ひん菜の乏しきを

 雨後の青山 藍よりも青し


 恐れながら、意訳してみました。

 (今日は、記念すべき円覚寺歴代の三老師の五十回忌と三十三回忌の日。

 三老師が壇上に3人並んでいっしょにお話をされているようだ。#

 お供えするお膳がお粗末だなんていいなさんな。

 台風一過、晴天に映える緑の山々の美しさが何よりのご馳走だ。)

 #昨日の頂相の写真をご覧下さい。



 

 




 






三老師合斎会宿忌

 5月30日(月)


 今日は、先日紹介した「三老師合斎会」の宿忌(前夜祭のようなもの)に

行って参りました。朝から円覚寺派、または円覚寺僧堂出身の和尚さんや

雲水さんと準備をし、午後3時から佛殿で宿忌でした。

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ちょうど、晴れ間が見えてきました。

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本尊様の宝冠釈迦如来の前に幕をたらして、三老師の頂相(漢詩の讃がついた

肖像画)の掛け軸を飾っています。

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左から朝比奈宗源老師、古川堯道老師、松尾太年老師です。

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「楞厳呪」というお経を奉読。

明日は、大勢の和尚さんが集まる斎会当日となります。

午前十一時、佛殿です。





炊きだしボランティアその2

 5月25日(水)その2


 気仙沼をあとにして、午後3時過ぎに仙台の避難所に到着。

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 市民センターの施設で、ちょうど「家庭科室」のような部屋もあり、

そこでネギをきざんだり、うどんをゆがく準備をしました。

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避難所の方は60名位だそうですが、100食分のうどんを用意しました。

湯がいたうどんをお椀に入れて、お好みでカレーかお肉を上にのせます。

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6時半から、こちらに順番に並んでいただいて、うどん玉をお椀にいれて、

カレーやお肉をうえにのせて持って行っていただきました。

片付け、掃除をして8時頃になり終了しました。


 何ができるわけでもなく、かえって足手まといになって

しまったかもしれませんが、本当に貴重な経験をさせて

いただきました。やはり、実際に現場に行っていろんなことを感じ、

いろいろと考えさせられました。お世話になった方々、

本当に有り難うございました。

 






炊きだしボランティアその1

 5月25日(水)


 仙台に炊きだしのボランティアに行ってきました。

建長寺派の和尚さんが中心となって有志の和尚さん方が参加されました。

24日晩に仙台の避難所の方にカレーうどんと肉うどんをお出しすることになりました。

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23日、埼玉の建長寺派のお寺で、カレーを作り、お肉を煮て、あとは

うどんにかければ良いところまで準備して、夕方仙台に出発。

24日、午前中、別のワゴンに満載して持ってきた救援物資を

気仙沼の妙心寺派のお寺に運びました。

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 到着すると、地震津波に被災した本堂から魚鱗の音が響いて

法要中でした。この本堂も天井まで津波が押し寄せてがれきが

残ったそうですが、それを撤去して法要ができるまでになったそうです。

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本堂の右手は震災前は住宅地が広がっていたそうですが、津波に流され

海が見えていました。

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この地区では、200名以上の方が津波でお亡くなりになったそうです。

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鐘楼は土台だけ残り大きな鐘も流されたそうです。

 まだ「復興」は始まったばかりで、これから継続的な

支援が必要なことが痛感されます。







 

























三老師報恩大攝心

 5月19日(木)


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 明日、5月20日から26日まで僧堂では、「三老師報恩大攝心」が始まります。

5月30、31日に円覚寺の歴代の管長様、古川堯道老師50遠年諱、

朝比奈別峰老師33回忌、松尾太年老師33回忌の合斎会が行われます。

それにあたって、今回の攝心は、それらの老師方のご恩に少しでも報いようと

坐禅修行に専念する攝心となります。攝心とは、心を攝(おさ)めること。

普段、雲水は日中、作務(畑仕事や薪割りなど)、托鉢などをしていますが、

この期間は、僧堂にこもって、坐禅に専念します。

 管長様は、雲水とともに朝晩禅堂に詰め、摂心中毎日の提唱してくださいます。

本当に有り難いことです。

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暑からず、寒からず有り難い時季です。

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講中齋

 5月12日(木)


 5月15日(日)は、円覚寺僧堂(専門修行道場)主催の行事、

「講中齋」(こうちゅうさい)が行われます。講中齋といいますのは、

普段、僧堂を支援してくださっている方をお招きして、「出斎」(しゅっさい)

といってお食事を出したり、管長様の法話やお施餓鬼などの法要を行います。

いわば、年一回、お世話になっている方へのご恩返しの会です。


 「日供」(にっく)・・・毎月初旬に雲水がご自宅にお経を上げに参ります。

            もともとは、お米など毎日少しずつためておいたものを

            供養するということらしいです。

「点心」(てんじん)・・・托鉢等で近くを回らせていただいた場合、お昼ご飯を

             供養していただけるところ。

「休息」・・・托鉢等で近くを回らせていただいた場合、休息をさせて

       いただけるところ。

 
  など様々なかたちでご支援をいただいて僧堂は成り立っています。

 今の制度は、明治期の初代管長様が、修行の糧を「日供」等のご供養に

 よって支援していただく目的で設立されたものだそうです。

  
  みなさんのあたたかいご支援によって「修行をさせていただいている」

 ことを感謝せずにはおれません。


 (伝言板)

盛岡のMさんへ・・・ コメント、ありがとうございました。

            励ましのお言葉をいただいてうれしい限りです。

新潟のTさんへ ・・・都合が合いましたら、夏期講座の時に

           お会いしましょう。


 


  




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